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「お前、どうしてここにいる」
ヴィンセントはしばし呆然としたのち、難しい顔で眼鏡の男を問いただす。
眼鏡の男はぽりぽりと頭をひっかきながら階段を上ってきた。
「どうしてかというと、説明が難しいんですけど……」
目の前に立った彼を見上げ、私は何度か口を開け閉めしてから、言う。
「あなた……神様、ですよね!?」
「神、だと……!? この辻占い師が? 神……?」
ヴィンセントは私と神を交互に見つめ、すっかり思考がフリーズしている様子だ。
ヴィンセントにとって、神は辻占い師だったのだろうか。
神はあっけらかんとした様子でヴィンセントを無視し、皇帝のほうに向き直った。
「プレイヤーくん、君は僕に見覚えがあるでしょう?」
「ああ。あの、死に際に見た、モブ顔幻野郎だな……」
「どうしてその短い台詞の中に毒舌をしこめるんです? 天才かな。君、死に際のときは僕が神だって信じていないようでしたが、そろそろ納得はできたと思います」
穏やかに淡々と告げる神に、皇帝は失笑する。
「そうだな……確かに、こんなクソ世界を現実同然に再現してみせんのは、神の所業だよ。んで? これからどうする気だ? 俺はこの世界をぐちゃぐちゃに破壊してーっつったのに、全然叶えられてねえじゃねえか!!」
最後の気力を振り絞って、皇帝は叫んでいるようだった。
けれど、神はきっぱりと言い返す。
「そりゃあ、君の本当の望みはそうじゃないですからねえ」
「はあ? なんだてめぇ……!」
鼻白む皇帝の眼前に、神は分厚い紙束を差し出した。
「はい、どうぞ」
「……っ! おい、なんでこれが、ここにあんだ」
紙束を見た皇帝の顔は、今までよりさらに青くなった。
おそらくかなりの衝撃を受けたのだと思う。あらゆる感情が抜けた、ぼんやりした顔をしている。
神はそんな彼を見下ろし、教師のような口調で言う。
「これは、君が書いた、『カタストロフ・エンジェル』唯一の溺愛ルートシナリオです」
溺愛ルート。
溺愛って……あの溺愛?
「溺愛ルート!? カタエンの、ですか!?」
私はこらえられなくなって、派手に叫んでしまった。
私の叫びで我に返ったのか、皇帝は慌てて神から紙束を奪おうとする。
「やめろ! こんな没原稿、拾ってくんじゃねえ!!」
神はひらひらと皇帝の手から逃れながら、紙束をめくって見せた。
「前皇帝の娘、エレナと、冷徹宰相ヴィンセントの溺愛ルート。元々純愛趣味だった君は、鬱エロ指定のこのゲーム企画に、隠しルートでもいいから……と、溺愛ルートを提案しました。そして、大笑いされて没にされた。そのことは君の心に深い傷をつけたわけです」
驚いた。驚いた、と言う言葉では表現しきれないくらいに驚いた。
私がふられたエレナという役は、神が作ったものではなかったのだ。
あらかじめ、このゲームには失われた溺愛ルートがあったのだ!
急に降ってきたその事実に、私は目が冴えるような、不思議な感覚に襲われた。
これは、なんだろう。感動、なんだろうか。
救いは、あった。あらかじめ、あったのだ。
恍惚とする私の前で、皇帝は歯を食いしばり、ぼろり、と涙をこぼす。
「やめろ、やめろ、やめろ……駄目なんだよ、踏みにじらないと、女なんて消費するもんだって顔しないと……」
血を吐くような告白に、私はぎゅうっと心臓を掴まれる。
皇帝の流した涙が、黒い石の床に落ちていく。次々落ちる涙が、光を反射する。
「女とセックスは金で買えるもんだって顔しないと、心なんかいらねえって顔しないと、駄目なんだ、そうじゃねえと、まともに立ってることもできねえんだ、そういうとこなんだ、この、世界は……」
彼の声は震えていた。本当に、傷ついたひとの声だ、と思った。
「私は!」
気付けば、私は大声で叫んでいた。みんながびくりとして、私を見たのがわかった。
でも、私が見ているのは、皇帝だけだった。
傷ついて、諦めて、うずくまっている彼は、私と同じだった。
私が傷つけられた刃と同じ刃で、彼もまた、切り裂かれていたのだった。
「私には、必要でした。どうしても、どうしても、必要でした。あなたたちの作ったゲームが、必要でした。私が生きるためには、どうしても、どうしても、どうしても。世間が何を言っても、どんな評価を下しても、私にとっては絶対でした。そして――」
私は彼ににじりより、彼の肩に触れた。
皇帝の肩は小さく震えていて、あまりにも力なかった。
瞳は伏せられたままで、私の目を見ることもできないようだった。
だから私は、心の底から、優しい声を出せた。
「死に際に、全力で求めちゃうくらい。死んだ後に、うっかり全力で救われてしまうくらい――私には、あなたの、この溺愛ルートが必要だったよ」
ほんの一瞬だけ、皇帝の視線が上がる。
私と目が合う。
そして、新たな涙がこぼれた。
「………………ありがとぉ」
めちゃくちゃ鼻声でお礼を言われ、私はぎゅっと彼の首を抱きしめる。
数歩向こうからは、どことなく満足そうな神の声がした。
「いいですねえ。いいですよ。これにて、プレイヤーくんの溺愛ルートはエレナちゃんに観測、承認され、ここに固定されます。つまり、この時点から世界は改変され、別の枝を歩みます。……僕の言ってる意味、わかります? ヴィンセント閣下」
「理性ではまったくわからんが、感情ではうっすら理解している」
ヴィンセントの声は、彼らしく落ち着いていた。
神は楽しげに返す。
「ほう。どんなふうに?」
「とにかく、わたしがエレナを愛すればいいんだろう?」
――ヴィンセント。ヴィンセント。あなたは、本当に。
本当の本当の、本当に、強くて、きれいで、まっすぐで。
とても、強い。
百の言葉で褒めたいのに、もう、好き、としか言えない。
言いようがない。
あなたが、好きだ。
「正解です」
神は言い、くすくすと笑う。
その直後、辺りはまばゆい光に包まれた――。
ヴィンセントはしばし呆然としたのち、難しい顔で眼鏡の男を問いただす。
眼鏡の男はぽりぽりと頭をひっかきながら階段を上ってきた。
「どうしてかというと、説明が難しいんですけど……」
目の前に立った彼を見上げ、私は何度か口を開け閉めしてから、言う。
「あなた……神様、ですよね!?」
「神、だと……!? この辻占い師が? 神……?」
ヴィンセントは私と神を交互に見つめ、すっかり思考がフリーズしている様子だ。
ヴィンセントにとって、神は辻占い師だったのだろうか。
神はあっけらかんとした様子でヴィンセントを無視し、皇帝のほうに向き直った。
「プレイヤーくん、君は僕に見覚えがあるでしょう?」
「ああ。あの、死に際に見た、モブ顔幻野郎だな……」
「どうしてその短い台詞の中に毒舌をしこめるんです? 天才かな。君、死に際のときは僕が神だって信じていないようでしたが、そろそろ納得はできたと思います」
穏やかに淡々と告げる神に、皇帝は失笑する。
「そうだな……確かに、こんなクソ世界を現実同然に再現してみせんのは、神の所業だよ。んで? これからどうする気だ? 俺はこの世界をぐちゃぐちゃに破壊してーっつったのに、全然叶えられてねえじゃねえか!!」
最後の気力を振り絞って、皇帝は叫んでいるようだった。
けれど、神はきっぱりと言い返す。
「そりゃあ、君の本当の望みはそうじゃないですからねえ」
「はあ? なんだてめぇ……!」
鼻白む皇帝の眼前に、神は分厚い紙束を差し出した。
「はい、どうぞ」
「……っ! おい、なんでこれが、ここにあんだ」
紙束を見た皇帝の顔は、今までよりさらに青くなった。
おそらくかなりの衝撃を受けたのだと思う。あらゆる感情が抜けた、ぼんやりした顔をしている。
神はそんな彼を見下ろし、教師のような口調で言う。
「これは、君が書いた、『カタストロフ・エンジェル』唯一の溺愛ルートシナリオです」
溺愛ルート。
溺愛って……あの溺愛?
「溺愛ルート!? カタエンの、ですか!?」
私はこらえられなくなって、派手に叫んでしまった。
私の叫びで我に返ったのか、皇帝は慌てて神から紙束を奪おうとする。
「やめろ! こんな没原稿、拾ってくんじゃねえ!!」
神はひらひらと皇帝の手から逃れながら、紙束をめくって見せた。
「前皇帝の娘、エレナと、冷徹宰相ヴィンセントの溺愛ルート。元々純愛趣味だった君は、鬱エロ指定のこのゲーム企画に、隠しルートでもいいから……と、溺愛ルートを提案しました。そして、大笑いされて没にされた。そのことは君の心に深い傷をつけたわけです」
驚いた。驚いた、と言う言葉では表現しきれないくらいに驚いた。
私がふられたエレナという役は、神が作ったものではなかったのだ。
あらかじめ、このゲームには失われた溺愛ルートがあったのだ!
急に降ってきたその事実に、私は目が冴えるような、不思議な感覚に襲われた。
これは、なんだろう。感動、なんだろうか。
救いは、あった。あらかじめ、あったのだ。
恍惚とする私の前で、皇帝は歯を食いしばり、ぼろり、と涙をこぼす。
「やめろ、やめろ、やめろ……駄目なんだよ、踏みにじらないと、女なんて消費するもんだって顔しないと……」
血を吐くような告白に、私はぎゅうっと心臓を掴まれる。
皇帝の流した涙が、黒い石の床に落ちていく。次々落ちる涙が、光を反射する。
「女とセックスは金で買えるもんだって顔しないと、心なんかいらねえって顔しないと、駄目なんだ、そうじゃねえと、まともに立ってることもできねえんだ、そういうとこなんだ、この、世界は……」
彼の声は震えていた。本当に、傷ついたひとの声だ、と思った。
「私は!」
気付けば、私は大声で叫んでいた。みんながびくりとして、私を見たのがわかった。
でも、私が見ているのは、皇帝だけだった。
傷ついて、諦めて、うずくまっている彼は、私と同じだった。
私が傷つけられた刃と同じ刃で、彼もまた、切り裂かれていたのだった。
「私には、必要でした。どうしても、どうしても、必要でした。あなたたちの作ったゲームが、必要でした。私が生きるためには、どうしても、どうしても、どうしても。世間が何を言っても、どんな評価を下しても、私にとっては絶対でした。そして――」
私は彼ににじりより、彼の肩に触れた。
皇帝の肩は小さく震えていて、あまりにも力なかった。
瞳は伏せられたままで、私の目を見ることもできないようだった。
だから私は、心の底から、優しい声を出せた。
「死に際に、全力で求めちゃうくらい。死んだ後に、うっかり全力で救われてしまうくらい――私には、あなたの、この溺愛ルートが必要だったよ」
ほんの一瞬だけ、皇帝の視線が上がる。
私と目が合う。
そして、新たな涙がこぼれた。
「………………ありがとぉ」
めちゃくちゃ鼻声でお礼を言われ、私はぎゅっと彼の首を抱きしめる。
数歩向こうからは、どことなく満足そうな神の声がした。
「いいですねえ。いいですよ。これにて、プレイヤーくんの溺愛ルートはエレナちゃんに観測、承認され、ここに固定されます。つまり、この時点から世界は改変され、別の枝を歩みます。……僕の言ってる意味、わかります? ヴィンセント閣下」
「理性ではまったくわからんが、感情ではうっすら理解している」
ヴィンセントの声は、彼らしく落ち着いていた。
神は楽しげに返す。
「ほう。どんなふうに?」
「とにかく、わたしがエレナを愛すればいいんだろう?」
――ヴィンセント。ヴィンセント。あなたは、本当に。
本当の本当の、本当に、強くて、きれいで、まっすぐで。
とても、強い。
百の言葉で褒めたいのに、もう、好き、としか言えない。
言いようがない。
あなたが、好きだ。
「正解です」
神は言い、くすくすと笑う。
その直後、辺りはまばゆい光に包まれた――。
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