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第3章:星皇の重い愛

第4話:疲弊するカナリア

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――第14次星皇歴710年4月10日 地上界:崑崙山クンルンシャンの麓にて――

 この日、地上界の地図が描き変わることになる。ハイヨル混沌の手ではなく、それを為したのが星皇という事実はふせられたままだ。カナリア=ソナタは天界の騎乗獣であるコッシロー=ネヅの背中に乗り、崑崙山クンルンシャン周辺の状況をモニタリングし、地上で待つベル=ラプソティに映像と情報を送る。

「あのゥ……。これはいささか愛が重すぎるというレベルでは無いと思うのですゥ。崑崙山クンルンシャンが半分吹き飛んでしまっているのですゥ」

「言われなくても、こっちからでも崑崙山クンルンシャンの半分が無くなっているのはわかってるわよっ! 崑崙山クンルンシャンに蓄えられていた神力ちからが今どうなっているのかを詳しく解析してちょうだいっ!」

 あるじであるベル=ラプソティの御叱りを受けて、軽く跳ね上がり、身を縮こませるカナリア=ソナタであった。ベル=ラプソティは不機嫌も不機嫌であり、下手なことを口走れば、地上から投げられた光槍で、コッシロー=ネヅともども串刺しにされそうであった。

 カナリア=ソナタは計測器が仕込まれている色付き眼鏡で、大空から崑崙山クンルンシャン周辺をくまなくチェックする。色付き眼鏡には赤と黒、そして黄色のコードが取り付けられており、そのコードの先は彼女が手に持っている大きなノートに接続されている。その銀板のノートに文字と表と絵図が自動的に描かれていく。

 しかしながら、そういう機能をもっていたとしても、そのノートに自動書記されるデータを詳しく解読できるほどの技量を持ち合わせていないカナリア=ソナタであった。なんとなくはわかるが、そのデータ群をひと目見て、それが一体、どういう傾向を指し示しているのかは、解析に特化した天使に任せる他無い。

「えっと、このデータが崑崙山クンルンシャンに貯蔵されていた神力ちからで、こちらが時間的に減衰していくグラフでェ……」

 数字は嘘をつかないと豪語する者がいるが、それは至って、間違いである。そして、絵図化されることで、数字の嘘はもっとも顕著となる。そもそも観測データというシロモノは『バグ』と呼ばれるデタラメな数値が乗る時がある。そして、数字の嘘はそれだけでない。どこからどこまでの時間軸で、どこまでの変化量を見る時に、切り取る範囲でヒトに与える印象がガラリと変わってしまう。

 その数字の嘘を見抜く眼をカナリア=ソナタが持ち合わせていないために、あるじであるベル=ラプソティにどう報告すべきなのかと頭を悩ませてしまうカナリア=ソナタであった。

「チュッチュッチュ。難しいことは考えなくて良いでッチュウ。カナリアは『観測士』じゃないでッチュウから」

「ありがとうございますゥ。そう言ってくれるのはコッシローさんだけなのですゥ」

 カナリア=ソナタはいっそ、ざっくらばんにベル様に報告してしまおうかと思ってしまう。普段のベル様なら、ふ~~~ん、そうなのねで済ませてくれるのだが、今の心がささくれだったベル様にそれで通じるのかがわからない。崑崙山クンルンシャンの半分を消し飛ばしたのがベル様の旦那様であることが一番大きく、そして、ベル様が扱いに難儀しているアリス様にも関わってくる話だ。

 カナリア=ソナタは胃がキリキリと痛み、ついにはストレスで壊れてしまう。

「もう良いのですゥ! ノートに書かれているデータと絵図をそのままベル様に見てもらうんですゥ」

「おいおい、そんなことしたら、ベル様に雷を落とされてしまうでッチュウよ?」

「ベル様の旦那様が全部悪いってことで良いじゃないですかァ! あたしが胃を痛めるのは間違っていると思うのですゥ!」

 コッシロー=ネヅはカナリア=ソナタを止めようとしたが、カナリア=ソナタはノートに書き綴られているデータをそのまま、ベル=ラプソティのオープン型フルフェイス・ヘルメット内に転送する。怒られるのは当然であったとしても、これ以上、ストレスを貯め込みたくないカナリア=ソナタであった。

「ふ~~~ん。なるほどね」

「って、ベル様、わかるんですゥ!?」

「まともに計測できないってことはわかるわよ? カナリア、お疲れ様。戻って来て、休憩してね」

 ベル=ラプソティの意外すぎる反応に、カナリア=ソナタは訝しむことになるが、休憩してと言われたので、その言葉を甘んじて受けることにする。コッシロー=ネヅはやれやれ……と息を吐き、カナリア=ソナタを背中に乗せたまま、一団が足を止めている場所へと向かっていく。

 コッシロー=ネヅが段々と地上へと戻っていくと、彼の眼にはグリーンフォレスト国の一軍とそれに護られている聖地の住人たちの顔が見えてくる。彼らの顔からは一様に生気が失われており、茫然と半壊した崑崙山クンルンシャンを眺めていたのであった。

「お帰りなさい、カナリア、コッシロー。こっちはやっと熱が収まってきたわ。大空ではどうだった?」

「チュッチュッチュ。地上から吹き上がる熱で蒸し焼きになるところだったッチュウ。カナリアがその熱で壊れかけたのでッチュウ」

 コッシロー=ネヅは実際にはベル=ラプソティの機嫌の悪さがカナリア=ソナタを疲弊させたのだが、それはベル=ラプソティには言わないでおく。それよりも、カナリア=ソナタを休憩させる方が先だと思い、ベル=ラプソティの側から物理的にカナリア=ソナタを離れさせる。

「無理させちゃったかしら。後で滋養がつくものを食べさせないとね。今、カナリアに倒れられたら、わたくしがもたなくなっちゃうもの」

 ベル=ラプソティはコッシロー=ネヅの背中でぐったりと身体を預けているカナリア=ソナタを見送ると、次にアリス=ロンドの方へと視線を向ける。

「そんなに見つめられるとお尻が濡れてきてしまうのデス」

「あんたはっ! もしかして、どっちもイケる口なのっ!?」

「いえ。基本、星皇様にいじくられるのが大好きデス。でも、ベル様がお相手してくださるなら、ボクも喜びを味わえる自信があるのデス」

 ベル=ラプソティはハァァァ……と力のあらん限り、脱力の呼吸をする。アリス=ロンドの相手をしていると、物事を難しく考えている自分が馬鹿らしくなってしまう。アリス=ロンドの優先順位は単純明快であった。星皇様が1番であり、星皇様が愛しているベル様が2番である。ヒトも天使も見据えるモノが定まっていると、その意志はオリハルコンよりも硬くなる。

 アリス=ロンドはオリハルコンよりも硬い意志を持っており、ベル=ラプソティが何かを言っても、それによって、心が揺らぐという素振りを一切見せない。ベル=ラプソティはアリス=ロンドが危うい存在だと思ってしまう。出会って間もない頃のほうがよっぽどヒトらしい存在であった。

 しかし、そんな過去のアリス=ロンドの面影が吹き飛ぶほどに、今のアリス=ロンドはぶっ飛んでいる。もし、ベル=ラプソティが他の者たちを犠牲にしても、わたくしの命を護りなさいと命じれば、その言葉通りにアリス=ロンドは実行に移すであろう。それがカナリア=ソナタやコッシロー=ネヅを失う結果となってもだ。ベル=ラプソティは願わくば、そんな事態にならぬようにと祈る他無かった。
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