上 下
13 / 72
第2章:命の価値

第2話:地獄の番犬

しおりを挟む
 ベル=ラプソティたちは地上に向かってくまなく視線を送っていたために、自分の頭上への注意が疎かになっていた。大空には分厚くて黒い雲が太陽を隠すように広がっていたが、雲が広がる高度としては低すぎた。それゆえに地上からベル=ラプソティを見ていたアリス=ロンドの眼からは、怪しさ満点の分厚くて黒い雲だったのである。

 アリス=ロンドは金筒のひとつを右手に持つ。それを上方向へ手放すと同時に、金筒は瞬く間に巨大化し、長さ1ミャートル、直径20センチュミャートルの太さとなる。その巨大化した金筒の先端から緑白い光線が発射され、大きな口を開いていた地獄の番犬ケルベロスの横っ面にぶち当たることになる。

 不意を突かれた地獄の番犬ケルベロスは目標を見誤り、その鋭い犬歯でベル=ラプソティをかみ砕くことは出来なくなる。そして、三つの頭に昇った血と怒りを邪魔してきた者に向かって放つ。三つの顔にそれぞれある顎を大きく開き、直径Ⅰミャートルほどもある火球を連続で地上に向かって放ち始める。

「敵対行動の開始を確認。これから迎撃に移行シマス」

 アリス=ロンドは地獄の番犬ケルベロスの注意をこちらに向けられたことで、にんまりと天使の笑みをその顔に浮かべる。しかしながら、その笑顔は地獄の番犬ケルベロス側からは視認出来なかった。それもそうだろう。アリス=ロンドが身に纏う超一級天使装束の修復は完全では無く、彼女が頭に被るオープン型フルフェイス・ヘルメットの前面もまた、3分の1程度しか透明化されていなかったからだ。

 アリス=ロンドは右眼で自分に向かってくる火球を睨みつける。どこをどう飛べば、次々に降りかかってくる火球を回避できるかを頭の中で計算する。そして、背中にある天使の片羽を羽ばたかせ、アリス=ロンドは大空へ向かって堕ちるようにすっ飛んでいく。

 アリス=ロンドはなるべくギリギリで火球群を回避しようとした。しかし、彼女の誤算はそこから起きる。右側に少しだけ身体を捻ろうとしたが、片翼のために推進力を上手く制御出来ない。それゆえに右側に捻るつもりが、一回転となってしまう。アリス=ロンドは右側へと一回転していく身体を今度は左側へと傾けようとする。

 だが、その左側への体重移動も上手く行かずに。今度は左側へと二回転してしまうことになる。アリス=ロンドは思わず、あわわ……と慌てふためくことになる。それでも彼女は運が良いのか、頭上から降り注ぐ火球群を次々と回避する。

 地獄の番犬ケルベロスはグヌゥ……と唸る他無かった。今、地上からこちらへとすっ飛んできている天使と思わしき存在が、こちらを挑発するかのように蝶のように舞っているからだ、背中からは大量の光の鱗粉をまき散らし、前後左右へと無軌道な動きを取り続けている。

 これを火球群を捌くのに苦慮しているのか、それとも、余裕の現れからの大胆過ぎる回避行動なのかと判断しかねる状況となっていた。しかし、地獄の番犬ケルベロスも馬鹿では無い。連続で火球群を口から放ち続けているうちに、あれはただの間抜けだと結論づける。火球に包み込まれるのが怖くて、あのような大袈裟な回避行動に出ているだけだと思うことになる。

 それゆえに地獄の番犬ケルベロスはニヤリと口の端を歪ませる。大小さまざまな火球群を創り出し、それをフェイントにしつつ、超特大の火球をぶつけてしまえば良いと戦いの絵図を描く。そして、そう思ったと同時に地獄の番犬ケルベロスは行動に移る。顎を開けれるだけ、大きく開けて断続的に火球を片翼の天使に向かって放ち続ける。

 アリス=ロンドは不規則に大小の火球が自分の身に迫ってきたことで、次の手を打つ。予測不能なのは敵の火球群だけでなく、自分の回避行動もであった。それゆえに、回避だけに頼らず、右手に持つ金筒の先端から出る緑白い光線で地獄の番犬ケルベロスが放ってくる火球群を撃ち抜き始める。

「ひとつ、ふたつ、みっつ。そして、ここで回避を入れマス」

 アリス=ロンドは上下左右前後に身体を移動させつつ、金筒から緑白い光線を発射させて、火球群を抜けようとした。その企みは上手く行き、どんどん地獄の番犬ケルベロスとの距離は縮まっていく。

「距離300、200、100ミャートル。抜刀シマス!」

 この距離まで詰めれば、あとは光刃で地獄の番犬ケルベロス首級くびを刎ねてしまえば良いと思ったアリス=ロンドであった。右手から金筒を放り投げ、さらに右手を腰の右側に当てる。腰布の奥に隠されている銀筒を手に取り、それを力強く握り込む。すると、その銀筒自体が握り込むにはちょうど良い太さになり、さらには銀筒の片端から青白い光刃が生み出されることなる。

 その青白い光刃の長さはⅠミャートル程度と、一般的な長剣ロング・ソードのそれと同じになる。地獄の番犬ケルベロスは肉薄させてなるものかと、口から放つ火球群の数をおおいに増やす。しかし、それを巨大化させる時間が足りないのか、ひとつひとつの火球は直径30センチュミャートルほどしかない。

 これはアリス=ロンドの計算通りであった。あちらが慌てふためくことになればなるほど、火球を育てる時間は足りなくなる。そして、自分を近づかせないためにも、その小さめの火球を放つしかなくなると。アリス=ロンドは右手に握る青白い光刃で、その小さめの火球群を次々と斬り伏せる。その剣筋にまったくもって迷いは無く、アリス=ロンドと地獄の番犬ケルベロスとの距離はどんどんと詰まっていく。

 しかしだ。こうなることを予想していたのはアリス=ロンドだけでは無い。地獄の番犬ケルベロス側もこうなることを予想済みであった。そして、地獄の番犬ケルベロスは奥の手を見せることになる。片翼の天使が自分の眼の前、10ミャートル先まで接近してきたのを視認するや否や、それぞれの顔についている口から火球を生み出すのではなく、三つの口でひとつの火球を創り出したのだ。

 地獄の番犬ケルベロスのひとつの口から吐き出せる火球のサイズの最大値は決まっていた。それはアリス=ロンドも気付いていた。そして、その最大値のサイズにするまでに若干のタイムラグがあることもアリス=ロンドは気づいていた。それゆえにアリス=ロンドは回避行動をなるべく少なくし、金筒から発射した光線で火球を破裂させて、距離を詰めたのだ。

 しかし、アリス=ロンドがまったくもって予想していなかったことが『三つの口でひとつの火球を創り出す』ことであった。地獄の番犬ケルベロスとアリス=ロンドとの距離は10ミャ―トルしかなかったが、その10ミャートルを埋めるかのように巨大すぎる火球があっと言う間に出来上がってしまう。

「ゴバァァァアァァァ!!」

 地獄の番犬ケルベロスは勝ち誇った雄叫びをあげつつ、その巨大すぎる火球を片翼の天使に向けて放つ。片翼の天使が骨も残さず溶けてしまう姿を想像し、不覚にも股間にある三つのおちんこさんをフルボッキさせるのであった。
しおりを挟む

処理中です...