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壮大なストーカー宣言
しおりを挟む夢を見た。いやに鮮明で鮮烈な夢を。姫神と呼ばれる自分ではない自分の、過去を垣間見た。
「前世、かぁ……」
そんなものの存在、泉は今まで信じてこなかった。信じてこなかったけれど、でも、夢から覚めた後も指先には感触が残っている。膚の柔らかさ、温もりの心地よさ、そのすべてがただの夢とは思えないほど色鮮やかに思い出すことができた。
「……なんて、考えてても仕方ないよね」
私は私だ。九条泉、どこにでもいる平凡な高校一年生。最近はちょっとばかし周りが騒がしいけれど、でも私は巻き込まれているだけ。命を狙われている被害者ではあっても、姫神などという大層なものではない。
所詮すべては過ぎ去った出来事。この夢が前世の記憶であろうとも、過去であることに違いはない。そう言い聞かせ、泉は両手で頬を軽く張る。
どうやら先輩は先に起き出したらしい。ベッドの横に敷いたはずの布団が綺麗に片付けられている。
……まさか客人に先を越されてしまうとは。
いやでも、さすがに早起きがすぎる。泉が時計を見やれば、針が指し示すのはいつもの起床より一時間も早い時間。
夜明けと共に起き出すなんて、前世の記憶があると身体の方まで高齢者仕様になってしまうんだろうか。そんな失礼なことを一瞬考えてしまい、慌てて首を振る。
──それにしても先輩はどこに行ったのだろう?
制服に着替え、顔を洗い、階下へと降りる。家の中はしんと静まり返っていて、どことなくよそよそしい気配。空気の冷たさにいいようのない不安感が煽られる。
まるで、知らない世界に迷い込んだみたい。
耳を澄ませても物音ひとつ、衣擦れひとつ聴こえてこない。泉は兄の部屋をノックしようかと考えて、寸前で思いとどまる。兄は夜型人間のひとだ。きっとベッドに入ったばかりだろう。その安眠を妨げる理由を、生憎と持ち合わせていない。
──ひとりが寂しいなんて、そんな、子どもじゃないんだから。
内心で苦笑し、泉はキッチンへ向かった。
コーヒーでも淹れて、一息つこう。身体が温まれば心の方も落ち着くはず。それにしたってどうしてこんなに心がざわつくのだろう?
あの夢のせいだ、とは認めたくなかった。
だってあれはただの夢だから。前世なんて関係ないんだから。ちっとも気にしてなんかいないんだから。だから、あんな夢ごとき──私には関係ない。私は私で、前世なんかに支配されない。影響なんてない。
あぁ、でも────、
「おはよう、九条さん。いつもより早起きだね」
ソファで入れたてのコーヒーを飲んでいると、ドアの開く音がして薫が姿を現した。
「おはようございます。そう言う先輩こそ早起きですね」
ていうかいつもって。起床時間まで把握してるんだろうか、このひとは。
「うん、目が覚めちゃってね。少し散歩に出てたんだ。ついでに不審者がいないかも見て回ったけど、静かなものだったよ」
「そう、だったんですか」
コーヒーを手渡すと、「ありがとう」と破顔一笑。陽の昇りきらないこの時間に見ると目がチカチカするほど。相変わらずパーフェクトな笑顔である。
しかしどこか引っ掛かる。曇りのない笑顔、だからこその違和感。明確な言葉にはならないけれど、何かがおかしい。
泉は平静を装いながら、隣に座ったひとの様子を窺い見る。
「ん?どうかした?」
……つもりだったのだけど、すぐにバレてしまった。
小首を傾げる仕草すら優雅。曇りない眼に見つめられ、泉は口ごもる。
別に、このひとのことを疑っている訳じゃないけど。でも、なんだろう──何か見落としているようなものがある気がしてならない。
「先輩は……どこにも行かないですよね」
「え?」
「いえ、あの……すみません、少し、夢見が悪くて」
たぶん、そういうことだろう、きっと。落ち着かないのも、心細いのも、ぜんぶ。ぜんぶ、自分ではない誰かの断片的な記憶を見てしまったせいだろう。
都合のいいことだ、と泉は内心苦笑する。
身勝手なのは私も一緒。自分を好きだと言ってくれたから、守ると言ってくれたから、だから先輩を利用してる。気持ちに応えてないのに、報いる術を持たないのに、……なのに先輩は、そのことに触れないでいてくれる。誰のものにもならなければいいなんて、そう言って。
殺されても文句は言えないな、と思った。
「……ごめんね、九条さん。不安にさせてしまったよね」
なのに先輩は。
姫神だった女と心中を図ったはずのひとは。その女の来世であるというだけの理由で【九条泉】を殺してきたはずのひとは。──心底から申し訳ないといった表情で、泉の肩を抱いた。
「ひとりにさせてごめん。そりゃあ不安にもなるよね。まだ呪いは解けていないんだから……これじゃ本当に守る気があるのかって、俺を疑うのも無理ないことだ」
「いえ、そんな……」
「でも俺は約束を違えたりはしない。信じてほしい……なんて、言える立場じゃないけど。九条さんに生きていてほしいと、今はちゃんとそう思えているから」
真っ直ぐな目──だった。曇りのない、榛色の瞳。澄んだ双眸で、彼は泉を見つめていた。
とても嘘を言っているようには見えない。そもそも過去を垣間見た今、約束を違えた自分に彼をなじる権利はあるのだろうか?そうしたいと思っているのだろうか?
引っ掛かりを呑み込んで、泉は「ありがとうございます」と彼の胸に頭を預けた。彼の体からは龍脳の、どこか懐かしい匂いが感じられた。
「ただいま──って、おぉいっ!距離が近いぞお前たち!そういうのは陰でこっそりやるもんでしょうが!」
しかし静寂は瞬く間に破れ去る。
リビングに通じるドアが開いた──かと思えば、響き渡るのは悲鳴じみた叫び。ジャージ姿の兄、清志は朝から元気いっぱいだ。
「お兄ちゃんも外に出てたの?珍しいね、こんなに早起きなんて」
「いや、ネトゲしてたら普通にオールになってただけ。んで、目が冴えちゃったからコンビニ行ってた。コーラとポテチがないと俺は生きていけないからな」
「もう……、そんな生活してたら体壊すよ?」
「要介護になったら可愛い妹とずっと一緒にいられるならそれも悪くないかなぁ」
「安心してください、お義兄さん。その時は俺も手伝いますから」
兄の戯言には慣れている。真面目に受け止めるだけ損だ。
泉はそう認識しているから冗談も「はいはい」と聞き流せるけど、薫はそうじゃない。真面目な顔で将来の義兄(だと本気で信じているらしい)の世話をかって出る。将来設計はすっかり彼のなかで出来上がっているようだ。
清志は「え、コワっ」と僅かに身を引く。「こいつ、顔はいいけどちょっとやべーぞ」耳打ちに、泉の顔は引き攣る。
……ちょっと、というか、だいぶ?片想いの相手と入水自殺を図る程度には、芳野薫はぶっ飛んでいる。……なんて、兄に言えるはずもないけれど。
「あのねぇ芳野くん、」
「薫、と呼んでください。我々は義兄弟となるのですから」
「だからそれが気が早いっつーに」
「ですがあと一年もすれば俺も十八になりますし……」
「いやそうかもしれんがね、キミ……さすがに学生結婚っつーのは現代の感覚じゃあちょっとねぇ……」
「では卒業したら妹ぎみに求婚してもよいと」
「そんなこと言ってないんだが???」
すごいなぁ、と泉は他人事のように思う。何がって、あの兄がツッコミに回っていることだ。
兄はネットの海で数々の論戦(ようするにただのレスバだ)を繰り広げてきたらしいが、素でボケ倒す薫にはさすがに敵わないらしい。「なにこいつ会話になんねぇ」と早々に白旗をあげ、「疲れたよパトラッシュ」と抱き着いてくるものだから、かわいそうになってしまった。
「よしよし、お疲れのネロくんはそろそろベッドに行こうね」
「ネロだけに寝ろって?」
「お兄ちゃん?」
「はぁい、我が麗しき妹ぎみの命するままに」
バカなことを言って、兄は自室に消える。その前に泉の頬に口づけていくのは忘れずに。
その背が見えなくなってから、泉は薫が何事か考え込んでいるのに気がついた。
「どうかしましたか、先輩?」
「いや……、ちょっとね」
なんだろう。そう、言葉を濁されると却って気になるんだけど。
もしかして、呪いについて何か思いつくことがあったのだろうか。泉がじっと見つめると、薫は物憂げに目を細めた。
「君に触れられるというなら、兄というのも悪くはなかったかなと思って」
「はぁ……」
「来世では兄妹という関係もいいかもしれないね」
いや、同意を求められても。
……ていうかそれって、来世まで追いかけてくるってこと?将来設計だけじゃあきたらず、来世設計までとは……。
「まぁ、いいんじゃないですかね…………」
深く考えるのも面倒になって、泉は適当な相槌を打った。
前世は前世、来世は来世だ。今の私とは関係ない。関係ないから、うん、来世の私も頑張ってほしい。
泉は考えることを放棄して、コップを傾けた。冷めたコーヒーはあんまり美味しくなかった。
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