──緑に還る──

さくら乃

文字の大きさ
37 / 44
第十一章

3

しおりを挟む
 冬の遅い夜明け。部屋が薄明るくなった頃、冬馬はふと眼を覚ました。隣ではまだ秋穂が眠っている。その寝顔を見ながら、彼は柔らかな髪を軽く梳く。

 何度か繰り返された行為の途中で、秋穂は気を失った。

 我ながら、ガキくさい、と冬馬は思った。最初はゴムをする余裕すらなかったし、一度では気が済まず何度も抱いた。
 この年齢としになって、まるでやりたい盛りの少年ガキみたいだ。
 その時期にさえ、こんなに堪え性のなさはなかった。どんな女に対しても、肉体の熱はあっても、心の中は何処か冷めているのを自覚していた。

「ん……冬馬……」

 何度も髪や頬に触れていると、やがて秋穂が眼を覚ました。柔らかな羽毛の内の秋穂は、寝やすい服装に替えられていた。事後、意識を飛ばした彼の身体を清め、着替えさせたのは冬馬だ。

「勝手したよ。拭いたけど、あとでシャワー浴びて……な」

 優しく声をかけられるが、ふいっと秋穂は彼から顔を背向けた。

 照れているのか、それとも怒っているのか判じかねながら、秋穂の背に身を寄せる。
「身体、辛いよな。ごめん、俺余裕なくて……」

 常にはない不安げな色を滲ませて耳許で囁く。恐る恐る抱き寄せた背は微かに震えていて、顔を背けた理由が、思い浮かんだどちらとも違うのだろうと感じた。
 その胸の内を探ろうと、彼の顔を覗き込んだ。

 何かを思いつめたような表情をしている。どう見ても、お互いに長い間秘めていた想いが通じ合い、一晩中愛し合った後とは思えない表情かお。叶うことが奇跡に近いような想いだったというのに。
 実際叶ってみたらやはり思い違いだったとか、一晩だけの情事にしたかったとか ── 不安は次第に広がっていくが、今はただ秋穂の言葉を待った。

 秋穂はゆっくりと身体を起こし、背をベッドに凭せかける。
「壱也さんの言ったことは、本当なんだ」
 ぽつりと言う。なんのことだか判らず、更に先を待つ。

義父ちちからはもう話があった。喪が明けたら再婚する ── ほんとに、人をなんだと思っているんだろうね」
 秋穂はまったくこちらを見ない。その横顔にはまるで表情がない。

「再婚……」
 彼の言うことがすぐに理解できず、我知らず口の中で呟いていた。
「最後に……」
 やっと秋穂が顔を向ける。
「冬馬に……愛して貰えて良かった……」
 儚く微笑み、そして、すっと一筋涙を流した。

 ああ、そうか、と理解する。先程考えたことは間違えではなかった ── 一夜の情事にしたかったのだと。

「それで、アキは、今度こそ幸せになれるのか?」
 激しい憤りに怒鳴り散らしたいのをぐっと堪え、出てくる声はひどく低い。
「今度こそ、幸せな家庭を持てるんだな?」
 念を押すようなその言葉は、鋭い声と重なって搔き消された。

「幸せな家庭なんて、いらないよ」

 秋穂の瞳の中に怒りが揺らめいていた。彼がそんな眼で自分を見るのは初めてだ。

「冬馬は昔もそう言った。僕の婚約が決まった時。これで幸せになれる?って。 ── 家族に恵まれなかったからって、幸せな家庭を望んでいるなんて、なんで決めつけるの?冬馬にだけは言われたくないよ。そんなこと、今までに一度だって望んだことなんてなかったよ」

 そこまで一気に捲し立て、ふっと息をつき、「確かに……」と少しトーンを落とす。

「ふたりのことは愛おしかった。こんな幸せもいい……と思った。でも、結局失くした。だから、もう、いい。もう、いらないんだ。僕が欲しいのは ── 」

 じっと、冬馬の瞳を間近で見つめる。

「もう、ずっと、欲しいと想い続けていたのは ── 冬馬だけなんだっ」

 押し殺した声。でも、全身で叫んでいるようだ。瞳の中に、焼き切れそうな熱を感じる。

 いつも儚く微笑み、静かに話す。自分のこと程、他人事のように淡々となる。 ── 十五年、そんな彼を見続けてきた。秋穂の、こんな熱も涙も激しさも、そして、その想いも、自分は何も知らなかった。この一晩で、十五年のすべてが砕かれた。しかし、裏切られた哀しみも嫌悪感もない。

 透明だったものが、鮮やかに彩られる ── そんな感覚。より、愛おしさが増す。

(もう、手離せない)

 冬馬は秋穂の両肩を強く掴んだ。秋穂が痛さに顔をしかめるが、冬馬の手には更に力が籠る。
 
「だったら……」

 瞳の奥に何かを決意したような色が見える。

「だったら、俺をくれてやる。俺のすべてを、お前にくれてやる。だから──秋穂の、全部、俺にくれ……っ」

 ぎゅっと抱き竦められ、耳許で聞こえる声は、熱く切ない。

「冬馬……なに、言って……」

 彼のその言葉に心を焦がしながらも、秋穂は頷けない。さっきあれ程激しく想いをぶちまけた自分をも、恥じた。あれは、言ってはいけないことだった。

「僕の再婚は、決まっている」

 自分にも言い聞かせるように、もう一度言う。しかし、冬馬は抱き締める腕を緩めない。
「アキ、俺と一緒に何処かへ行こう」
 その言葉に迷いはない。

「もう、充分だろ。生かして貰った分の恩は返したはずだ。生かして貰ったというだけで、酷い扱いを受け続けたんだ。もう、これ以上は、必要ないっ。それに── あの頃とは違う。今だったら、自分たちで生きていける。そうだろう?」

 一瞬、冬馬の胸に縋りつく。すべてを委ねてしまいそうになったが、すぐに秋穂は両の手で彼の身体を押し返した。

「だめだよ、冬馬」
「何が、駄目なんだ」
「僕はいい……元々何も持っていなかったんだから。でも冬馬はたくさんのものを持っている。全部捨てていくの?」
「お前と一緒にいられるなら、全部捨てる」

 秋穂の問いにまったく躊躇なく答える。自分を押し返した彼の両の腕を、逃がさないとばかりにきつく握る。

「家族も親族も、何を言っても従わない俺のことは、疾うの昔に諦めてるよ。だから、タチバナは弟が継ぐし、縁談も持ってこなくなった」
「でも!! Citrusは、冬馬の遣りたかったことだよね?! それも、捨てられるの?」

 Citrus ── 学生の時から準備して、自分で作り上げてきた大事な店。だが ── 。
「お前が手に入るなら!Citrusは姉とトップデザイナーに任せる」
 きっぱりと言い切った。
「冬馬……ばかだよ、ほんとに……」
 声が震えていている。涙を隠すように、秋穂は冬馬の胸に寄り添った。

「俺と一緒に、来てくれるか?」

 もう一度尋ねたその問いには、うん……と小さい返事が返ってきた。


 冬馬はきつく握っていた彼の両腕から手を離し、その身体を抱き寄せた。大切な宝物を誰の眼にも触れさせたくないかのように、大事そうに覆い隠した。

 
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

ショコラとレモネード

鈴川真白
BL
幼なじみの拗らせラブ クールな幼なじみ × 不器用な鈍感男子

愛しているかもしれない 傷心富豪アルファ×ずぶ濡れ家出オメガ ~君の心に降る雨も、いつかは必ず上がる~

大波小波
BL
 第二性がアルファの平 雅貴(たいら まさき)は、30代の若さで名門・平家の当主だ。  ある日、車で移動中に、雨の中ずぶ濡れでうずくまっている少年を拾う。  白沢 藍(しらさわ あい)と名乗るオメガの少年は、やつれてみすぼらしい。  雅貴は藍を屋敷に招き、健康を取り戻すまで滞在するよう勧める。  藍は雅貴をミステリアスと感じ、雅貴は藍を訳ありと思う。  心に深い傷を負った雅貴と、悲惨な身の上の藍。  少しずつ距離を縮めていく、二人の生活が始まる……。

《完結》僕が天使になるまで

MITARASI_
BL
命が尽きると知った遥は、恋人・翔太には秘密を抱えたまま「別れ」を選ぶ。 それは翔太の未来を守るため――。 料理のレシピ、小さなメモ、親友に託した願い。 遥が残した“天使の贈り物”の数々は、翔太の心を深く揺さぶり、やがて彼を未来へと導いていく。 涙と希望が交差する、切なくも温かい愛の物語。

鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる

結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。 冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。 憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。 誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。 鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。

秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~

めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆ ―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。― モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。 だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。 そう、あの「秘密」が表に出るまでは。

完結・オメガバース・虐げられオメガ側妃が敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン王から溺愛されました

美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

闇に咲く花~王を愛した少年~

めぐみ
BL
―暗闇に咲き誇る花となり、その美しき毒で若き王を  虜にするのだ-   国を揺るがす恐ろしき陰謀の幕が今、あがろうとしている。 都漢陽の色町には大見世、小見世、様々な遊廓がひしめいている。 その中で中規模どころの見世翠月楼は客筋もよく美女揃いで知られて いるが、実は彼女たちは、どこまでも女にしか見えない男である。  しかし、翠月楼が男娼を置いているというのはあくまでも噂にすぎず、男色趣味のある貴族や豪商が衆道を隠すためには良い隠れ蓑であり恰好の遊び場所となっている。  翠月楼の女将秘蔵っ子翠玉もまた美少女にしか見えない美少年だ。  ある夜、翠月楼の二階の奥まった室で、翠玉は初めて客を迎えた。  翠月を水揚げするために訪れたとばかり思いきや、彼は翠玉に恐ろしい企みを持ちかける-。  はるかな朝鮮王朝時代の韓国を舞台にくりひげられる少年の純愛物語。

処理中です...