青い月にサヨナラは言わない

Cerezo

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EP2 卵に潜む悪意2 最悪の開幕戦

諦めることを知らない

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(さっぱりした……)

 寝ている間にかいたじっとりとした汗を洗い流し、寝間着用の緩いスウェットに袖を通し、今日がとんでもなく最悪だったという事を少しだけ忘れることができた。

(そういやあいつは今何してるんだ?)

 リビングにはいない。となるとまだキッチンにいるのだろうか。キッチンへ移動すると、そこには椅子に座ったままのトツカがいた。
 瑞雪が風呂に入りに行った時と異なる点が一つあった。テーブルの上に積み上げられた空のカップ。
 その数は多分瑞雪が買い込んでおいた分全て……。

「……全部食べたのか?」

 いくらガタイがいいからって、普通に考えたら食べつくせる量ではなかったはず。瑞雪が聞けばトツカは首をゆっくりと縦に振った。
 そして椅子から立ち上がる。

「ああ」

 まあ、好きに食べていいといったのは瑞雪自身だ。気にしないことにする。ネット通販でまた頼んでおけば問題ないだろう。

「今まで食事もこんな量食ってたのか?」
「いや?そもそも人型になったのは今日が初めてだ。それまではずっと刀の姿で保管されていた。と言っても一週間程度だろうか」

 イオといい、食事といい、こいつはとことん燃費の悪いタイプなのかもしれない。

「生後一週間か」
 
 まさしく赤ん坊だ。だが常識などをすべてインプットすることだってできたはず。間違いなく組織の怠慢だと瑞雪は決めつける。
 それはそれとして、戦闘時に瑞雪の命令を聞かないのは大問題だ。さっぱりして多少なり気分がよくなった今、話すべきであると瑞雪は判断した。

「今日の戦闘の件だが」
「ああ」

 一つ咳払いして瑞雪が切り出すとトツカが口を開き割り込む。

「魔物は問題なく討伐した。空を飛ぶ蜂型の魔物だった。針と巨体を武器にするタイプだったが、魔法自体は扱えないタイプだったな。あまりにも弱すぎたが猟犬としての初戦闘としては申し分なかっただろう?」

 瑞雪の本位など一ミリもくみ取るわけもない。トツカはどこか誇らしげだ。
 口元の筋肉はピクリとも動かないが、その瞳にはありありと戦闘への愉悦だとか、自らの優秀さを勝ち誇っているさまが見て取れる。

「今後も俺に任せておけばすべて問題ない」

 一点の曇りもない、自信に満ちた顔。今すぐ横っ面を殴るか、どてっぱらを蹴り飛ばしたい衝動に駆られる。

(うっぜえ……)

 しかし、何とか瑞雪は手が出そうになる寸前で堪えた。
 
(自己評価高いな……しかしどうしたもんか。本当ならすぐにでも殴ってお前なんざ願い下げだ、組織がそんなに好きなら組織に戻れってキレるんだが)

 生まれたばかりの精神が子供、戦うこと以外の知識なし。日常知識どころか貧血や人体のことについての知識すらない。
 瑞雪が仮に死んだとしても寝ていると勘違いするのではないか?それともわざとやってるのか?そんな疑念すら瑞雪の中に生まれる。

「褒めてもいいんだぞ」

 前言撤回、わざとはない。トツカは誇らしげに、本気で瑞雪が彼を誉めるのを待っていた。
 トツカ的には瑞雪が倒れたのではなく暇すぎて寝落ち、その間に任務を完璧に遂行したということになっているのだろう。

(頭がいてえ……)

 悪意はない。悪意はないが、瑞雪のことを人間扱いしているかは怪しい。目の前のトツカは次々に戦闘のことや、自身がいかに強い猟犬化を並べ立てた。

「ああ、馬鹿みたいにイオを使わずに、俺の命令に従えばお前はいい猟犬だろうよ」

 思わず皮肉がこぼれる。

「そうだろう。今日の戦闘はイオの消費は抑えていた。俺は優秀な猟犬だ。これからも頼ってくれて構わない」
「あれで抑えてたのかよ……」

 トツカの中ではイオを使いすぎたという自覚も、命令に従わなかったという意識もないのだろう。眩暈がしてきて思わず目頭を押さえる。

「お前は……戦闘が一番好きなのか?」

 無知な戦闘狂、どう扱っていいか殆どまっとうな人づきあいをしてこなかった瑞雪にはあまりにもハードルが高すぎた。

「当然だ。戦いこそ猟犬の本分であり、俺の存在意義だ」

 熱を帯びたトツカの態度。その眼はぎらぎらと欲望と興奮でどろどろに煮えたぎっていた。
 目を伏せ、どうしたものかと思案しようとしたところで異変に気が付く。

(……勃起してる?は?)

 股間部分がはちきれんばかりに布を押し上げている。思わずぴくぴくと口元と眉尻がひきつる。
 何故?どうして?意味が分からない。

「お前、なんで勃起、して?」

 思わず口に出してしまうくらい、瑞雪は困惑していた。

「勃起?」

 聞き返すトツカ。勃起の意味すら知らないらしい。
 頭を抱えるしかなく、瑞雪はこめかみを揉む。

「勃起とは何なんだ?瑞雪」

 再度聞き返す。わからないのか……。絶句する。人体の基本的な構造とか知識くらいインプットしておけ馬鹿たれ!と今ここにはいない祖父にツッコみたくなる。
 今すぐなかったことにして寝るかを真剣に検討する。

「……それだ。生理現象の一つだ」

 仕方なく、仕方なく股間を指さす。はちきれんばかりにパンパンに張っている。
 みっともない、はしたない。というか戦闘終わった直後どころか思い出して興奮するな。口の中に溢れる文句をどうにか押しとどめる。

「なるほど。確かにさっきから窮屈だと思っていた。戦闘直後にもなっていたがいつの間にか戻っていた。どうすれば元に戻るんだ?」

 戦闘直後もなっていたのかよ。またも心の中で突っ込む。

「適当に抜いて寝てくれ……」

 心の底からの懇願だった。勝手に抜いてさっさと寝てほしい。テーブルの上に積み重ねられたカップ麺のゴミをゴミ箱に突っ込みながら口にした言葉はあまりにも小さくか細いものだった。
 きっと夏輝やラテアが聞いたなら、本当に瑞雪のものかと疑うレベルだろう。

「抜く?なんだそれは」
「……そうだよな、知るわけない」

 わかっていた事だった。勃起も知らないやつが抜くなんて知らないこと。

「教えてくれ」

 トツカが近づいてくる。瑞雪よりも高い背。紅の瞳にどろりと濁った欲が垣間見え、思わず一歩後ろに下がりそうになる。
 瑞雪は性的な事柄が、こんな隠しもしない欲望塗れの顔が苦手だった。
 理由は幼少期にまで遡る。兄よりも劣っていた瑞雪は父や兄にストレスのはけ口にされていた。それはただの虐待に留まらず、性的なものも含まれていた。ただそれだけ。どこにでもある話だ。
 ただ、それがきっかけでセックスどころか自慰すらも瑞雪にとっては触れたくないものになったのは確かだった。
 それでも男である以上たまるものはたまるから、そういう時はただペニスを擦って出すにとどめている。
 ロセを毛嫌いし、見下す理由もそれが原因であった。
 高校を卒業し、実家を出るまでその状態は続いた。
 大学も結局は裏から介入され、奨学金を借りる事ができなかったり、そもそも受からないように裏で仕向けられていたことが後から分かった。
 瑞雪が今は入れている大学は、結局御絡流の会とつながりのある大学だ。本当の意味で自由にはなれていない。結局國雪の掌の上で今尚踊らされているに過ぎない。
 かといって、それを悲観したところで何も起こらない。少しでも祖父らと関わらないように距離を置くだけだ。
 それに、客観的に見たら衣食住に困るなんてことはなかったし、虐待といっても目に見えない範囲で命の危険に晒されるような暴力もなかった。
 だから、別に不幸というほどではない。ただ瑞雪が家族のことを嫌悪し、恨んでいるだけ。少なくとも『瑞雪自身は』そう考えている。
 とにかくそういった理由で瑞雪はそれらが苦手だった。
 ロセに関しては八つ当たりや偏見が多々あることは瑞雪だって自覚している。しかし、どうしても態度を改めることができなかった。
 もっともそれはロセのほうが瑞雪を揶揄うことも原因の一つではあるが……。

「……断る」

 声が裏返りそうになるのを抑える。努めて冷静に瑞雪はトツカを拒絶する。

「だが、主はお前に知らないことは全て聞けといった」

 トツカはもはや肌が密着しているのではないかと錯覚するくらいまで近づいていた。
 じっとりとした嫌な汗をかく。心臓がバクバクと嫌な音を立てて跳ねる。

「股間が痛い。お前は抜くといった、対処法を知っているのだろう?夕方戦闘直後もこうなったんだ。収まるのにしばらくかかったし、窮屈で不便だ。なぜ教えてくれない?理由があるのか?」

 別に、トツカが悪いわけではない。いや、戦闘中に瑞雪の命令を無視した挙句血を吸いまくったことは悪いけれども。
 勃起しているのも特殊性癖というか危ない戦闘狂なだけで、悪くはない……と思っておく。
 結局生み出す際に一般知識の一切をオミットした御絡流の会側に問題がある。そもそも疑似的、付喪神であるとはいえ命を生み出せるなんてことを瑞雪は知らなかった。
 話がそれた。それだけ瑞雪の頭の中はパニックになりかけていた。ロセがいたら間違いなく指を指されて笑われていたに違いなかった。

「そ、そのうち収まる。……とにかく俺は教えない。今日はもう寝る。お前も寝ろ。通販でお前用のベッドも注文するから、それまでリビングにあるソファで寝ろ。いいな」

 今までにないほど焦って、早口でまくしたてる。トツカから少しでも離れたくて、隠し切れない焦りを悟られたくなくて、瑞雪は背を向けて寝室へと戻る。
 そのままドアを閉める。独り暮らしだから寝室に鍵なんてつけているわけもない。
 
(忘れよう。猟犬の下の世話までできるか馬鹿たれ……!あのくそ爺、絶対許さねえ。やっぱり心底性根の腐った最低野郎だ!)

 心の中で毒づく。しかし、毒づいたところで憎むべき祖父は痛くもかゆくもない。
 ため息をつき、そのままベッドへもぐりこむ。

(全部忘れよう。知らん、ほんっとうに知らん……)

 ぞくりと肌が粟立つ。無理やり瞼を閉じ、頭から布団をひっかぶる。
 悪い夢だった、明日になったらトツカも何もおらず、今まで通りの日常が戻っていますように。そんなことありえないと頭の片隅で冷静な瑞雪自身があざ笑う。
 己の思い通りになったことなど一度もないと、そう哂っていた。
 そんな己から目を背け、瑞雪はただ眠気が早く訪れてくれるようにと信じてもいない神に祈った。


 
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