──緑に還る──

さくら乃

文字の大きさ
20 / 44
第五章

5

しおりを挟む
 詩雨はフロントで聞いた客室まで急いだ。走りながら、天音の言葉が何度も浮かぶ。

( あのコがいなければって、思うことあるだろ? )

 その度に足が止まりかけては
( そんなことあるわけない )
 と、打ち消して、また走りだす。

 やっと目的の部屋のある階まで来る。足早に客室のナンバーを確認していくと、半開きになっている扉があるのを見つけた。駆け寄って確認する。先程フロントで聞いたナンバーだった。

 内から争っているような声や物音が聞こえてくる。
( ヤバいっ )
 近くには人影はなかったが、誰かに見られるのは困る。
 部屋の内に飛び込むと急いで扉を閉めた。

 バタンと大きな音がしても、ふたりはこちらに気づかない。もう既に、争っている、という状態ではなかった。
 冬馬が壱也の胸倉を掴んで、一方的に殴っていた。壱也が意識を保っているかも定かではない。
 冬馬の顔の傷や、部屋の調度品が壊れて散乱しているところを見ると、壱也も幾らかは応戦したのかも知れない。しかし、彼よりも体格が良く、幾つもの武道・格闘技の心得のある冬馬には敵わなかったのだろう。
「冬馬!やめろ!」
 近くで叫ぶがまったく耳に届いていないようだ。


( 秋穂は…… )
 この部屋にはいない。
 隣の部屋がツインのベッドルームだ。
 奥のベッドに誰かが横たわっているのが、フットライトの淡い光の中に見えた。確認するまでもなくそれは秋穂だろう。
「秋穂!」
 詩雨はベッドに駆け寄った。
 秋穂は気を失ったままだ。しかし、さっきとは様子が違っていた。

 顔には殴られた跡がある。顔だけではなかった。赤いリボンタイはほどけており、オフホワイトのブラウスのボタンもすべて飛び散っている。はだけた上半身にも暴行を受けた跡があった。
「ひどい……っ」
 詩雨は隣のベッドから上掛けを運び、秋穂にそっとかけた。彼のことは取り敢えずそのままにする。
 先にあっちをどうにかしなければならない。

 詩雨は隣の部屋に戻った。
 まだ冬馬は壱也を殴りつけていた。
( これ以上はダメだろっ )
 詩雨は冬馬を背中から押さえようとした。
「やめろっ、トーマ!これ以上やったら、死ぬからっ!」
 それでも彼はやめない。逆に詩雨が吹き飛ばされた。床にしたたか打ちつけられたが、すぐに立ち上がって、今度はふたりの間に割り込もうとした。
「やめろってばっ!」
 その時、冬馬が拳を振り上げ ── 詩雨の顔を殴りつけた。
「つう……っ」
 頬を押さえてしゃがみ込む。口内に血の味が広がった。

「し……う?」

 動きが止まった。
 やっと、冬馬の瞳が自分を捕らえたのを、感じた。
    
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

ショコラとレモネード

鈴川真白
BL
幼なじみの拗らせラブ クールな幼なじみ × 不器用な鈍感男子

愛しているかもしれない 傷心富豪アルファ×ずぶ濡れ家出オメガ ~君の心に降る雨も、いつかは必ず上がる~

大波小波
BL
 第二性がアルファの平 雅貴(たいら まさき)は、30代の若さで名門・平家の当主だ。  ある日、車で移動中に、雨の中ずぶ濡れでうずくまっている少年を拾う。  白沢 藍(しらさわ あい)と名乗るオメガの少年は、やつれてみすぼらしい。  雅貴は藍を屋敷に招き、健康を取り戻すまで滞在するよう勧める。  藍は雅貴をミステリアスと感じ、雅貴は藍を訳ありと思う。  心に深い傷を負った雅貴と、悲惨な身の上の藍。  少しずつ距離を縮めていく、二人の生活が始まる……。

秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~

めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆ ―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。― モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。 だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。 そう、あの「秘密」が表に出るまでは。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる

結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。 冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。 憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。 誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。 鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。

ふれたら消える

明樹
BL
昊と青は仲の良い兄弟。いつもどこでも一緒だった。しかしある出来事を境に二人の心が離れてしまう…。

《完結》僕が天使になるまで

MITARASI_
BL
命が尽きると知った遥は、恋人・翔太には秘密を抱えたまま「別れ」を選ぶ。 それは翔太の未来を守るため――。 料理のレシピ、小さなメモ、親友に託した願い。 遥が残した“天使の贈り物”の数々は、翔太の心を深く揺さぶり、やがて彼を未来へと導いていく。 涙と希望が交差する、切なくも温かい愛の物語。

僕がそばにいる理由

腐男子ミルク
BL
佐藤裕貴はΩとして生まれた21歳の男性。αの夫と結婚し、表向きは穏やかな夫婦生活を送っているが、その実態は不完全なものだった。夫は裕貴を愛していると口にしながらも、家事や家庭の負担はすべて裕貴に押し付け、自分は何もしない。それでいて、裕貴が他の誰かと関わることには異常なほど敏感で束縛が激しい。性的な関係もないまま、裕貴は愛情とは何か、本当に満たされるとはどういうことかを見失いつつあった。 そんな中、裕貴の職場に新人看護師・宮野歩夢が配属される。歩夢は裕貴がΩであることを本能的に察しながらも、その事実を意に介さず、ただ一人の人間として接してくれるαだった。歩夢の純粋な優しさと、裕貴をありのまま受け入れる態度に触れた裕貴は、心の奥底にしまい込んでいた孤独と向き合わざるを得なくなる。歩夢と過ごす時間を重ねるうちに、彼の存在が裕貴にとって特別なものとなっていくのを感じていた。 しかし、裕貴は既婚者であり、夫との関係や社会的な立場に縛られている。愛情、義務、そしてΩとしての本能――複雑に絡み合う感情の中で、裕貴は自分にとって「真実の幸せ」とは何なのか、そしてその幸せを追い求める覚悟があるのかを問い始める。 束縛の中で見失っていた自分を取り戻し、裕貴が選び取る未来とは――。 愛と本能、自由と束縛が交錯するオメガバースの物語。

処理中です...