春まだ遠く

璃々丸

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雪解け前の雨

一.

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 珍しく、まだ少し肌寒さの残る四月の朝。鷹藤ましろは自身の携帯の、目覚ましにセットしたメロディーで目を覚ました。
 寝ぼけ半分、手探りで携帯を探しだして目覚ましを止めると時間と曜日を確認した。


「ン・・・・・・ッ」


 ああ、憂鬱な月曜の朝だなあ、とそんな事を考えながらのそのそと動き出す。


 何時もより少し体がだるい気がする・・・・・・。


 ヒートが近いのかな、と壁にかかったカレンダーを見ながら溜息を吐いた。ヒートは三か月に一度、約一週間ほどフェロモンをまき散らすようになる所謂発情期の事だ。
 自身の意思とは関係なくこのヒートがやって来る為、一週間発情してしまうとそうなるともう、まともな生活は送れなくなるのでその間は家などに引き籠る事になる。


 幸い、ましろはそこ迄の重たいヒートになった事は無く、抑制剤で押さえられる程度で済んでいる。
 医者の診断では、首の後ろのフェロモンを出す器官が未熟だからだと言われた。
 今の所、重篤な症状も出ていない為様子見をしている所だ。


 制服に着替え、上着を持って部屋を出ると洗面所に向かう。歯を磨き、顔を洗う段になってふと、正面にある作り付けの鏡に映った自身が目に入る。
 小さな顔に、少し困ったように寄せられた細い眉とそして涙で潤んだような大きな瞳。通った鼻筋の下にある唇はよく嚙み締めるせいか、まるで南天の実のように赤い。


 サラサラの黒髪は目にかかる程度のショートヘアーで、彼の悲し気な表情を少しだけ隠してくれた。
 小さな顔を支える首もこれまた簡単に手折れそうに華奢で、白い肌と相まって雪の精のように儚げであった。


 典型的なオメガの特徴だ。容姿は可憐で儚げ、性格は従順で大人しい。概ねか弱く病弱な者が多くて、アルファの庇護が無ければまともに生きていけない・・・・・・。
 勿論、現代において生活様式も健康事情も大きく変わってきている為皆が皆、それに当てはまる訳では無い。


 こんなか弱い自分は嫌だが、オメガである以上どうする事も出来ない。持って生まれた第二性はどうしても変えられないものだからだ。


 顔を洗い終えたましろはダイニングに向かう。すると、ダイニングにはもう既に長兄の春人が居て、朝食を終えたのかテーブルには何も無くコーヒーを飲みながら寛いでいた。


「おはよう、ましろ」


 春人は鷹藤家のアルファで身長は190を超える長身だが、ぽっちゃり体型の、何処となくテディベアを連想させるような青年であった。
 その見た目通りの、優しく柔らかな声音で挨拶して来る。


「おはよう、春兄。アレ、夏兄は・・・・・・?」


 夏兄、とは次兄でましろと同じオメガだ。名は夏樹で、ましろとは見目も性格も真逆の存在であった。
 鷹藤家でまるで女王様の様に君臨してましろを率先していじめて来る存在であった。
 だから苦手なのだが、だからといってその存在を無視は出来ない。


「そう言えばまだ来ないね」


 どうしたのかな、とダイニングの出入り口を見た。何時もなら春人と同じくらいに起き出して、温サラダと紅茶、そして薄切りトースト1枚だけの朝食をゆっくり取っている所だ。
 春人は毎日和洋問わずしっかりたっぷり食べる。特に好きなのは厚切りベーコンとスクランブルエッグだ。
 そして更に4枚切りのトーストにたっぷりのジャムとマーガリンを塗って────と言うより乗せて────食べるのだ。
 ましろはたまにハムエッグを頼んだりするが、基本和食派である。


 起きて来ない夏樹を心配していたら、起こしに行っていたであろうお手伝いの加代子が入って来た。還暦前の彼女は兄弟が生まれる前から鷹藤家で働いている、ベータの女性であった。


「あ、加代子さん。夏樹はどうしたの?」


 春人の質問に加代子は眉を寄せ、彼の方を見た。


「はい、どうもヒートが始まられたみたいで・・・・・・」


 そう言って加代子は、心配げにちらりと2階の方に視線をやった。
 夏樹は見た目は派手で身長も春人と負けず劣らず長身だが、ヒートは人並みに重いようで、始まるとよく寝込んでいた。勿論一週間、学校は休みだろう。


「そうか、それなら仕方ないね。後で何か消化に良いモノを差しれてあげてね」


 加代子にそう言うと、今度はましろを見た。


「ましろはちゃんと薬を呑んでる?」

「うん、ちゃんとのんでるよ」


 普段からヒートをコントロールする為の錠剤を処方されているので、その事を聞いているのだろう。
 なのでましろは素直にそう答えた。  
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