【完結】大魔術師は庶民の味方です2

枇杷水月

文字の大きさ
2 / 48

第1話 車窓

しおりを挟む
 1909年8月、マルセル領へ向かう汽車の窓から、ミュリエルは空を見上げた。

 目の覚めるような青い空は、見ているだけだというのに、夏半ばの盛暑が、ミュリエルの肌を焼いたように感じた。

 ミュリエルが生まれ育った首都パトリーの夏も、それなりに暑いが、パトリーより南に位置するマルセルは、それ以上に暑いらしい。

 フィンは、暑い夏が好きだと言っている。自分はどうだろうかと、ミュリエルは考えた。

 春は花が咲き乱れ美しい季節だ。秋は宝石のように青々と輝いていた木の葉が、枯れゆく様を眺めては、命の終わりを少し悲しく思う。冬は世界の全てが時間を止めてしまったかのように、ひっそりとした気配を感じる。

 夏は?ミュリエルは、夏を連想させるものを頭に思い浮かべた。ジゼルの家庭菜園、赤く熟れたトマト、あっさりとしていて、クセのないズッキーニ、舌を楽しませてくれるパプリカ。夏野菜は、どれも瑞々しいから好ましい。

 だが、夏が好きかと問われたら、特段好きではないと答えるだろうという結論に達した。ミュリエルが好きなのは冬だ。

 寒い日の暖かい暖炉の火、布団の中の温石の温もり、ほのかに甘く香るホットミルク、どれも幸せを感じる。

 マルセルの夏を存分に楽しもうと、ミュリエルは心に決めていた。

 今回のマルセル旅行は、フランクール王国、国王オーギュスト・ルフェーブルから贈られた、ミュリエルとフィンへの結婚祝いだ。

 ミュリエルはその資金を使い、ミュリエルの養父母モーリスとジゼル、祖母のような存在のシャンタル、ミュリエル薬店の従業員イザベルとギャビーとユーグとティボー。

 フィンの家族からは、ニーブール伯爵ヘリベルト・グライナー、その妻アンネリーゼ、三男でフィンの兄ジークフリート、次女でフィンの妹エルフリーデを招待した。

 フィンの両親から、結婚を許可されたらの話だが、教会に婚約式を行う予約も、しっかりと入れてある。

「何考えてるの?」フィンが、車窓を見つめるミュリエルに訊いた。

「楽しい思い出になればいいなと思っていました」

 ミュリエルの伏せられた目元と、ほんの僅かに上がった口角に、フィンは優しく口づけた。

「当然楽しいさ、海で泳いでバーベキューして、夜遅くまで酒を酌み交わす。楽しさ満載だろう?」

「急遽だったにも関わらず、フィンさんのご両親と、ご兄妹の都合がつき、良かったです。無理をさせてしまったのではと、心苦しいです」

「気にすることないさ、領地は実質、長男のアルベルト兄さんと、次男のディートリヒ兄さんが切り盛りしてるようなもんで、父上はほとんど隠居してる、名ばかりの伯爵だよ」

「お会いするのが楽しみです」

 パトリーからマルセルまで、汽車を乗り継いで3日だが、ザイドリッツ王国ニーブール領からだと、汽車を乗り継いで1週間もかかるため、先にマルセル領へ向かい、疲れを癒してもらっている。

 汽車は4人1室のコンパートメントで——フィンとミュリエルで一部屋、モーリスとジゼルとシャンタルで一部屋、イザベルとギャビーとユーグとティボーで一部屋—–分かれて座った。

「ミュリエルさん、あとどのくらいでマルセルに着きますか?」ユーグがミュリエルとフィンのコンパートメントに顔を出した。

「あと2時間くらいでしょう」ミュリエルが答えた。

 10歳のユーグと、3月に誕生日を迎え、6歳になったティボーは、まだ幼いし、長旅をしたことが無いので、ほぼ半日を、汽車の中で座っていなければならない道程は、辛いだろうと思っていたが、ミュリエルの心配をよそに、2人は楽しそうだった。

 汽車に乗るのも初めてだったので、興味津々に車掌室を見学したり、遠くに見える牧場の牛を数えようとして目を回したり、道中宿泊したホテルでは、眠れないほどに興奮し、始終はしゃいでいた。

 はしゃぎ過ぎて疲れないといいがと、違う心配をすることになった。

「海に入れる?」弟のディボーも、ユーグの後ろからついてきて、ミュリエルの向かいに座った。

 パトリーは海に面していないので、ティボーは海を知らない。フィンから海の話を聞き、瞳を輝かせた。それ以来、ティボーは海に夢中だ。

「今日はもう遅いから、海は明日だな」フィンが答えた。

「フィン兄ちゃん、僕、海で人魚と友達になれるかな?」おとぎ話の人魚を、絶世の美女なんだと、フィンが、さも本物かのように語って聞かせたせいで、ユーグは人魚に夢中だ。

「もう、何言ってんのユーグ、人魚なんているわけないでしょう、フィンさんが、からかっただけよ」ギャビーが呆れて言った。

「姉ちゃんだって海に行ったことないんだから、いるかどうかなんて分かんないだろ。こういうのは、純粋な子供にしか見えないって決まってるんだ。俺は人魚を絶対に見てやるんだからな!」ユーグは言い返した。

 ミュリエルとフィンのコンパートメントに走っていったユーグとティボーを、ギャビーが連れ戻しにきたようだ。

 夫を強盗に殺され、女手一つで、3人の子供を育てなければいけなくなったイザベルは、仕事に明け暮れた。

 その代わりに、ギャビーは9歳の頃から、弟たちの母代わりとなるしかなく、14歳にしては大人びていた。

 最近はミュリエルの提案で、目標だった看護師を目指すか、薬師を志すか、心が揺れているようだ。

 ギャビーがユーグとティボーを連れて戻っていくと、またフィンと2人だけの空間になった。

「どうしたの?心配ごと?」

 フィンはマリオネットという、不名誉な徒名あだなまでつけられるほどに、表情を動かさないミュリエルの、微小な表情を敏感に察知できる、希少な人材だ。

 ミュリエルは、フィンも魔法が使えるのかもしれないと、いまだに疑っている。

「いいえ、ギャビーさんも、ユーグさんも、ティボーさんも、悔いのない人生を歩んで欲しいと、考えていただけです」

 伝説の人魚も霞むほどの絶世の美女が、隣で自分に向かって微笑むことを、フィンは幸運に思った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【12月末日公開終了】これは裏切りですか?

たぬきち25番
恋愛
転生してすぐに婚約破棄をされたアリシアは、嫁ぎ先を失い、実家に戻ることになった。 だが、実家戻ると『婚約破棄をされた娘』と噂され、家族の迷惑になっているので出て行く必要がある。 そんな時、母から住み込みの仕事を紹介されたアリシアは……?

次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢

さら
恋愛
 名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。  しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。  王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。  戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。  一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。

短編【シークレットベビー】契約結婚の初夜の後でいきなり離縁されたのでお腹の子はひとりで立派に育てます 〜銀の仮面の侯爵と秘密の愛し子〜

美咲アリス
恋愛
レティシアは義母と妹からのいじめから逃げるために契約結婚をする。結婚相手は醜い傷跡を銀の仮面で隠した侯爵のクラウスだ。「どんなに恐ろしいお方かしら⋯⋯」震えながら初夜をむかえるがクラウスは想像以上に甘い初体験を与えてくれた。「私たち、うまくやっていけるかもしれないわ」小さな希望を持つレティシア。だけどなぜかいきなり離縁をされてしまって⋯⋯?

残念な顔だとバカにされていた私が隣国の王子様に見初められました

月(ユエ)/久瀬まりか
恋愛
公爵令嬢アンジェリカは六歳の誕生日までは天使のように可愛らしい子供だった。ところが突然、ロバのような顔になってしまう。残念な姿に成長した『残念姫』と呼ばれるアンジェリカ。友達は男爵家のウォルターただ一人。そんなある日、隣国から素敵な王子様が留学してきて……

とある伯爵の憂鬱

如月圭
恋愛
マリアはスチュワート伯爵家の一人娘で、今年、十八才の王立高等学校三年生である。マリアの婚約者は、近衛騎士団の副団長のジル=コーナー伯爵で金髪碧眼の美丈夫で二十五才の大人だった。そんなジルは、国王の第二王女のアイリーン王女殿下に気に入られて、王女の護衛騎士の任務をしてた。そのせいで、婚約者のマリアにそのしわ寄せが来て……。

『白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?』

夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」 教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。 ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。 王命による“形式結婚”。 夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。 だから、はい、離婚。勝手に。 白い結婚だったので、勝手に離婚しました。 何か問題あります?

ボロ雑巾な伯爵夫人、やっと『家族』を手に入れました。~旦那様から棄てられて、ギブ&テイクでハートフルな共同生活を始めます2~

野菜ばたけ@既刊5冊📚好評発売中!
ファンタジー
 第二夫人に最愛の旦那様も息子も奪われ、挙句の果てに家から追い出された伯爵夫人・フィーリアは、なけなしの餞別だけを持って大雨の中を歩き続けていたところ、とある男の子たちに出会う。  言葉汚く直情的で、だけど決してフィーリアを無視したりはしない、ディーダ。  喋り方こそ柔らかいが、その実どこか冷めた毒舌家である、ノイン。    12、3歳ほどに見える彼らとひょんな事から共同生活を始めた彼女は、人々の優しさに触れて少しずつ自身の居場所を確立していく。 ==== ●本作は「ボロ雑巾な伯爵夫人、旦那様から棄てられて、ギブ&テイクでハートフルな共同生活を始めます。」からの続き作品です。  前作では、二人との出会い~同居を描いています。  順番に読んでくださる方は、目次下にリンクを張っておりますので、そちらからお入りください。  ※アプリで閲覧くださっている方は、タイトルで検索いただけますと表示されます。

幽閉王女と指輪の精霊~嫁いだら幽閉された!餓死する前に脱出したい!~

二階堂吉乃
恋愛
 同盟国へ嫁いだヴァイオレット姫。夫である王太子は初夜に現れなかった。たった1人幽閉される姫。やがて貧しい食事すら届かなくなる。長い幽閉の末、死にかけた彼女を救ったのは、家宝の指輪だった。  1年後。同盟国を訪れたヴァイオレットの従兄が彼女を発見する。忘れられた牢獄には姫のミイラがあった。激怒した従兄は同盟を破棄してしまう。  一方、下町に代書業で身を立てる美少女がいた。ヴィーと名を偽ったヴァイオレットは指輪の精霊と助けあいながら暮らしていた。そこへ元夫?である王太子が視察に来る。彼は下町を案内してくれたヴィーに恋をしてしまう…。

処理中です...