貴様の手の甲に誓いの口づけを

三崎

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39.寝室で

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 30分に起こしに来い、との命令を遂行すべく、イシュメルはギオラの寝室へと向かった。
 およそ一か月振りに立ち入るギオラの寝室は、記憶の中と何も変わらなかった。飴色天蓋をのせたベッドに、こっくりとした色合いの数々の調度品。眷属の誰かが頻繁に掃除に入っていたのだろう。窓にはくもり一つなく、床にはちり一つ落ちていない。
 
 イシュメルは抜き足差し足で部屋の中に歩み入ると、ベッドの脇にしゃがみ込んだ。
 ギオラは上着を脱ぐこともなく、毛布もかけることもなく、両手足を投げだして穏やかな寝息を立てていた。冗談ではなく本当に疲れていたようだ。しかしそれも仕方のないことだ。2週間に及ぶ監禁生活、慣れない宮殿への滞在、この一か月の間にギオラが満足に眠れた夜は少ないだろうと想像はつく。住み慣れた城へ帰り、緊張の糸が切れてしまったとしても不思議ではなかった。
 
 ギオラの寝顔を熱心に覗き込むイシュメルの耳に、不機嫌な声が飛んできた。
 
「人の寝顔をまじまじと見るんじゃない。悪趣味な奴だな」
 
 まだ眠たそうな銀色の瞳に睨まれて、イシュメルは意外そうに声をあげた。
 
「何だ、起きていたのか」
「今、起きた。匂いがしたから」
「匂い?」
「お前の匂いだ。近くで嗅ぐのは久しぶりだ」
 
 ギオラは再び目を閉じ、大きく息を吸い込んだ。イシュメルは自身の袖口に鼻を近づけるが、自分の匂いは自分ではわからない。そんなに変わった匂いがするだろうか、と首をかしげるイシュメルの耳に、ギオラの声が飛んできた。
 
「イシュメル、靴を脱げ」
 
 突然の命令に、イシュメルは疑問を返した。
 
「なぜ?」
「つべこべ言わずに脱げ。そしてベッドの上にのれ。扉の方を向いて横になるんだ」
「はぁ……?」
 
 つまりはギオラに背を向けて寝転がれ、ということである。意図のわからない命令に恐ろしさを感じながらも、イシュメルは大人しくベッドに横になった。突然殴られても驚かないよう、背中には目いっぱい力を込めて。
 しかしいつまで待っても衝撃はなく、代わりに背中に触れるものは人のぬくもり。
 
「ああ、これは良い抱き枕だ。あと15分寝るから、そのままそこにいろ」
 
 うなじに触れるその声で、ギオラが背中に抱き着いているのだと気付いた。
 途端に全身の体温が上がった。
 
「ギ、ギオラ! これは駄目だ、ちょっと色々とまずいやつだ! すぐに放してくれ!」
「やかましい、この肉枕めが」
「何と呼んでくれても良いから放してくれ! 本当……頼むから……」
 
 イシュメルが暴れれば暴れるほど、ギオラの腕は強く絡みつく。いくらイシュメルの方が力は強いとはいえ、ギオラとて成人男性だ。力の限りに抱き着かれれば、逃げ出すことは容易ではなかった。
 ついには脚まで絡まり出して、焦ったイシュメルは「せいやぁ!」と威勢のいい掛け声とともに、ギオラの拘束から抜け出した。勢い余ってベッドから転げ落ち、そのままよろよろと部屋の扉へと向かって行く。
 
「わ、私は剣の稽古でもしてくる。10分後の目覚まし役は、他の誰かに頼んでおく……」
 
 若干前かがみで部屋を出て行かんとするイシュメルの尻に、ギオラの声があたった。
 
「この俺が誘っているというのに。欲のない奴だな」
 
 イシュメルははっと振り返った。腕を枕代わりにしたギオラが、にやにやと笑いながらイシュメルを見ていた。
 
「誘……え?」
「ああ、気にするな。お前にその気がないのなら無理強いはしない。どうぞ存分に剣を振ってきてくれ。俺とてどうしても今すぐしたい、というほどではない。お前の匂いを嗅いで、一瞬そんな気分になっただけだ」
「か、からかっているのか……?」
「失敬な奴だな。俺がお前をからかったことがあるか」
「つい30分前にからかわれたばかりだが」
 
 一向に警戒心を解かないイシュメル。ギオラはふっとにやにや笑いを止めた。
 
「俺はお前をからかいはするが嘘は吐かない」
 
 ――お前の匂いを嗅いで、一瞬そんな気分になっただけだ
 その言葉は嘘じゃない。暗にそう伝えられているのだと気付いたときの喜びといったら。
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