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伯爵家編
明かされる王子様の真実
しおりを挟む明けない夜はないように、今宵もまた陽は沈み、舞踏会の幕が上がる。
「なに辛気くさい顔してんだ、らしくないぞ?」
きらびやかなフロア。ダンスの輪を遠巻きに眺めていると、いつの間にかぼんやりしてしまっていたらしい。顔を上げると、従兄は呆れたような心配したような、微妙な顔をしていた。
「事件は解決したんだ。お前が気を揉むことはない。違うか?」
「そう、かもしれないけど……」
従兄の慰めに、メイベルは歯切れ悪く答える。
事件──レンジャー伯爵家に関するあれこれは従兄には秘密にしていたはず。……なのだが、蓋を開けてみればまったくの筒抜け。というのも、リチャードが情報収集のためクロードにも声をかけていたというのだ。
心配をかけまいとわざわざ口を閉ざし、沈黙を守っていたのがバカみたい。探偵ごっこはしょせん、子どもの遊びにしかすぎなかった。
「でも、……あれでよかったのかしら。他にもっといい解決法方があったんじゃないかって……、そう、思わずにはいられないの」
あの夜から一週間が経った。『故郷に帰る』という言葉通りエミリはメイドを辞め、キャンディの元から去っていった。
とはいえ伯爵家は相変わらず。夫人は病みがちだというし、それを厭ってか伯爵も仕事にばかり打ち込んでいるという話だ。
『でももう気にならないよ』舞踏会のあと、伯爵家を訪問したメイベルに、キャンディはそう語った。……どこか、晴れやかな顔で。
『ユリウス……兄さんも謝ってくれたし、私も……エミリに依存してたのは確かだから』
『だから酷いこと言ってごめんなさい』と、謝る彼女とはそのあともたくさん話をした。伯爵家での生活がどれほど孤独なものだったか……、そしてその【伯爵の娘】という地位さえ、奪われてしまうんじゃないかと不安に襲われていたこと……、そうしたことを聞かされ、『やはり彼女を責めることはできない』とメイベルは思った。
彼女からは他にもこの世界の真実について──つまりここは【ゲームの世界】であるらしい──も教えてもらったが、それについてはメイベル自身まだ消化できていないので、とりあえず横に置いておくことにした。
ともかく一連の事件はひとつの区切りを迎えた。けれどしこりのようなものがメイベルの胸には残っていた。
彼女たちのためにできることが他にもあったんじゃないか……なんていうのは、おこがましい考えかもしれないけれど。
「気にするな。……と言っても難しいよな」
「……うん。でも大丈夫よ、私なりに折り合いをつけるから」
「……そうか」
努めて明るく振る舞うと、いやに優しい目を向けられた。それはきっと妹を慈しむ兄のようなもので──くすぐったかったけれど、今は素直に受け入れることができた。
私はきっと、幸せものなのだろう。そう、メイベルは思う。
「……ああ、ほら、あちらにリチャード様がいらっしゃるぞ。挨拶に行ってこい」
「ちょっ、ちょっと待って……!私ひとりで!?」
「オレが着いていってどうするんだよ。わざわざこんな場で話すことなんてないし」
「でも……!」
衆人環視のなか、人気者に声をかけるのは気がひける。最初からパートナーならまだしも、今はいち参加者でしかないのに……。
なのに殆ど押し出されるようにして、リチャードの元へ向かわされる。周りの視線が痛い。特に、同じ年頃の少女たちのそれは鮮烈だ。
引き返しかけて、でもその寸前で視線が交わる。灰色がかった蒼の瞳。幻想的な、煙る色。
なのにその芯からは熱のようなものが感じられて──その目を見てしまうと、もうダメだった。周囲のことなど関係ない。緩みそうになる頬を抑えるので必死だ。
「こんばんは、いい夜ですね」
そう声をかけられて、「リチャードさまがいらっしゃるお陰ですわ」なんてばか正直もいいところ。
でもだって、仕方ないじゃない。彼は朝露を含んだバラの一輪で、黎明の広がりゆく空で、皎皎たる雲間の月なのだから。世界中の詩を集めたって、このひとのすべてを表すことはできないと、メイベルは思う。
なのに彼は社交辞令のひとつだと捉えたらしく、「それはこちらのセリフです」と柔和に微笑む。自分の価値というものをわかっているのだろうか、と心配になってしまう。余計なお世話に違いないだろうけど。
「外に出ませんか?立ち話をするにはここは少し、騒がしい」
控えめな誘い方も相変わらずだ。でもちょうどよかった。メイベルにも話したいことはあったから。
差し出された手を取って、彼の隣を歩く。庭に出る──ただそれだけなのに、背中に視線を感じたのは気にしすぎ……なのだろうか。窺い見たリチャードの横顔は、貴族然としていて、なんとなく近寄りがたい感じがする。
やっぱり、違う立場の人間なんだわ。そう、ぼんやりと思う。彼には関係のない幾つかのことが、メイベルには気になって仕方がない。友だちだと言ってくれた彼の気持ちを大切にしたいのに、でもそれだけでは許されないこともある。
気にしないように、といつも言い聞かせてはいるのだけど──
「……疲れていますか?」
「え?」
「違ったならすみません。私にはそう見えたものですから」
庭先に出ると、澄んだ空気が胸に染み渡る。熱気や喧騒、噎せ返るほどの香水の匂いが、涼風に溶けていった。
メイベルを見下ろすリチャードは、僅かに眉根を寄せていた。気遣わしげな眼差しは、雲間から差し込む月明かりのよう。存外に明るい光に照らされ、メイベルは目を瞬かせる。
「そんなつもりはないのですけど……。ただ……その、どう切り出そうものかと」
「切り出す?何を?」
そんなにまじまじと見ないでほしい。居たたまれないような据わりが悪いような、そういった感覚のなかで、メイベルは目を泳がす。
至近距離で見る推しの顔には一向に慣れる気配がない。気を抜くと睫毛の数だとか長さだとかそんなことに意識がいってしまいそうになるし、思考がうまく纏まらなくておかしな言葉を口走ってしまいかねない。
だから「お礼を……」と答えるので精一杯だった。
「お礼を言われるようなこと、した覚えはないのですが」
「いえ、今夜のことではなくて……。……先日のことで、色々と調べてくださったのでしょう?リチャードさまのお陰で解決したのですから、……本当に、ありがとうございました」
「ああ、……ですがそれについても私は大したことをしていません。優秀な従者やあなたの従兄どのに助けられただけですから、礼なら彼らに」
「だとしても、リチャードさまが行動してくださった結果、わたくしやキャンディさまはこうして無事なのですから、やはりお礼を言わせてください」
月が雲に隠れる。風がやんで、梢の音さえ聞こえない。繁る木々は夜の闇。独り言に似た響きが、ぽつりと落ちる。
「……でも、あなたを傷つけた」
そう呟いた彼は、どんな表情をしていたのだろう。どんな目で、思いで、そう言ったのだろう。
立ち尽くすメイベルに、手が伸ばされる。それは頬に触れかけ、けれどその寸前で何かに阻まれたように止まり、やがては力なく下ろされた。その指先の意味するところを、メイベルは知らない。察することもできない。でも彼が何かを気に病んでいることはわかる。
──あなたが心を痛める必要なんてないのに。
「わたくしは何も傷ついてなどおりませんわ。それを言うならキャンディさまやレオナルドさまの方です。お二人とも運よく大事には至りませんでしたけど……。ですから、リチャードさまは何も、」
「……そう、私は何もできなかった」
美しいものはたとえ雨に打たれても、病に伏していても、それこそ死の間際であっても美しい。でも推しには笑っていてほしい。健やかであれ、と日々願ってきた。
だというのにこれはいったいどういうことだろう?煙る月明かり越しに見えるリチャードの顔は、自嘲の形をしているように思えた。
メイベルは言葉を失った。絞り出すような声に胸が締めつけられた。翳りなんて晴らしてあげたいのに、その手段が見つからなかった。
そんなメイベルを見つめて、彼は「すまない」と顔を歪めた。痛々しく、苦しげに。
「あなたを守るつもりで、結局私はあなたやあなたの守りたかったのものを傷つけた。それをずっと、謝りたいと思っていた」
「そんな、」
「私ではあなたを守れない。それを痛感させられた。レオナルドがあなたを庇ったのだと、理解した時に。……俺では、レオナルドに敵わない。最初から勝敗は決していたんだ」
彼の言葉が、ぐるぐる頭のなかを駆け巡る。何を言いたいのか、どうしてそこまで自分を責めるのかまったくわからない。
──いや。
わかりそうでわからないからこそ、もどかしい。もっと明確な言葉があるような気がするけれど──
「……感謝してはいけないのですか?わたくしはあなたに、リチャードさまに救われたのに」
「俺は君を救ってなど──」
「いいえ、救ってくださいましたわ。あなたはご存知ないでしょうし、理解してくださることもないでしょうけど。でも、あなたがいるから、わたくしは社交界から逃げ出さずに済んだのです」
人々の噂話には嫌気が差していたし陰口を叩かれるのだって本当はつらかった。社交界なんて嫌いだ、いっそ教会にでも身を寄せてしまいたい──そう思ったりもした。
でも舞踏会に行けばリチャードに会うことができた。遠目からでもその微笑みを眺めていられれば満足だった。映画の中では亡くなってしまった推しが、彼に似たリチャードには、生きて、幸せになってほしかった。やがて本当に好きな人と結婚して、いつかは子どもが生まれて、彼らを育てて、そして最後にはベッドのなかで物語の幕を下ろす。そんなハッピーエンドを想像するだけで幸せだった。
推しがいる人生とは、ただそれだけで満ち足りたものなのだ。だからせめて、感謝くらいはさせてほしい。
「ありがとうございます、リチャードさま。あなたはわたくしの命の恩人です」
笑みかけると、彼は目を細めた。ここには真白い月しか浮かんでいないのに。まるで眩しいものでも見たみたいな、そんな顔。
「……俺が、君を騙していたとしても?」
「何も変わりませんわ。嘘だとしても、わたくしが得た喜びは真実ですもの」
断言するのはフィクションを愛するがゆえ。虚構であるとわかっていても、時に物語は人を救うこともある。それを知っているから、リチャードの探るような問いかけにも怯むことはなかった。
「リチャードさまはわたくしに嘘をついていらっしゃるんですか?」
「……そう、だな。本当の俺は偽りばかりだ。振る舞いも、口調も……演じることに慣れてしまった」
「人は自然と演じるものですわ。わたくしだって……私だって本当は、とんだ跳ねっ返りだもの。それこそ社交界なんて飛び出して、どこかで手に職でもつけようかと考えたくらい」
「ああ、お針子や女優とか?」
「ええ、……でもどうしてそれを?」
以前打ち明けたことがあっただろうか?……いいや、あるはずがない。こんなことを話せるのは事情を知る従兄くらいしかいないはず。
そういえば、クロードとそんな話をしたのはいつのことだったかしら──?
「……君は変わらないんだな」
いつかと同じように──昔を懐かしむように──ちいさな笑みをたたえて、リチャードはメイベルを見つめる。
知らぬ間に雲は流れていったらしい。温もりを帯びた光が落ちてくる。舞台を照らす、スポットライトみたいに。
物憂い荘厳の中で、リチャードは片膝をつく。その躊躇いを滲ませた手がメイベルの指先を取り、強く握った。
それはまるで、物語の中の姫君と騎士のように。
「レディ・メイベル。どうか俺に、謝罪と告白の機会を与えてはくれないだろうか」
「え……」
謝罪も告白も、される心当たりがない。理解が追いつかなくて目を白黒させるメイベルを前にして、リチャードは苦笑した。
「本当はあの舞踏会より前から君のことは知っていたんだ。ずっと前から声をかけたいと思っていて……、だからクロードに頼まれた時には天啓だとさえ思った。……俺は君に、嘘をついていたんだよ」
幼子に言い聞かせる調子で、なのに痛々しささえ感じる笑みで、彼は続ける。「それにクロードにも」と。
「先日彼にも打ち明けた。君からの手紙を盗んだ俺を、彼は許してくれた。だが君にも話さなければならないと思った。本当の俺はひどく卑怯な男なのだと。……これ以上、信頼を寄せてくれる君に、嘘はつけなかった」
──君のことが、好きだから。
そう囁いた彼の目は、切なげに揺れていた。
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