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峰山香織B02
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それが新鮮なうちに早速読書感想文を書こうと、机に原稿用紙を広げてシャーペンを手にした。感想文は縦書きで自筆でなければならず、コンピュータで打ち込んでプリントアウトすることは許されていない。頭の中で全体の構成を考えながら、まずは最初の一文字を刻もうとした。
そのときだった。
『でき損ない』――
自分の作品への無慈悲な酷評が、記憶の墓場から鮮烈に蘇ってきた。それはあたかも、私を死地へと引きずり込もうと手を伸ばす、一体のゾンビのようだった。視界が躍り、原稿用紙が歪む。呼吸は乱れ、手が震えて止まらない。気付けばシャーペンが指の隙間からこぼれ落ち、床に音立てて跳ねていた。思わず手首を握り締め、わななきを抑えようとする。
『でき損ない』――
駄目だ、どうしても止まらない。遂には吐き気をもよおして、急いで机から離れた。倒れこむように窓にすがりつく。生ぬるいが新鮮な風を吸い込み、どうにか気分を落ち着かせようとした。
「どうしたんだ、峰山くん。顔が真っ青だぞ」
心配そうな少年の声がした。口元を手の平で押さえながら見上げれば、そこには秀三の驚いた顔があった。どうやら彼は部室に入るなり、うずくまっている私を発見したらしい。秀三が片膝をつくと、七三分けと黒縁眼鏡の端正な顔が私に接近した。
「どうした、具合が悪いのか? 熱でもあるのか? しっかりしたまえ」
「大丈夫」
「それならいいが……。ん?」
机の上のシャープペンシルと課題図書、そして原稿用紙を見て、秀三はいぶかしんだ。
「課題読書感想文を書こうとしていたんだな。……おいおい、この冒頭からの、ガラスがひび割れたような曲線は何だ? そんなに体調が悪いのに 全く、峰山くんは無茶をする……」
「違う」
私は首を振った。そう、自分は身体の調子が優れないのではない。
「来て」
「どこへ?」
「私んち」
「はぁ?」
私は戸惑う秀三をよそに、立ち上がって荷物をまとめ始めた。消えかけている、と思っていたあの忌まわしい記憶。それはいまだにみずみずしく残り、決して薄れてなどいなかった。
これある限り、自分は永遠に何も執筆できないだろう。そんなの真っ平だ、と私は呼吸を整える。自分の夢は小説家であり、この悪夢の鎖は必ず断ち切らねばならないものだった。
なら、どうすればよいか。私には分からなかった。だが秀三なら分かるかもしれない。1学期を通して本を借りるうち、秀三の優しさを熟知していた私だった。
資料と本が乱雑に置かれた私の部屋で、机にあるパソコンの画面が点灯している。そこには私の作品『三日月雄馬の推理』への、五十嵐先生の過酷な論評が映し出されていた。それを全て読んだ上で、秀三はつぶやいた。
「これはひどいな……」
私は画面を直視できず、ファイルを開いた直後にそっぽを向いている。トラウマに怯える自分はまるで子ネズミのようだ。
椅子に座っているであろう秀三が、納得したようなため息をついた。
「この五十嵐とかいう馬鹿が、この文章で峰山くんの気持ちをずたずたに引き裂いていたわけだ。そうか、それでものを書くことに対して拒絶反応ができて、常成高校に入学しても文芸部に入らなかった、というわけか……」
椅子の軋む音がして、高い位置から声が届いてくる。立ち上がったのだ。
「で? きみは今、これをどう思っているのかね?」
「……残念」
私は何となしにそうこぼした。それは嘘いつわらざる心情だ。だが、それに対する秀三の反応は激烈だった。
「なぜ残念で済ませる!」
私が初めて聞く秀三の怒声だった。あまりのことにびっくりしてすくんでしまう。恐る恐る振り返ると、目の前の秀三は怒っていた。それも、怒髪天を衝くほどに。この人も怒ることがあるのかと、私はまじまじと彼を見つめる。秀三は気持ちを落ち着けるように、せかせかと円を描いて歩き回った後、唐突に顔を上げた。そして私に近づき、その両肩を痛いほど掴んだ。
「最低だ。五十嵐とかいうやつは最低だ。確かにこの世のどんな作品も、読者の論評から逃がれることはできない。厳しい批評、容赦ない批判、鋭い指摘。物語の作者は、それらを甘んじて受け止める必要がある。だけどね」
私は黒縁眼鏡のレンズ越しに、秀三の真剣な瞳をまぶしく見つめた。彼は私のために怒ってくれているのだ。そう、私のために。そのことが明瞭に感じ取れた。
秀三は言葉を瞬間瞬間で吟味し、己の舌にのせる。私に何といえば理解してもらえるか、試行錯誤しているのがありありと看取された。
「だけどね峰山くん、五十嵐のこれは論評ではない。誹謗中傷だ。それも、中学生の女の子の力作に、対価を得ておいて何らの良心もなく、心ない罵倒で踏みにじるものだ。もう一度言うけど、こんなものは、こんなものは論評ではない!」
そこでいったん言葉を区切り、秀三は今度は優しく語りかけてきた。
「峰山くん、悲しむんじゃない、残念がるんじゃない、傷つくんじゃない。怒るんだ。怒って怒って、こんな奴の言うことなど足で踏みつけてやればいい。そうして無駄な相手に付き合ってしまったと、唾でも吐きかけてやればいい。論評に怒るのは大人げないが、誹謗中傷に怒らないのはもっと大人げないんだぞ! 分かるかね、峰山くん。分かってくれるかね?」
私はそんなことは百も承知だった。だけどそれを他人が認めてくれた。他ならぬ、読書部の先輩が認めてくれた。それがとても嬉しくて、ありがたくて。手ひどい傷心を、そっと癒しの手で撫でてくれたようで。その優しさが、とても温かくて……
気付けば私は、秀三の胸に額を預けて号泣していた。涙は次々にこみ上げて、粒となってカーペットに落下していく。声を上げて泣くなど、いつ以来だろう。
「秀三……! うう……あああ……!」
秀三はためらうことなく、優しく抱き締めてくれた。
そのときだった。
『でき損ない』――
自分の作品への無慈悲な酷評が、記憶の墓場から鮮烈に蘇ってきた。それはあたかも、私を死地へと引きずり込もうと手を伸ばす、一体のゾンビのようだった。視界が躍り、原稿用紙が歪む。呼吸は乱れ、手が震えて止まらない。気付けばシャーペンが指の隙間からこぼれ落ち、床に音立てて跳ねていた。思わず手首を握り締め、わななきを抑えようとする。
『でき損ない』――
駄目だ、どうしても止まらない。遂には吐き気をもよおして、急いで机から離れた。倒れこむように窓にすがりつく。生ぬるいが新鮮な風を吸い込み、どうにか気分を落ち着かせようとした。
「どうしたんだ、峰山くん。顔が真っ青だぞ」
心配そうな少年の声がした。口元を手の平で押さえながら見上げれば、そこには秀三の驚いた顔があった。どうやら彼は部室に入るなり、うずくまっている私を発見したらしい。秀三が片膝をつくと、七三分けと黒縁眼鏡の端正な顔が私に接近した。
「どうした、具合が悪いのか? 熱でもあるのか? しっかりしたまえ」
「大丈夫」
「それならいいが……。ん?」
机の上のシャープペンシルと課題図書、そして原稿用紙を見て、秀三はいぶかしんだ。
「課題読書感想文を書こうとしていたんだな。……おいおい、この冒頭からの、ガラスがひび割れたような曲線は何だ? そんなに体調が悪いのに 全く、峰山くんは無茶をする……」
「違う」
私は首を振った。そう、自分は身体の調子が優れないのではない。
「来て」
「どこへ?」
「私んち」
「はぁ?」
私は戸惑う秀三をよそに、立ち上がって荷物をまとめ始めた。消えかけている、と思っていたあの忌まわしい記憶。それはいまだにみずみずしく残り、決して薄れてなどいなかった。
これある限り、自分は永遠に何も執筆できないだろう。そんなの真っ平だ、と私は呼吸を整える。自分の夢は小説家であり、この悪夢の鎖は必ず断ち切らねばならないものだった。
なら、どうすればよいか。私には分からなかった。だが秀三なら分かるかもしれない。1学期を通して本を借りるうち、秀三の優しさを熟知していた私だった。
資料と本が乱雑に置かれた私の部屋で、机にあるパソコンの画面が点灯している。そこには私の作品『三日月雄馬の推理』への、五十嵐先生の過酷な論評が映し出されていた。それを全て読んだ上で、秀三はつぶやいた。
「これはひどいな……」
私は画面を直視できず、ファイルを開いた直後にそっぽを向いている。トラウマに怯える自分はまるで子ネズミのようだ。
椅子に座っているであろう秀三が、納得したようなため息をついた。
「この五十嵐とかいう馬鹿が、この文章で峰山くんの気持ちをずたずたに引き裂いていたわけだ。そうか、それでものを書くことに対して拒絶反応ができて、常成高校に入学しても文芸部に入らなかった、というわけか……」
椅子の軋む音がして、高い位置から声が届いてくる。立ち上がったのだ。
「で? きみは今、これをどう思っているのかね?」
「……残念」
私は何となしにそうこぼした。それは嘘いつわらざる心情だ。だが、それに対する秀三の反応は激烈だった。
「なぜ残念で済ませる!」
私が初めて聞く秀三の怒声だった。あまりのことにびっくりしてすくんでしまう。恐る恐る振り返ると、目の前の秀三は怒っていた。それも、怒髪天を衝くほどに。この人も怒ることがあるのかと、私はまじまじと彼を見つめる。秀三は気持ちを落ち着けるように、せかせかと円を描いて歩き回った後、唐突に顔を上げた。そして私に近づき、その両肩を痛いほど掴んだ。
「最低だ。五十嵐とかいうやつは最低だ。確かにこの世のどんな作品も、読者の論評から逃がれることはできない。厳しい批評、容赦ない批判、鋭い指摘。物語の作者は、それらを甘んじて受け止める必要がある。だけどね」
私は黒縁眼鏡のレンズ越しに、秀三の真剣な瞳をまぶしく見つめた。彼は私のために怒ってくれているのだ。そう、私のために。そのことが明瞭に感じ取れた。
秀三は言葉を瞬間瞬間で吟味し、己の舌にのせる。私に何といえば理解してもらえるか、試行錯誤しているのがありありと看取された。
「だけどね峰山くん、五十嵐のこれは論評ではない。誹謗中傷だ。それも、中学生の女の子の力作に、対価を得ておいて何らの良心もなく、心ない罵倒で踏みにじるものだ。もう一度言うけど、こんなものは、こんなものは論評ではない!」
そこでいったん言葉を区切り、秀三は今度は優しく語りかけてきた。
「峰山くん、悲しむんじゃない、残念がるんじゃない、傷つくんじゃない。怒るんだ。怒って怒って、こんな奴の言うことなど足で踏みつけてやればいい。そうして無駄な相手に付き合ってしまったと、唾でも吐きかけてやればいい。論評に怒るのは大人げないが、誹謗中傷に怒らないのはもっと大人げないんだぞ! 分かるかね、峰山くん。分かってくれるかね?」
私はそんなことは百も承知だった。だけどそれを他人が認めてくれた。他ならぬ、読書部の先輩が認めてくれた。それがとても嬉しくて、ありがたくて。手ひどい傷心を、そっと癒しの手で撫でてくれたようで。その優しさが、とても温かくて……
気付けば私は、秀三の胸に額を預けて号泣していた。涙は次々にこみ上げて、粒となってカーペットに落下していく。声を上げて泣くなど、いつ以来だろう。
「秀三……! うう……あああ……!」
秀三はためらうことなく、優しく抱き締めてくれた。
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