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しおりを挟むトントン。
ピアノの音に紛れて、ノックする音が聞こえた。オレは指を止め「どうぞ」と応えた。ドアの上部には小窓があり、そこから聖愛の制服が見えている。
顔は見えないが、オレはそれが誰だか知っている。
静かにドアが開かれ、予想通りの人物が現れた。
「詩雨、おかえり」
「ただいま」
笑顔を見せながら内心、オレに気づくのに四日もかかったのか、と暗い気持ちになる。
「いつ帰って来た?」
「四日前」
「帰って来たら連絡くれって言ったろ」
「忙しそうだったから」
これはオレの精一杯のイヤミだ。
冬馬は「え?」と怪訝そうな顔をしたが、それは一瞬だけで、その意味を聞こうとはしなかった。
冬馬はドアを閉めて内に入ると、オレの隣に座った。
「あの曲……聴かせて」
ショパンの前奏曲『雨だれ』。初めて彼の前でピアノを弾いた日に聴かせた曲で、冬馬のお気に入りだ。
外はしとしと雨が降っている。それと同じくらい優しく奏でる。
演奏を終え指を止めると、冬馬はオレの手に自分の手を重ねた。
「やっぱり……お前の音が一番好きだ。落ち着く……」
逆にオレの心臓は忙しなく波打つ。
( 無自覚にそういうことして、そういうこと言うのやめろっ )
冬馬の手がスッと離れた。そして立ち上がる。
「弾いてくれて、ありがとう。── 時間があったら、秘密基地に来いよ」
その胸の内に何があるのか、口許に笑みを浮かべているのに、何処か苦しそうに見えた。
「じゃあ」
冬馬は部屋を出ていった。オレはドアをぼんやりと見つめ、既にいなくなった冬馬に言う。
「……この曲、ほんとは嵐の日に作られたんだよ── 今のオレの心と一緒だ」
オレは再び鍵盤に指を置いた。
ショパンのエチュード。作品十第四番。『Torrent(激流)』という愛称で呼ばれている。
弾き始め、しかし、数小節でつかえて止めた。
「やっぱ、まだ、全然ダメだな」
ふっと小さく息を吐く。
この曲は最近練習し始めたばかりだった。ショパンのエチュードの中でもかなりの難曲だ。でも、それだけではない。脳裏には別のことが浮かび、少しも集中できていなかった。
( アイツのこと、話さなかったな…… )
指は鍵盤の上に置いたまま、ぼんやりと考える。
( 何をそんなに落ち着かせることがある?アイツに対する気持ちか?あんなに、苦しそうな顔して…… )
自分の考えたことに落ち込む。今日はもうこれ以上弾く気になれず、ピアノの蓋を閉め、オレは部屋を出た。
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