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第十二章
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しおりを挟む数か月の間伏せてあった幾つかの写真立てを、秋穂はひとつひとつ元に戻していった。違う形の写真立ての中で、同じように幸せそうに笑っているふたり ── 紗香と紗穂。まともに見るのが、つらい。
「ごめんね……酷い、夫で。酷い、父親で」
写真のふたりに話しかける。
「でも、愛おしいと思っていた、幸せだと思っていたよ」
瞳が潤んでくる。
「ごめんね……もう、ここへは戻らないよ」
夜が明けきった頃、冬馬は身支度を整え、こう言った ── 行動を起こすなら早いほうがいい、と。
「夜に迎えに来るから、支度しておいて」
秋穂に小さくキスをすると、冬馬はマンションを出た。
**
窓の外には再び、冬の早い夜が訪れた。暗闇の中に、街灯や窓の灯りが星のように煌めいている。
少し前、冬馬から連絡があった、三十分程で着くからと。もう支度は整っている。なるべく身軽にと、免許証、通帳やカード類などの僅かなものを小さな鞄に入れた。
あとはただ、残り少ない時間を、ふたりのことを偲んで過ごす。
── カチャッと、小さく扉の開く音が聞こえたように思えた。冬馬から連絡を貰った時間を考えると、少し早いような気がする。しかし、鍵はかけたままにしてあって、今鍵を持って出ているのは冬馬だけだ。
「鍵は閉めたままにして、誰が来ても開けるな。俺は預かっていた鍵で入るから」
彼はそう何度も念を押した。
「冬馬?」
恐る恐る名を呼んでみる。返事は返らないが、こちらに歩いてくる足音はする。
「今日はアイツいないのか。それとも、これから来るのか?」
そう言って、リビングに入って来たのは、冬馬ではなかった。
「義兄さん……どう、やって……?」
鍵はかかっていたはず。それとも、かけたつもりで、かけていなかったのだろうか。
「はっ、何言ってるんだ。ここ、石蕗不動産の持ちもんじゃないか。どうにでもなる。お前だって知ってるだろ」
くっと口許を歪ませる。眼には明らかに嘲りの色が浮かんでいる。
── ああ、そうだった、と思い出す。
ここは石蕗不動産の物件だった。石蕗不動産は石蕗グループの系列会社だし、ここを選んだのは義父じゃないか。
なんで、忘れていたんだろう。なんで、こんな簡単なことに気がつかなかったんだろう。
( 僕は、忘れたフリをしていた自分から抜けきれていないのか )
混乱して動けないでいる秋穂に近づいてきた壱也からは、アルコールの臭いがした。
「義兄さん、酔っているの?」
「ふん、それがどうした」
酔っている壱也は、更に質が悪い。頬に伸びてきた手に、びくんっと身体が震える。
石蕗の名も、今までの関係も、何もかも捨てると決めた。もう従うことも怯える必要もないが、長年培われた関係や、感覚に染みついたものは、すぐには崩せない。
壱也は秋穂の様子を見、更に部屋全体に眼を走らせた。
「お前……ここを出るつもりか」
「えっ?!」
秋穂の前では最低な男だが、元来頭も良く、人の機微にも聡い。だから、気づいてしまったのだろう。秋穂が何もかも捨てて、ここを出ていこうとしていることを。
「アイツと行くのか?」
自分よりも背も高く力の強い男に襟ぐりを締め上げられ、爪先が浮きかける。黙って耐えていると、更に攻め立てられる。
「許さないっ」
きつく胸許を掴まれたまま、噛みつくようなキスをされ、そして、文字通り、その歯に唇を喰い破られた。鋭い痛みが走り、口腔内に血の味が広がった。抵抗する間もなく、ソファの上に突き飛ばされる。この後にされることは想像がつく。
もうすぐ、冬馬がやって来るだろう。
( やだっ、ぜったいに )
しかし、両の大腿の上に馬乗りにされ、強く押さえつけられる。顔を近づけてくる壱也に手だけで抵抗すると、頬を何度も叩かれた。
目眩を感じているところを、下着ごと胸の辺りまで服を引っ張り上げられ、素肌が露になる
その白い肌には、昨夜丁寧に愛された跡がある。それを見た壱也の表情が、更に険しくなった。
「寝たんだな……アイツと。お前らの気持ちは昔から気づいていた。でも互いの幸せを考えすぎて、想いを伝えることはないだろうと思っていた」
その跡を蹴散らすように、歯を立てる。あっという間に、あちこちから血が滲み始めた。
「やめてっ」
身震いがする。今までどんなことをされても受け入れてきた。いや、受け入れるのとは少し違うかも知れない。心が傷つかないように、身体を犠牲にしていた、と言っていい。
( でも、もうだめだ )
冬馬に愛された身体を、誰にも触れさせたくはなかった。
両手で押し退けながら、身体を捩ってどうにか逃れようとする。そうしているうちに、二人ともソファからずり落ちてしまう。壱也の重みをもろに受け、背骨が軋んだ。
「っんなにっ」
低く唸るような声。見上げると歪んだ顔が見えた。いつもの余裕も感じられない。秋穂を嘲るような笑みもない ── それは、激しい怒りのようにも、泣きだす前の子どもの顔のようにも見えた。
「そんなに、俺が嫌かっ」
両の掌が秋穂の細い首を覆い、少しずつ力を増す。
── こんな表情を、前にも一度見たことがあるような気がする。そうだ、あの聖愛のクリスマスパーティーの日。
気がつくとベッドで寝ていた自分が最初に見たのは、冬馬ではなく壱也の顔だった。その時の彼の表情は、今と同じようではなかったか?余裕のない……。
── 思考はそこで途切れる。首から上全体に酷い圧迫を感じた。
「……に、さ……や、め……」
口を開けても声がまともに出ない程苦しい。
( とうまっ )
心の中で叫ぶのと被るようなタイミングで、声が聞こえた。
「やめろっ」
ふっと圧迫感から逃れ咳き込む。壱也の影から冬馬の顔が見えた。壱也よりも更に体格の良い冬馬は、あっという間に秋穂から彼を引き剥がし、数度殴りつけた。
「アキっ。大丈夫かっ」
すぐに声が出ず、首だけ動かす。冬馬に抱き起こされ立ち上がると、膝を突いて嘔吐する壱也が見えた。
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