貴様の手の甲に誓いの口づけを

三崎

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26.宮殿へ

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 聖ミルギスタ王国王都、民から宮殿と呼び親しまれる巨大建造物の一角にイシュメルの姿があった。騎士とは思えない軽装で、腰に古風な剣をぶら下げて、赤じゅうたんの廊下を足早に歩く。目指す先は宮殿の最奥部に位置する玉座。現国王オリヴァー・アンドレイの元だ。

 イシュメルが廊下の角を曲がったとき、偶然にも見知った2人組を鉢合わせた。

「イシュメル様?」

 そう驚きの声を上げる者は、子犬のように人懐こい顔をした青年だ。名をリュイ・ヒルデという。もう一方の青年もまた、イシュメルの顔を見て悲鳴に近い声をあげた。

「イシュメル様、生きていたのですか⁉」

 この青年の名はザカリ・アスラム。リュイを子犬と例えれば、きりりと勇ましいドーベルマンのような顔立ちをした青年だ。
 2人の青年に行く手を塞がれ、イシュメルは歩みを止めた。

「リュイ、ザカリ。久しぶりだな……また生きて会えてよかった」

 イシュメルがそう顔を綻ばせれば、2人は泣き出しそうな表情となった。

 ザカリとリュイは、かつてイシュメルとともに魔王城へと赴いた。ザカリは判断力に優れており、小柄なリュイは敵地の偵察や応急処置を担当。騎士イシュメル、聖女アリシア、戦士兼知将ザカリ、戦士兼救護リュイ。聖ミルギスタ王国国王オリヴァーの名により任ぜられた輝かしきパーティーだ。
 無論、魔王討伐は失敗に終わったわけだけれど。

「イシュメル様。その節は本当に申し訳ございませんでした」

 と頭を下げる者はザカリ。

「ん、何の謝罪だ?」
「魔王城で、貴方を置き去りにして逃げたことへの謝罪です。私どもが軒並み戦意を喪失する中で、イシュメル様だけは魔王討伐を諦めなかった。騎士の名に恥じぬ見事な戦い様でございました。しかし私どもは自らが生き延びるために、貴方を見捨て逃げることを選びました……」
「そのことは気にしないでくれ。あの場では正しい判断であった。私を助けようとしたところで、皆そろって黒龍の胃袋に飲み込まれていたことだろう。それに、結果的に私は死ななかった。こうして5体満足で生きている」

 そう語るイシュメルの顔を、手足を、ザカリとリュイは穴が開くほど見つめた。ギオラと戦ったときに負ったすり傷や打撲は、魔王城へ滞在する間にすっかり治ってしまった。
 今イシュメルの身体にある傷跡といえば、エイダの強烈なひざ蹴りの痕だけ。その痕ももう2日と経たずに消えることだろう。

 目立った外傷はなく、やつれてもいない。それどころか生気に満ち溢れたイシュメルを、ザカリとリュイは不思議そうに眺めるのだ。

「イシュメル様……まさかとは思いますが、魔王城から自力で逃げ出してきたのですか?」
「ん、ああ。その件については少々複雑な事情があって――」

 イシュメルは言葉を区切り、考え込んだ。

「……すまないが、2人とも少し付き合ってくれ。オリヴァー国王殿下に謁見したい」
「何ゆえですか?」
「魔王救出に際し助力を乞うためだ」
「はぁ……?」

 リュイとザカリは同時に首を傾げた。

 *

 玉座には国王であるオリヴァーの他、もう一人イシュメルの知る人物がいた。腰まで伸びた銀色の髪に、宝石のような緑色の瞳。唇はさくらんぼのように紅く艶やかで、衣服から伸びる手足は白樺のように白く細い。清らかな容姿の少女は名をアリシア。聖ミルギスタ王国にただ一人の聖女だ。
 アリシアはイシュメルの姿を見ると、ただでさえ大きな瞳をさらに大きく見開き、イシュメルの元へと駆けてきた。

「イシュメル・フォード。生きていたのですか⁉」

 イシュメルは優しく笑った。

「聖女アリシア。心配をかけてすまなかった。奇妙な縁に恵まれ、こうして命を繋ぐことができた」
「今までどこにいらっしゃったのです。まさか魔王に囚われて――?」

 続くアリシアの言葉を、イシュメルは手のひらで押し止めた。語りたいことは山ほどあるが、ここは玉座だ。国王オリヴァーへの挨拶を蔑ろにするわけにはいかなかった。
 イシュメルは玉座に座るオリヴァーに向け、うやうやしく膝をついた。

「オリヴァー国王殿下。魔王を倒さずに再び御前へと参上したこと、まことに不甲斐なく存じます」

 オリヴァーからはすぐに言葉が返ってきた。

「貴殿が生きていたことが何よりだ。黒龍の咆哮は雲をも焼き払うと聞く。よくぞ無事に帰ってくれた」
「は……慈愛に溢れたお言葉、ありがたく存じます」

 床に膝をついたまま、イシュメルはちらりと視線を上げた。
 聖ミルギスタ王国第27代国王オリヴァー・アンドレイ。御年31の若い身でありながら、賢王と呼ばれるに相応しい品格と貫禄を有している。黄金色の頭髪はさながら獅子のたてがみ、力強い眼光は獲物を狙う鷹のよう。

「してイシュメル・フォード。私に何用であったか。2人の戦士まで引き連れて」

 重低音の声が、張り詰めた空気を震わせた。イシュメルは短く返事をした後、しばし間を置いて語り出した。

「国王軍を動かしていただきたい」
「ふむ……それは何のために? まさか国王軍全軍を率いて魔王討伐へ赴くつもりか」
「魔王討伐のためではなく魔王救出のために、国王軍を動かしたいのです」

 ふむ、とオリヴァーは眉を動かした。
 玉座に向けて膝をついたまま、イシュメルはこの数日の間に起こった出来事を語った。

 一度は捕虜として魔王城の地下牢に捕えられたものの、夜のうちに牢から抜け出し、オーディンの指輪を用いて魔王の魔力を封じることに成功したこと。初めこそ魔王を殺すつもりでいたが、城に滞在するうちに魔王との和解が可能であると判断したこと。魔王とともにこの宮殿を目指していたところ、魔王が暴漢の手により連れ去られてしまったこと。
 一連の出来事を、極力言葉を選びながら語ったのだ。

 説明に際し、魔王が元人間の少女を眷属として城に置いていること、宰相セロとの因縁については、ひとまず言及を避けた。あまり話を複雑にしてしまっては、肝心のギオラ救出から話が逸れてしまう可能性があるからだ。
 イシュメルが全てを語り終えたとき、オリヴァーは無骨な指先であごを撫でた。

「成程……貴殿は聖ミルギスタ王国と魔王との間で友好関係を構築すべきと考えるか……」
「はい。魔王は言動や行動が多少攻撃的であることは確かですが、王と呼ばれるに相応しい知性と品格を有しています。魔族は人間の敵であるとの先入観を捨て、腰を据えて話をすれば、友好関係の構築は十分に可能と存じます。人間と魔族の共存は初代国王シルバ・アンドレイの悲願。今こそ初代国王の悲願を達成すべき時かと」

 これがイシュメルが国境の街バルザを離れ、はるばる王都へと赴いた理由だ。

 ギオラの失踪に気が付いた後、イシュメルは無我夢中でバルザの街を駆け回った。ギオラに関する目撃情報を集めるためだ。
 しかし数時間に及ぶ聞き込み調査の末、成果と言える情報は何もなし。その結果を受けてイシュメルは、ギオラを連れ去った者はセロであると結論付けた。ロキの指輪を用いてイシュメルに化け、人気のない路地へとおびき寄せた上で、馬車に乗せて連れ去ったのだ。

 セロの犯行が計画的なものであったとしたら、いくら街を駆け回っても手掛かりなど見つかるはずもない。本気でギオラを探そうと思えば人手が必要になる。王国中の街・集落をしらみ潰しにできるだけの膨大な人出が。
 その人出を確保するためには、国王オリヴァーに謁見を図り、王国軍の投入を認めさせることが最も手っ取り早かった。聖ミルギスタ王国の王国軍は総勢777名。加えて国王がギオラ捜索を認めれば、各集落の役所や私兵隊にも協力を仰ぐことが可能になる。例え時間はかかっても、かなりの確率でギオラを見つけ出すことは可能だろう。

 オリヴァーの長考は数分に及んだ。もう一押しだとイシュメルが口を開きかけたそのとき、突然口を開いた者はアリシアだった。

「オリヴァー国王殿下。イシュメル・フォードは悪しき術にかかっています」

 イシュメルははっとアリシアの顔を見た。

「聖女アリシア。一体何を」
「魔王が彼を操っています。王国軍を国家の中心地から引き離させ、その隙に宮殿へと攻め入るつもりなのでしょう。目的は殿下の命か、それとも人類の降伏か」

 瞬間、場の空気が凍り付いた。敵意に満ちた4対の瞳がイシュメルに向けられていた。
 聖ミルギスタ王国における聖女の発言権は強い。直接国政に意見できる立場ではなくとも、聖女の意見は国王や大臣の意志決定に多大な影響を及ぼす。今日、今この時のように。

「待ってくれ! 魔王は決してそんなことを企んでは――」
「イシュメル・フォードを捕えよ」

 オリヴァーの命令が、絢爛の玉座に無慈悲と響いた。
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