さくらさくら……そのしたで

さくら乃

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 ぴたりと風が止む。
 まるで時が止まってしまったかのように。

 いったい何が起きたというのか。私は身体中の血が騒めくのを感じた。

 ゆっくりと時が動き始める。

 ちらちらと舞う桜。
 スローモーションのようにゆっくりと――崩れ落ちていく男。地面に降り積った花弁を掴むように暫く藻掻いている。やがて、男は動かなくなった。
 表情も無く立ち尽くす女。その手に握られていたナイフが月光に煌めきながら落ちていった。

 白いワンピースに紅い花弁。
 血で染まった細い指を紅い舌がぺろりとなぞる。
 ふふっと彼女は笑った。ぞっとする程美しい微笑だった。

「渡さない……遥さん……貴方を誰にも渡しはしないわ……」
 彼女はその場にしゃがみ込み、花弁に埋もれていく男の頭を自分の膝に乗せた。
「ねぇ……遥さん。貴方はもう何処にも行かないわね? ずっと……あたしの傍にいるわね……ねぇ、遥さん」
 愛おしげに言い、まだ温かみが残っているであろう唇に自分の唇をゆっくりと重ね合わせた。

 それは――美しい光景だった。

 桜の花弁を風が再び狂ったように散らし始める。愛おしい男をいだく女を覆い隠す。
「ふふ……遥さん……遥さぁ……ん……ふふふ」
 何も見えなくなっていた。
 いつの間に月は雲に隠れていたのだ。
 ただぼんやりと闇に浮かぶ桜と、女の声が聞こえるのみ。



「ふふ……ふふふ……」
 女は笑っていた。あの時のように。
「ふふ……遥さん。そんなところにいたのね……」
 彼女はその場にしゃがみ込み木の根元のこんもりと盛り上がっている土を払い始める。
 何か白い物が見えた。
 私ははっとした。
「嫌よ、遥さんたらそんなところに隠れたりして……意地悪しないで――ほおら、捕まえた」
 そう言って彼女が両の腕で抱き抱えたのは、真珠色に輝く頭蓋骨だった。
 以前は柔らかな肉がついていた頬を愛おしげに頬擦りをし、艷やか紅い唇を寄せる。
「ふふ……ふふふ……遥さん……」
 この世のものとは思えない程に美しい微笑みだった。

 愛しい男をその腕にいだいた美しい鬼女。

 背筋に戦慄が走る。身体中から汗が噴き出す。私は地面がぐらりと揺れるような奇妙な浮遊感に襲われた。
 私は走った。
 しかし走っても走っても笑い声が私の身体に絡みついてくる。

 騒めく桜。 
 狂い散る花弁。

 気がつくと私は鳥居を抜けていた。
 辺りは静かだった。
 恐る恐る振り返ってみると、そこには誰もいなかった。
 ただただ……桜の花弁が雪のように降りしきるだけ。



 そこかしこに桜の木が植わってる公園。私が最終バスで最寄りのバス停を乗り過ごし、二つ先のその公園脇のバス停で降りたのはその三度。
 自宅からは歩いても行ける距離だ。
 休日の昼間に公園にやってきてもその周辺にはくだんの神社を見つけたことはけしてなかった。


 
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