春まだ遠く

璃々丸

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雪解け前の雨

二.

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「そう、これからも忘れないようにね」


「うん」


 春人の言葉にましろは頷いた。父の不在中は長兄がこの家を取り仕切っている。母の緋紗英も居るが、オメガだからか、普段から排除されていて発言権はほぼ無い。
 春人は優しいが、しかしアルファだ。従わない者を有無を言わさず従わせる能力を持っている。だからこの家で快適に暮らしたければ、普段から素直に従うしかないのだ。


 ましろは漸く椅子に座り、朝食に有り付いた。
 今日は焼き鮭と出し巻き卵、ほうれん草のおひたしとわかめと豆腐の味噌汁だ。こう言うスタンダードでシンプルな朝ご飯がましろは好きだった。
 しかし何時もの事だが慌ただしい朝はこれらをゆっくり味わう時間は無い。


 ましろは出来るだけ急いで朝食を食べるとパッ、と立ち上がりごちそうさまを元気よく叫んでリュックを手にしようとしたその時、春人が慌てて引き留めた。


「ましろ、薬っ!」


「・・・っ、いっけない!」


 ましろは処方されている白い錠剤をふた粒、口に放り込んだ。そして水で流し込む。


「・・・・・・ふう、じゃあ、行ってきますっ!」


「ああ、いってらっしゃい」


 リュックを掴み、玄関を出る。なだらかな石造りの階段を半ば駆け降り、その両脇に咲く花々に目をくれる事無く鉄製の門扉を開けると、家の前に黒塗りの車が待っていた。
 毎朝、この車で駅前まで送って行ってもらうのだ。


「おはようございます」

 
 運転手に挨拶しながら、自分で車の後部座席のドアを開け、乗り込む。シートベルトを締めると、それをバックミラーで確認した運転手が静かに車を走らせた。
 不愛想だが、運転はとても上手い。車に酔いやすいましろでも、この男の運転なら酔わないで駅まで辿り着けるからだ。


 駅には数十分程で着いた。ましろは礼を言って車のドアをすり抜けるようにして出ると、改札口へと向かう。
 毎朝通勤通学ラッシュに揉まれながら、数駅先の高校へとましろは通っていた。
 学校は所謂エスカレーター式でましろは幼稚園の頃から通っている、現在高校一年生だ。
 しかしこの学校、生徒の殆どがベータばかりで、アルファは先ずおらずオメガも自分を含め数名しか居ない。


 もっと家の近くに、夏樹も通っている高校があると言うのにどうして、と思わなくは無いがましろの将来の為だよと言われている。
 最初は不満があったが今では確かに、自分では鷹藤の家の為に政略結婚の駒としては役不足だから、将来家を出て社会に出た時戸惑わないように、今からベータの中で暮らす事に慣れないといけないのだと理解している。
 それにクラスメイト達は皆親切だし優しい。たまに意地悪をする奴らも居るが、クラスの大半はましろの味方だった。


 高校生活も楽しいし、このまま次はひとり暮らしをしながら大学にも通えたらな、と近い将来の事をうっすらと想像していた。
 学校は、駅から歩いて二十分程の坂の上にある。少し古い校舎だがそこそこの進学校でもあった。


「おはよー」


「ましろ君、おはよー」


「お、おはよーさん」


 教室に入るとクラスメイト達が挨拶してくれる。ましろも挨拶を返しながら教室の端、窓際の席に着いた。
 今日も変わらぬ一日が始まりそうだと、ちょっと退屈だとましろは思った。


 次兄夏樹はオメガだが、アルファばかりが通う、綺麗な校舎の学校に通っている。将来は官僚や医者になるであろう、様々なエリートの家系が通う事で有名な進学校だ。
 きっとお姫様みたいに扱われてるのかな、いや、あの兄だから女王様だろうか、などと想像してくすりと笑った。


 僕もたまには優しくされてみたいよね、とベータの友人達と比べて冷たいアルファの人達を思い出す。
 そんなに沢山のアルファを知っている訳では無いが、会う人会う人が皆ましろに対してよそよそしく、時には冷たいからそう思ったのだ。


 特に長男は基本優しいようで、ましろが甘えるのを良しとしてくれない。


 僕だって学校休みたい時だってあるのに・・・・・・。


 ヒートが始まって辛い日だってあるのに、『薬をちゃんと呑んで、学校へ行きなさい』と言うだけだ。
 夏樹相手なら大慌てで医者を手配したりするのに。


 どうしてこんなに差を付けられるのだろう?
 そう思って母に聞いても『ごめんね、母さんのせいで・・・・・・』と泣くばかりだ。
 そうなると聞きづらくて何も言えなくなるのだ。


 早く、あんな家から出たいなあ・・・・・・。


 早く大人になりたい、とましろは教室の片隅でぼんやりとそう思った。  
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