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第3章:星皇の重い愛

第8話:外道スライム

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 崑崙山クンルンシャンの麓に出来上がったクレーター内は初夏の熱を生み出していた。そこをグリーンフォレスト国の1軍と聖地の生き残りたち、総数3000余りの一団が何事もなく進み続ける。最初はおっかなびっくりと言った感じであったが、魔物モンスターの襲撃も無く、皆の足取りは段々と軽やかになっていく。

「これが星皇様からアリス殿に贈られプレゼントということか。これをハイヨル混沌軍団が破壊しようとして、このような大惨事が起きたとは……」

「え、ええっ。そうなのっ! アリスの存在を危険視したハイヨル混沌が破壊しようとしたのですわっ!」

 横5ミャートル、縦3ミャートル、高さ3ミャートルの金属製の箱を前にして、クォール=コンチェルト第1王子が苦々しい表情でハイヨル混沌に対しての文句を言ってみせる。しかしながら、事情を知っているベル=ラプソティは彼の感情に無理やり合わせることで、真実を知られないようにと務めるのであった。

「表面はかなり焼け焦げていますけどォ。中身の方は大丈夫なのでしょうかァ?」

 念のため、金属製の箱から15ミャートルほど離れた位置にいるクォール=コンチェルト第1王子たちの中でも、その金属製の箱に興味津々といった感じのカナリア=ソナタがそう呟く。彼女は赤縁あかぶち眼鏡に仕込まれている魔力残量確認石マジック・チェッカーで、中身が壊れていないか確かめてみる。

 しかし、金属製の箱の中身がどうなっているかの確認は出来なかった。金属製の箱がそもそも、そういった認識系の魔術を阻害する仕掛けを施されている。確かにそこにあるのだが、存在感が希薄であった、その金属製の箱は。

「むむゥ……、箱を開けてみないと、何が入っているのかわかりません。アリス様へのプレゼントなので、危険は無いと思うのですがァ」

「了解しまシタ。ボクが箱を開けマス。星皇様のことなのでイタズラを仕込まれている可能性を否定できまセンノデ」

 アリス=ロンドはそう言うと、無警戒に近い形で横5ミャートル、縦3ミャートル、高さ3ミャートルの金属製の箱へとテクテクと歩いていく。ベル=ラプソティとカナリア=ソナタは何が起きても良いようにと、クォール=コンチェルト第1王子の後ろへと隠れる。

「何かとんでもない仕掛けが施されてたら、アリスを援護するわよっ」

「説得力がまるで皆無ですけどォ。クォール様を盾にしながら、どうにかするのですゥ」

 クォール=コンチェルト第1王子としては苦笑する他無かった。女性レディが2人、自分の背中の方へ回り込み、グイグイと後ろから押してくる。ノーマルな性的指向を持つ者なら喜ばしい状況であるのだが、クォール=コンチェルト第1王子は、こうしてくれるのがアリス殿であれば良かったのにと思わざるをえなくなる。

「あっ。これはダメデス。ベル様、お下がりくだサイ。罠を仕掛けれれていまシタ」

「えっ、どういうことですの!?」

 ベル=ラプソティは最初、星皇がまた何かしでかしたのかと思ったが、金属製の箱からは真っ黒なオーラが立ち昇ったことで、星皇の仕業でないこをいち早く察する。しかしながら、ベル=ラプソティはアリス=ロンドを援護する前に、アリス=ロンドは金属製の箱から発せられた黒いオーラに身体をすっぽりと包み込まれてしまうのであった。

 黒いオーラは実のところ、物体であった。ネバネバとした粘液がアリス=ロンドに絡みつき、ジュウジュウとまるで肉を焼くような音が辺りに響き渡る。その音を聞き、カナリア=ソナタはクォール=コンチェルト第1王子の背中側から飛び出そうとしていたベル=ラプソティを羽交い絞めにして、アリス=ロンドに近づかないようにと、無理やりにベル=ラプソティを止めてしまう。

「アレに近づいてはいけないのですゥ! 悪魔の中でも最下位に位置する悪魔ですけど、アレは危険すぎるのですゥ!」

「ちょっとっ! わたくしでもそんな低位な悪魔相手に遅れを取るわけがないでしょ!?」

「アリス様の御姿をしっかりと見るのですゥ! 超一級天使装束と言えども、溶けだしているのですゥ! アレは外道スライムなのですゥ!」

 ベル=ラプソティは『外道スライム』という言葉を聞き、ビクッ! と身体を震わせて、その場で立ち止まることになる。その悪魔は外道という言葉がお似合いすぎる悪魔であった。戦闘力自体はとんでもなく低く、怨霊の軍勢レギオンを相手にするよりかは、遥かに倒しやすい悪魔であった。

 しかし、外道スライムと『外道』がわざわざ名前についている理由は、かの悪魔が着ている衣服や鎧をその粘液で溶かしてしまうことにある。都合の良いことに、肉の身を溶かすわけではないゆえに、人畜無害の悪魔ではあるが、衣服や鎧を溶かす以上、女性にとっては天敵以外の何者では無い。

 そして、外道スライムに溶かせぬ衣服や鎧など無いと言っても過言ではない。現にアリス=ロンドの身を包んでいる超一級天使装束すら、ボロボロの布切れへとあっという間に変換されていく。ここまでの時間は1分も経っていないというのに、アリス=ロンドの身を護っている超一級天使装束の4割近くが溶けてなくなってしまっていた。

 超一級天使装束でこれなら、それに劣る戦乙女ヴァルキリー・天使装束を着込んでいるベル=ラプソティならば、どうなるかなど、容易く想像がついた。超一級天使装束でアレなら、戦乙女ヴァルキリー・天使装束など、流水の中にティッシュペーパーを突っ込んだ如くに、一瞬でズタボロにされてしまうのは自明の理であった。

 それゆえに、アリス=ロンドを手助けすることに躊躇してしまうベル=ラプソティとカナリア=ソナタであった。アリス=ロンドは手足をばたつかせ、自分の身体に纏わりつく外道スライムを剥がそうと暴れ回る。しかし、そうすればそうするほど、外道スライムは喜びを感じ、アリス=ロンドに絡みつく。さらには腸一級天使装束が溶けて、肌が露出している部分にピタリとくっつき、アリス=ロンドの毛穴に侵食を開始しようとする。

 しかしながら、外道スライムと言えども、アリス=ロンドが頭に被っているオープン型フルフェイス・ヘルメットと彼女の股間を覆うオリハルコンの糸が織り込まれた革製のョーツを溶かすことは出来なかった。外道スライムはヒトの衣服を溶かし切ったあとは、穴という穴を蹂躙し、辱めを与えようとする悪魔だ。だが、それを為すことが出来ず、ついに憤慨してしまう。

「すごいのですゥ。さすがは腸一級天使装束なのですゥ。アリス様はあの状態から外道スライムに抗っているのですゥ!」

 カナリア=ソナタは素直にアリス様が身につけている超一級天使装束の防御力に感心せざるをえなかった。今や、アリス様はヘルメットを被り、パンツ一丁姿という、どこをどう見てもただの変態姿だというのに、それ以上の浸食を決して許そうとはしなかったのだ。こればかりはカナリア=ソナタはアリス様を羨ましいとしか感じられなかった。
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