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第1章〜逃走編〜

第4話

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「うりゃあ!」
 ザクッ! ザクッ! ザクッ……!

 木津川へ向かう途中の畦道で、足軽中隊からはぐれた足軽小隊(15名)と戦闘を交わす。組頭らしき男を斬り倒すと、其奴そいつの陣笠を奪って山沿いまで走った。

「はぁ、はぁ……」
「若、ここまで来れば大丈夫ですかな」
「流石に木津川付近は警戒されてるな」
 俺らは一旦避難して山林入り口の土手沿いで仰向けに転び、呼吸を整えた。
「その陣笠は、ひょっとして……?」
「六郎、はら減った」
「なるほど、山菜鍋といきますか?」  
 足軽の鍛鉄たんてつ製陣笠は、野営など食事の際には大鍋として用いることができる。

 俺は嗅覚を効かせ食材を探す。さっきからネギの匂いが気になっていた。すると土手沿いに自生してる草を発見した。
野蒜ノビルだ」

※野蒜(ヒガンバナ科ネギ亜科ネギ属)
日当たりのよい土手、畦道に生える多年草。根元に直径2センチ程の玉ねぎのような形をした部分を食す。味はにんにくとらっきょうの間くらいである。

 それを摘んで山林へ入ると、今度は広葉樹の枯れ木の上に折り重なるように発生してるキノコを見つけた。
「これはヒラタケだな」

※ヒラタケ(ハラタケ目ヒラタケ科ヒラタケ属)
広葉樹の幹や根元へ自生する食用キノコ。味、香りには癖がなく、古くは平安時代より親しまれている一般的なキノコである。

「よく簡単に食材を見つけますな、若」
「ああ、我ながら助かるよ」
 俺の特技はこんな時、大いに役立つ。当然のことながら人は食わなければ生きていけない。生命に関わる大切な『食材』を見つける能力に感謝しなければならないと思った。

 六郎が火起こし、俺が下処理をしてヒラタケ、野蒜の山菜汁を作ることにした。小枝や木の幹で箸、木杓子きじゃくしをこしらえる頃には、グツグツと煮えて出来上がる。
「うーん、ヒラタケのダシが効いてる」
「野蒜も美味いですぞ」
俺たちは、しばしの食事を楽しんだ。

***

 一方で……。

 岡山口の本陣には敵方総大将である徳川二代将軍・秀忠がいる。『秀頼公ご自害』の報を受け、側近である安藤重信と今後の対応について協議していた。

「大野治房も死んだか」
「奴には少々焦りましたな」

 大野隊には一時本陣を脅かされ混乱したが、前田利常隊の善戦と家臣に止められながらも秀忠自身が槍を取り奮戦するなどして、何とか持ちこたえたのだ。
親父家康からは徹底した残党狩りを指示されておる。わしが総大将なんじゃがのう」

 家康の残党狩りは凄まじく、1日につき50人~100人という人たちが、毎日ひっ立てられて処刑されたと言う。
 また、徳川方の雑兵たちが乱取りに奔り、大坂城下の民衆を襲い財産を略奪、そして女性を手篭めにするなど大阪は混乱の一途を辿った。

「大御所さまも、あの真田に相当攻め込まれたらしく、左衛門佐真田幸村の首を執拗に探してるとのこと」
 天王寺口の戦では、真田隊が家康の本陣に突撃を繰り返し大混乱に陥った。家康自身も逃走し一時は自害も考えたと言うくらいだから、真田には恐怖を感じているだろう。

「真田か……わしも関ヶ原では真田親子昌幸・幸村にしてやられたわ」
 慶長5年(1600年)の関ケ原の戦では、中山道から進軍した秀忠軍が、信濃上田城の真田昌幸攻めに時間を空費し、決戦に間にあわず家康の勘気を被ったという苦い思い出があった。

「だが、左衛門佐は討ち取られたと聞いたが?」
「重症は間違いなく……ただしるしは未だ見つかってないようで」
「そりゃ親父も安心して寝れんな。ははは」
「それと、妙な報告がありまして」
「何じゃ?」
「秀頼公ご遺体を検分したところ、1級品の太刀が無く、曲輪から逃げ出した男が持ち去ったのではないかと」
「山里曲輪の者は全員自害したんじゃないのか」
「どうも、居るはずの真田の倅が居なかった様子。それに逃げ出した男は、赤備え具足にて異様に強く、井伊隊を次々と斬り倒したとのこと」
「なんだと!?」

 秀忠は暫く考え込む。山里曲輪の男が赤備え具足であれば真田を意味する。

「豊臣家の宝刀は一国以上の価値があると聞く。それを奪い合うことで世が乱れるのは避けねばならん。重信よ、伊賀の者を使え。真田の倅を生け捕りの上、刀を奪うのじゃ!」
「上様、生け捕り……ですか!?」
「左衛門佐がもし生きてるなら、倅は利用価値がある」
「はっ……流石でございます。かしこまりました」
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