白銀(ぎん)のたてがみ

さくら乃

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 足に絡みつく程に繁った瑠璃の花。谷全体を覆い尽くすような甘やかな香り。
 そのなかを歩き、切り立った場所から見下ろすと、川の水すら見えないその場所に、白銀の輝きを見た。
 

 夢のなかで……。
 夢か、現実かもわからないあの夜の。
 あの場所で、白銀の獅子と出逢った……。


 トールはその輝きに向かって走った。険しい岩肌にも瑠璃の花が繁っていて、元の形をとどめていない。
 途中何度も踏み外しそうになったり、転んだりしながら、辿り着く。
 彼が近くまで来たのに気がつくと、前足を伸ばし座っていた獅子が、ゆったりと立ち上がる。
 銀のリボンは、彼の足許にあった。
 トールは背から一本矢を抜き取った。

「──を、噛み殺したのは、お前だな」

 甦った、もうひとつの記憶。
 それは、ずっと幼い頃の。

 小さな自分の頭上を飛ぶ銀色の獅子。
 ギャッというような、表現しがたい悲鳴。
 振り返ると、仰向けになっている男を獅子が踏みつけにしていた。
 男のアイボリーの服が紅く染まっていく。

 
 男──父さんの顔は、とは似ているようで違っていた。


「そうだ。お前の父親を殺したのは、私だ──お前は、どうする?」
 頭のなかに、静かな声が響いてくる。

『次に出逢った時……お前はどうするだろう』

 夢の、また夢のなかで囁かれた……。
 謎かけのような言葉。
 今ならその意味が解る。
 

 どうする?
 どうする、だって?
 
 
 「こうするさ」

 矢をつがえ、キリキリと引く。
 銀の獅子に向かって。

 白銀の獅子は、静かにそれを見ていた。
 まるで、死を受け入れるかのように。


 どうする?
 
 どうする?


 頭のなかで木霊する。
 もう既に引き切った状態だというのに、矢は放たれない。
 ふるふると両手が震える。
 そして──矢は、全く違う方向へと放たれた。
 弓を手にしたまま、だらりと両の腕を下げた。


 やっぱり、無理だ……。


 が甦った時から、迷いはあった。
 今世こんぜで、人間ひととして、父親のかたきを討つか。
 それとも──。

「できないよ、だって」

 ずっと幼い頃なのに、鮮明に浮かぶ。
 森のなかで何度か巡り合った。
 優しい青と銀の瞳。
 温かな白銀のたてがみ。


 白子は──だったんだ。
 今眼の前にいる、彼も。

 ──ボクがイオを殺せる筈がない。

 それに──。

 
 それよりも、もっと、ずっと、遥か遠い過去の記憶。


 ボクラハ……フタリデ……。

 
 白子は、ボクをどうするだろう。


 項垂れながら、そっと視線を彼の方に向けると、獅子は今しも飛びかかろうとしているところだった。

「!!」

 白銀の軌跡を残しながら跳躍する。

「イオ……っっ」

 トールは仰向けに地に倒され、その身体全体で、獅子の重みを感じた。

    
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