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36.毒を食らう
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「魔王と聖ミルギスタ王国の間で交渉が決裂した理由については、私の口から話そう」
イシュメルの声は、静寂に包まれた神殿内に大きく響き渡った。オリヴァーと大臣たちが怪訝そうにイシュメルを見た。無関係の人間が何様のつもりだ、と。
長らく無言であったアリシアが、皆の思いを代弁すべく声を荒げた。
「イシュメル・フォード。1000年前の出来事について貴方が何を語ろうというのです。私たちが聞きたいのは、当事者である魔王の主張。無関係の人間が何を語ろうと、それは真実であるとは認められません」
「だから当事者である私の口から話をしようと言っている。適当に創り上げた物語ではない。私自身の脳味噌に刻み込まれた、私自身の記憶の話だ。それなら問題はないだろう?」
アリシアは心底意味がわからないというように眉をひそめた。
「……どういう意味ですか?」
イシュメルは神殿の隅々にまで届くように、ゆっくりとした口調で語り始めた。
「私には前世の記憶がある。前世だけではない、前々世、前々前世、さらにその前……私の中にはたくさんの人々の記憶が積み重なっている」
「そんな虚言を信じるとお思いですか」
「虚言と捉えてもらっても結構。私とて、これらの記憶が真実であると証明することはできない。ただの現実に酷似した夢、という可能性も十分にあるのだから」
「それならば――」
「私の主張が真実であるかどうかは、全てを聞き終えた後にゆっくりと判断してくれ。それが聖女の務めであり、神判のあるべき姿だ」
イシュメルが微笑めば、アリシアは居心地が悪そうに肩をすくめた。勝気なアリシアにも。十分な尋問を行うことなく魔王を処刑しようとしたことへの罪悪感はあるらしい。
物音一つしない神殿内をぐるりと見回し、イシュメルはまた語り出した。
「私の記憶の起源は1000年前。当時の私はセロ・リューガンという名前であった。知識豊富な歴史家ならばこの名を知っているだろう。聖ミルギスタ王国の初代宰相、国家の頭脳であった男だ」
ギオラがはっと息を飲んだ。かちゃり、と鉄枷が鳴る。しかしささやかな鉄枷の音は、ザカリの声に飲み込まれて消えた。
「確かにそのような名の宰相がおりました。詳しい経歴は存じませんが、歴史書で名前を見かけたことがあります。名簿の初めに書かれた名前というのは、目に留まりやすいものですから」
「ザカリ、援護に感謝する。聖ミルギスタ王国が建国4年目を数えた年、宮殿に魔王が招かれた。初代国王シルバ・アンドレイが、魔族と人間の共存を実現すべく、魔王を宮殿に招き入れたのだ。私は魔王に一目惚れをした。魔王の全てが欲しいと思った。薄汚い本性を隠して魔王に近づき、酩酊状態になるまで酒を飲ませ――魔王を犯した。力づくで」
人々がどよめいた。
「翌朝、私は魔王に殺された。当然の報いだ。しかし国王シルバを含む宮殿の関係者は、私と魔王の間に何があったかを知らない。魔王が一方的に宰相を惨殺したのだとして、共存交渉を打ち切った。それだけではなく魔王城に向けて幾度となく国王軍を派遣した。魔王を殺すために。事情が事情であるだけに被害者である魔王は口を閉ざし、憎しみの上にいびつな歴史が積み上がっていった」
イシュメルが語る間にも、観覧席の至るところからは様々な声が聞こえ始めていた。「その宰相が悪者だってこと?」「作り話じゃないの」「前世の記憶があるなどと言われてもねぇ」
騒めく人々の耳に流れ込む、幼い澄んだ声。「あの人の言うことは嘘じゃないよ。だって神罰が下されないもの」
「肉体を滅ぼされても私の魂は死ななかった。魔王への執着ゆえだろうか。次にこの世界に生を受けたとき、私は魔王のことを忘れてはいなかった。魔王が欲しいと願い、何度も魔王城を訪れた。何度も何度も、生まれ変わるたびに魔王を求めた。魔王が1000年もの間、人間と歩み寄れずにいたのは私の存在があったからだ。私がどのような姿でこの世に生を受けるかわからないのだから、魔王にとっては人類全てが敵も同然だ」
人々はまた息を潜め、イシュメルの紡ぎ出す物語に聞き入っていた。
前世の記憶があるなどという都合のいい話があるはずもない。誰しもがそう考えながら、しかしイシュメルの主張を虚言だとは決めつけられずにいた。神器が働かないからだ。
神殿の四隅に据えられた『ノルンの涙』、その効力により、神殿内では噓偽りを述べることができない。祭壇で話される事柄は全てが真実である、聖ミルギスタ王国の民はそう信じて疑わない。
「魔王殿下……今の証言は真であるか。初代宰相に暴行行為を働かれたこと、宰相の生まれ変わりなる男に日々を脅かされていたこと」
オリヴァーの問いかけに、ギオラは静かにうなずいた。
「……ああ、真実だ」
1000年ものあいだ隠され続けていた真実が明らかとなった。紐解かれた歴史を前にして、オリヴァーと大臣らはほぅと息を吐いた。アリシアだけが、イシュメルに鋭い眼光を向けていた。
「イシュメル・フォード。今の貴方はどちらなのです。崇高なる聖ミルギスタ王国の騎士か、それとも魔王に執着する故宰相か」
「私は私だ。魔王に対する多少の情はあるが、力づくで我が物にしてやろうなどとは思わない。現に魔王城で魔王と顔を合わせるまで、自分のものではない記憶のことなど気にもかけなかった。それでも魔王が処刑されると聞いたときには、多少頭に血は上ったが」
「……貴方が何かと魔王の援護をしようとしていたのは、そういう事情ですか」
イシュメルは少し間をおいてから言った。
「私は魔王の眷属になる。そう魔王と約束した。眷属になれば数百年に及ぶ寿命を手にすることができる。さすれば私の肉体が滅ぶまで、魔王はセロの強襲を恐れずに済むだろう。人間と魔族の共存は叶う」
これがイシュメルの覚悟だ。
神殿に集まった幾千の民を欺くと決めた。ギオラを生かすために無実の罪を背負うと決めた。
思えばギオラを殺すために愚かな嘘をいくつも吐いた。騎士としての誇りなど持たず、他者を傷つけるためだけの身勝手な嘘を平気で吐いた。イシュメルの吐いた嘘は巨大な斜め刃へと姿を変え、ギオラの喉首を切り落とさんとした。
犯した罪を償うためならば、喜んで毒を食らおう。セロの犯した罪も、ギオラの犯した罪も、喜んで肩代わりしよう。愚かな騎士でいるくらいならば、誇り高き悪になる。
ギオラは長いまつ毛をそっと伏せた。イシュメルの覚悟を知る者は、広い神殿にギオラただ一人だけ。
長い沈黙の後、オリヴァーが口を開いた。
「魔王殿下。貴殿は人間との共存を望むか。いびつに積み上がった歴史を崩し、我々とともに新たな歴史を刻むことを望んでいるか?」
「それが叶うのならば……力を尽くすと約束しよう。オリヴァー・アンドレイ国王殿下よ」
盟約の後、ギオラとオリヴァーは同時にアリシアを見た。
「聖女アリシア。神の名の下で神判を」
イシュメルの声は、静寂に包まれた神殿内に大きく響き渡った。オリヴァーと大臣たちが怪訝そうにイシュメルを見た。無関係の人間が何様のつもりだ、と。
長らく無言であったアリシアが、皆の思いを代弁すべく声を荒げた。
「イシュメル・フォード。1000年前の出来事について貴方が何を語ろうというのです。私たちが聞きたいのは、当事者である魔王の主張。無関係の人間が何を語ろうと、それは真実であるとは認められません」
「だから当事者である私の口から話をしようと言っている。適当に創り上げた物語ではない。私自身の脳味噌に刻み込まれた、私自身の記憶の話だ。それなら問題はないだろう?」
アリシアは心底意味がわからないというように眉をひそめた。
「……どういう意味ですか?」
イシュメルは神殿の隅々にまで届くように、ゆっくりとした口調で語り始めた。
「私には前世の記憶がある。前世だけではない、前々世、前々前世、さらにその前……私の中にはたくさんの人々の記憶が積み重なっている」
「そんな虚言を信じるとお思いですか」
「虚言と捉えてもらっても結構。私とて、これらの記憶が真実であると証明することはできない。ただの現実に酷似した夢、という可能性も十分にあるのだから」
「それならば――」
「私の主張が真実であるかどうかは、全てを聞き終えた後にゆっくりと判断してくれ。それが聖女の務めであり、神判のあるべき姿だ」
イシュメルが微笑めば、アリシアは居心地が悪そうに肩をすくめた。勝気なアリシアにも。十分な尋問を行うことなく魔王を処刑しようとしたことへの罪悪感はあるらしい。
物音一つしない神殿内をぐるりと見回し、イシュメルはまた語り出した。
「私の記憶の起源は1000年前。当時の私はセロ・リューガンという名前であった。知識豊富な歴史家ならばこの名を知っているだろう。聖ミルギスタ王国の初代宰相、国家の頭脳であった男だ」
ギオラがはっと息を飲んだ。かちゃり、と鉄枷が鳴る。しかしささやかな鉄枷の音は、ザカリの声に飲み込まれて消えた。
「確かにそのような名の宰相がおりました。詳しい経歴は存じませんが、歴史書で名前を見かけたことがあります。名簿の初めに書かれた名前というのは、目に留まりやすいものですから」
「ザカリ、援護に感謝する。聖ミルギスタ王国が建国4年目を数えた年、宮殿に魔王が招かれた。初代国王シルバ・アンドレイが、魔族と人間の共存を実現すべく、魔王を宮殿に招き入れたのだ。私は魔王に一目惚れをした。魔王の全てが欲しいと思った。薄汚い本性を隠して魔王に近づき、酩酊状態になるまで酒を飲ませ――魔王を犯した。力づくで」
人々がどよめいた。
「翌朝、私は魔王に殺された。当然の報いだ。しかし国王シルバを含む宮殿の関係者は、私と魔王の間に何があったかを知らない。魔王が一方的に宰相を惨殺したのだとして、共存交渉を打ち切った。それだけではなく魔王城に向けて幾度となく国王軍を派遣した。魔王を殺すために。事情が事情であるだけに被害者である魔王は口を閉ざし、憎しみの上にいびつな歴史が積み上がっていった」
イシュメルが語る間にも、観覧席の至るところからは様々な声が聞こえ始めていた。「その宰相が悪者だってこと?」「作り話じゃないの」「前世の記憶があるなどと言われてもねぇ」
騒めく人々の耳に流れ込む、幼い澄んだ声。「あの人の言うことは嘘じゃないよ。だって神罰が下されないもの」
「肉体を滅ぼされても私の魂は死ななかった。魔王への執着ゆえだろうか。次にこの世界に生を受けたとき、私は魔王のことを忘れてはいなかった。魔王が欲しいと願い、何度も魔王城を訪れた。何度も何度も、生まれ変わるたびに魔王を求めた。魔王が1000年もの間、人間と歩み寄れずにいたのは私の存在があったからだ。私がどのような姿でこの世に生を受けるかわからないのだから、魔王にとっては人類全てが敵も同然だ」
人々はまた息を潜め、イシュメルの紡ぎ出す物語に聞き入っていた。
前世の記憶があるなどという都合のいい話があるはずもない。誰しもがそう考えながら、しかしイシュメルの主張を虚言だとは決めつけられずにいた。神器が働かないからだ。
神殿の四隅に据えられた『ノルンの涙』、その効力により、神殿内では噓偽りを述べることができない。祭壇で話される事柄は全てが真実である、聖ミルギスタ王国の民はそう信じて疑わない。
「魔王殿下……今の証言は真であるか。初代宰相に暴行行為を働かれたこと、宰相の生まれ変わりなる男に日々を脅かされていたこと」
オリヴァーの問いかけに、ギオラは静かにうなずいた。
「……ああ、真実だ」
1000年ものあいだ隠され続けていた真実が明らかとなった。紐解かれた歴史を前にして、オリヴァーと大臣らはほぅと息を吐いた。アリシアだけが、イシュメルに鋭い眼光を向けていた。
「イシュメル・フォード。今の貴方はどちらなのです。崇高なる聖ミルギスタ王国の騎士か、それとも魔王に執着する故宰相か」
「私は私だ。魔王に対する多少の情はあるが、力づくで我が物にしてやろうなどとは思わない。現に魔王城で魔王と顔を合わせるまで、自分のものではない記憶のことなど気にもかけなかった。それでも魔王が処刑されると聞いたときには、多少頭に血は上ったが」
「……貴方が何かと魔王の援護をしようとしていたのは、そういう事情ですか」
イシュメルは少し間をおいてから言った。
「私は魔王の眷属になる。そう魔王と約束した。眷属になれば数百年に及ぶ寿命を手にすることができる。さすれば私の肉体が滅ぶまで、魔王はセロの強襲を恐れずに済むだろう。人間と魔族の共存は叶う」
これがイシュメルの覚悟だ。
神殿に集まった幾千の民を欺くと決めた。ギオラを生かすために無実の罪を背負うと決めた。
思えばギオラを殺すために愚かな嘘をいくつも吐いた。騎士としての誇りなど持たず、他者を傷つけるためだけの身勝手な嘘を平気で吐いた。イシュメルの吐いた嘘は巨大な斜め刃へと姿を変え、ギオラの喉首を切り落とさんとした。
犯した罪を償うためならば、喜んで毒を食らおう。セロの犯した罪も、ギオラの犯した罪も、喜んで肩代わりしよう。愚かな騎士でいるくらいならば、誇り高き悪になる。
ギオラは長いまつ毛をそっと伏せた。イシュメルの覚悟を知る者は、広い神殿にギオラただ一人だけ。
長い沈黙の後、オリヴァーが口を開いた。
「魔王殿下。貴殿は人間との共存を望むか。いびつに積み上がった歴史を崩し、我々とともに新たな歴史を刻むことを望んでいるか?」
「それが叶うのならば……力を尽くすと約束しよう。オリヴァー・アンドレイ国王殿下よ」
盟約の後、ギオラとオリヴァーは同時にアリシアを見た。
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