甘夏と青年

宮下

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 三津総合病院への配達を終えた智明は、雅紀と共に、近くにあるファストフード店へと入店し、適当なテーブル席に腰を下ろす。

「付き合ってもらってごめんな」

「いえ、特に予定もなかったので」

 成り行きとはいえ、一緒にいる自分に智明はほとほと呆れてしまう。

「何注文しようか。いやー、なんかこういうところも久し振りだからさ、楽しいなあ」

 メニュー表を見る雅紀は、まるで子どものように目を輝かせている。

「とりあえず俺はウーロン茶と、あとポテト。君は?」

「俺も同じもので」

「分かった。すみません、注文いいですか?」

 雅紀は横を通り過ぎろうとしたウェイトレスを呼び止め、注文をしていく。
 こうして正面から見る雅紀は、特に癖のない爽やかな普通の好青年に見える。

「よし、じゃあ本題だ。驚かないで聞いてほしいんだが、俺、実は死んでいるんだ」

 ……前言撤回だ。やはりおかしい。

「は?」

 智明は思わずため口で返事をしてしまう。

「俺、交通事故でさ、一度死んでいるんだよ」

「いやいやいや、俺とも普通に会話しているし、他の人とも話していたじゃないですか」

 表情を変えることなく同じ言葉を繰り返す雅紀に、智明は抱いた不信感を正直に顔に出してしまう。

「歳も近いしため口でいいよ。だけど、そうだよな。どう証明したらいいんだろ」

 雅紀は少しの間考えるような仕草をした後、何かを閃いたかのように、パッと表情を明るくする。

「そうだ、もう一回自分で死んでみようか?」

「やめてくれ、笑えない」

 智明は沸々と湧く怒りを抑え、強めの口調で反論した。

「……あんた、嫌いだわ」

 何故、のこのこと付いてきてしまったのか。
 智明は、この場を去るべく席を立つ。

「待ってくれ! もし癇に障ったのなら謝る。だけど本当のことなんだ」

 雅紀は反射的に智明の腕を掴み、話を聞いてくれるよう懇願する。
 周りのテーブルから、何事かと視線が集まる。

「――分かった、そういう設定でいい。ただ何でそれをわざわざ俺に伝えるんだ」

 周囲の目を気にした智明は半ば諦め、渋々着席しなおした。

「それは、君に俺の名前が伝わったから」

 雅紀は自信満々に、さも当たり前の内容を口にする。

「は? どういうこと?」

 意味の分からない回答に、智明は苛立ちを募らせていく。

「樋口雅紀っていうのは俺の生前の名前なんだけど、どうしてか今の俺がその名前を誰かに伝えることはできないんだよ。発音しても言葉が消えるんだ。試しにやってみる、見ていてくれ」

 雅紀は、タイミングよく料理を運んできたウェイトレスに声を掛ける。

「あ、店員さんすみません、ちょっとお聞きしたいんですけど」

「はい、何でしょう?」

 愛嬌のある女性はにこやかな笑顔で応える。

「俺の名前、樋口雅紀っていうんだけど、前にどこかで会ったことあるよね?」

 智明は頬杖をつき、二人のやり取りを呆れたように傍観する。
 ちゃんと言葉にできているではないか。それより声の掛け方が質(たち)の悪いナンパにしか聞こえず、同席する自分も恥ずかしくなるのだが。

「えっと……すみません、もう一度よろしいですか?」

「樋口雅紀、思い出した?」

「あの、ですから、お名前は? どちら様でしょうか?」

 すると、女性の表情がみるみる怪訝なものへと変わっていく。

「……え?」

 嚙み合わない二人のやり取りに、智明は目を疑う。

「樋口雅紀、雅紀だよ」

「あの、すみません私、呼ばれましたので。もし何かございましたらテーブルについている呼び出しのボタンを押してください」

 危ない奴に絡まれたと、女性は足早に去っていく。

「……な? 信じてくれた? 俺の名前、伝わらないんだ」

 雅紀は恥ずかしそうに苦笑いを浮かべる。

「彼女に嫌な思いをさせてしまったな」

 そして死角へ消え去ったウェイトレスに対し、申し訳なさそうに呟いた。

「何で? 俺には普通に樋口雅紀って聞こえたんだけど」

「そう! 君だけなんだよ!」

 混乱する智明に、雅紀は興奮しながら声を上げる。

「どうしてか君にだけは俺の名前が伝わるみたいなんだ」

 俄かには信じられないが、確かに先程のそれは異様なやり取りであった。言われてみれば、目の前の青年がどこか微かな存在のように見えてくる。


 ――不意に、雅紀が大輝の姿と重なった。


「だから、今はマキって名前で過ごしているんだ。偽名だと相手に伝わるからな」

 雅紀は、ウーロン茶のストローをくるくると指で弄る。

「分かった。今のやり取りを見せられたら、流石に信じるよ。……それで、俺にどうしろっていうんだ」

「それなんだけど、俺、あの病院に妹が入院しているんだ。その子がまあ死にそうな顔で過ごしていて。俺がまた消えてしまう前に、その子に元気になってほしいんだよね」


 ……またかよ。

 どいつもこいつも、自分の周りにはいつも死が付き纏う。

「ただ、俺今ひとりだからさ。俺の事情を理解してくれる仲間が欲しいんだ」

「要するに、上手く馴染めるようサポートしてほしいってこと?」

「そういうこと」

 智明の言葉に、雅紀はパチンと指を鳴らす。

「君、名前は?」

「智明。みんなはトモって呼ぶ」

「トモ、これからよろしくな。俺は雅紀でもマキでもいいよ」

 まだ手伝うことを了承していないのだが。しかしここまでくると何かの縁なのではとも思えてきた。

「それならマキって呼ぶよ。じゃないと他の人といる時に辻褄が合わないだろ」

「おお、お前頭いいな」

 馬鹿にされているのだろうか。当の本人は全く悪気のない飄々とした態度でいるのだが。

「マキは今どこに住んでいるの。家もないだろ?」

「どこにも住んでないよ。自由に消えられるし、そんで自由に現れられるから」

「本当に幽霊かよ……」

 現実離れした会話の内容に、智明は頭を抱える。

「ただ服とかさ、いつも同じだと嫌だから貸してほしい」

「そういう問題か?」

「毎回同じ服のダサい奴って思われたくないじゃん」

 相手もそんな些細なことは気にしないと思うのだが。家族なら尚更どうでもよく思う筈だ。

「分かった。じゃあ一度俺の家に来るか?」

 今日の配達が全て終わったとはいえ、あまり長時間留守にすると、千恵美から電話が掛かってきてしまう。話の続きは家で聞く方が賢明だ。

「ああ、頼むわ。……それと」

「どうした? まだ何かあるの?」

 マキは茶化すように合掌する。

「ごめんだけど、俺、幽霊だから金持ってなくて。ご馳走様です」

 智明は呆れたように天を仰ぎ、注文票を手に取りレジへと向かった。

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