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第2章:命の価値

第9話:アリスの優先順位

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 聖地の住人たちだけでなく、グリーンフォレスト国の一軍もクォール=コンチェルト第1王子の言葉を受けて、押し黙る他無かった。転移門ワープ・ゲートは完全にその機能を停止しており、その真っ黒な表面を手で押しても、何の反応を示すことは無い。

 クォール=コンチェルト第1王子は、転移門ワープ・ゲートの状態を部下たちに確認させる。その部下たちの報告を聞き終わったクォール=コンチェルト第1王子は教皇が乗る幌付き荷馬車に向かう。これからどうするかを教皇と話し合うためだ。クォール=コンチェルト第1王子は別の場所にある転移門ワープ・ゲートを目指すと宣言したは良いが、聖地の最高権力者である教皇とは何も打ち合わせをしていない状況である。

 それゆえに、教皇からも他の転移門ワープ・ゲートを目指すことが最良であると宣言してほしかったのである、彼は。

「ねえ、カナリア。あなたの意見を聞かせてちょうだい」

 ベル=ラプソティたちは一団と離れた位置で、互いの意見の交換をおこなっていた。ベル=ラプソティ自身はクォール=コンチェルト第1王子の意見を『是』と見ていたが、これは『賭け』に等しい行為であることも理解していた。

 次に向かった先の転移門ワープ・ゲートが無事に使える状態にあるのかどうか、この時点では誰にもわからないからだ。さらにそれを確認する時間も残されていないだろうという予測も容易に立てることが出来た。悠長に斥候を出し、そこの転移門ワープ・ゲートが使用可能かどうかを確認した後に、全員で向かったところで、そこの転移門ワープ・ゲートが稼働し続けている可能性は時間が経てば経つほど、可能性が落ちに落ちる。

「いちかばちかで皆で次の転移門ワープ・ゲートを目指すのが最良なのですゥ。でも、ダメだった場合に、もう一度、他の転移門ワープ・ゲートへ向かう気力は皆に残されている可能性もありません……」

「そう……ね。クォール様の日頃のおこないの良さを信じるしか無い話ね」

 ベル=ラプソティには今、何の権限も無い。もうひとつ取るべき道があるのだが、それを進言しようにも、進言したところで、皆がそれを受け入れる余地があるのかどうかも怪しい。そして、それをわかっているからこそ、カナリア=ソナタもそれをベル=ラプソティに言うべきなのかどうかを迷っている現状である。

「ボク。こういう時に皆に言うべき言葉を知っているのデス。まさに『パンが無ければケーキをお食べ』ってやつなのデス」

 さすがは空気を読まずに天然失言をしてしまうアリス=ロンドである。ベル=ラプソティはキッ! と強めの非難の色を込めた視線でアリス=ロンドを睨みつけるが、アリス=ロンドは何故、ベル様からそんなキツイ眼で睨みつけられているのだろうと首級くびを傾げてしまうのである。

「ボクの着ている超一級天使装束で計算した感じ、次の転移門ワープ・ゲートを目指すくらいなら、今すぐにでも崑崙山クンルンシャンを越えたほうがまだマシな生存率があるのデス」

 アリス=ロンドはきっぱりとそう言ってみせる。ベル=ラプソティは眉間にシワを寄せれるだけ寄せる。アリス=ロンドの言っていることは『正論』だ。そして、正論は『正解』では無い。現実的な『正解』は、他の転移門ワープ・ゲートを目指すことであり、聖地をグルっと囲んでいる山脈を越えることは非現実的すぎた。

「チュッチュッチュ。アリス様。ヒトに僕たちのような羽根が生えていれば、崑崙山クンルンシャンだって、決して難所では無いでッチュウ」

 天界の騎乗獣であるコッシロー=ネヅがアリス=ロンドを諫めるような口調でそう言う。しかし、蛙の面に小便といった感じでアリス=ロンドはケロッとした表情をしている。コッシローは、あ、あれ? と言った感じで、反応の薄いアリス=ロンドに戸惑うことになる。

「コッシローさん。ボクのはじき出している計算は、ベル様の生存率デス」

 アリス=ロンドがそう言った次の瞬間、ポカンッ! とアリス=ロンドの頭をオープン型フルフェイス・ヘルメットごと右手でぶっ叩き、さらには彼女の首根っこを右腕で抱え込んで、ギリギリと締め付けるベル=ラプソティであった。

「あんたのことだから、そんなことだと思ってたわよっ! もう1度、再計算しなさいっ! わたくしを含めて、皆の生存率をっ!!」

「痛い、痛い、痛いのデスッ! ボクの最優先護衛対象はベル様なのデスッ! ボクのどこが間違っているんデスカッ!」

「全部、間違っているって言ってんでしょっ! ほらほらほらっ! 超一級天使装束の演算機能をフルに使いないさいっ!」

 ベル=ラプソティはアリス=ロンドをチョークスリーパーホールドし、これ以上、とんでも発言を口走らないようにと物理的にアリス=ロンドを抑えつける。しかし、アリス=ロンドも抱きこまれた右腕の間に右手を差し込み、完全に気道と血流を止められないようにと、必死の抵抗を見せる。

 そんなふたりの間に割りこんだのが、意外なことにカナリア=ソナタであった。彼女は無理やり、ベル=ラプソティとアリス=ロンドの距離を開けて、ずり落ちた眼鏡を元の位置に直し、コホンと咳払いをひとつつく。

「おふたりの意見は平行線ですゥ。ここはあたしの顔に免じて、争いは止めてくださいィ!」

「うっ。カナリアがそう言うのなら、止めるけど……。でも、アリスが皆の前で同じようなことを口走らないようには注意しておいてねっ!」

「わかってますゥ。アリス様もベル様を大切にする気持ちはわかりますが、全体の士気に関わってくる話ですゥ。士気が落ちるほどに、ベル様の生存率も落ちるのではないですかァ?」

「うっ。カナリアさんの言う通りデス。士気も含めて再計算したら、ベル様の生存率がガタ落ちしまシタ。今後は気をつけマス。出来る限りですケドッ!」

 減らず口のふたりにがっくりと肩を落としてしまいそうになるカナリア=ソナタであったが、ふたりがいがみ合う事は、これ以上無い危機である。今は誰しもが協力しあわなければならない状況なのだ。例え、正論よりも正解を選ぶことになってもだ。もちろん、カナリア=ソナタもアリス=ロンドの言う『崑崙山クンルンシャン超え』を頭から否定する気は無い。しかし、その選択肢は可能な限り、選びたくない道である。

「てか、なかなかクォール様と教皇様の話し合いが終わらないわね。もしかしたら、今のわたくしたちと同じ状況になっていたりして?」

「チュッチュッチュ。さすがに教皇様が崑崙山クンルンシャン越えを主張するとは思えないでッチュウ」

 ベル=ラプソティたちの間での意見交換がようやく終わったというのに、肝心のクォール=コンチェルト第1王子と教皇との話し合いが終わる様子が無く、段々と周囲がざわつき始める。嫌な予感というものほど、よく当たると言われており、ベル=ラプソティたちは、まさかねぇ? と疑いの心を持ち始めるのであった……。
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