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第14章:南ケイ州vsアデレート王家

第10話:生きる道

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 セツラは今まで味わったことのない怖気を身体中に感じた。寒さが身体に纏わりつき、いくら身体を両手でさすっても、その寒さを取り除くことが出来ないでいた。セツラの唇は紫色に変色しており、彼女の隣にいたクロウリーが崩れ落ちていくセツラの身体を支える。

「クロウリー様……。逃げてく……ださい。とんでもない悪意がクロウリー様の下へとやってきま……す」

「セツラ殿! 誰かセツラ殿を救護班へ!」

 クロウリーはセツラの身体が異様に冷たくなっているのを感じ取る。セツラの身体に触れているだけで、セツラが感じている寒さがクロウリーの身体にまで伝わってくる。クロウリーは珍しくも焦っていた。セツラを支えている手からはどんどんと嫌な汗が溢れてくる。

 クロウリーはセツラを兵に任せると、馬車を走らせて、エーリカの下へと急ぐ。血相を変えて飛んできたクロウリーにエーリカは驚きを隠せないでいた。エーリカがクロウリーに持ち場を何故離れたのかと問う。だが、エーリカはクロウリーからの返答を聞く前に、アデレート王家の兵士たちの絶望にも似た悲鳴を耳に入れることになる。

「なん……でだ? あの軍旗は剣王のだぞっ!」

「何故に剣王の軍が南ケイ州にいるんだ!? 剣王は南ケイ州を越えたコウ州のさらに向こう側のナンチュウ州だろうが!?」

「誰か紋章官を呼んで来いっ! 剣王の軍がこんなところに居てたまるかっ!!」

 アデレート王家軍は剣王軍の軍旗を見ただけで、震えあがっていた。それもそうだろう。剣王軍はアデレート王国の全員でなんとかアデレート王国の西端であるナンチュウ州まで追い込んだのだ。その剣王軍は拳王を破ったといえども、斧王軍が拳王に代わって抑え込んでいてくれたはずであった。剣王軍がこの場所に居るということは斧王軍が破れたということである。

 だが、それだけでは到底、剣王軍がこの場に居る説明にはならなかった。斧王を剣王が破ったところで、奴は南ケイ州の西にあるコウ州を支配しなければならないはずだ。斧王が破れたことすら、まだアデレート国全体に報せが届く前だ。コウ州をどうにかすることは置いておいてとしても、南ケイ州に入るための大義が必要なはずであった。

 だが、それらの推測全てをぶち破り、剣王軍が確かにこの地に居たのである。これだけで、アデレート王家軍は狂乱怒涛の窮地に陥る。アデレート王家軍の総大将でるシュウザンは何とかしてこの混乱を止めようとした。ケンキ将軍も同様であった。

 しかし、勝ち戦に浮かれていた兵士たちであったからこそ、この剣王軍出現による衝撃度は計り知れないモノになってしまった。2週間以上に及ぶがっぷり4つでのいくさは南ケイ州軍だけでなく、アデレート王家軍も疲弊させていた。眼に見える疲労を眼に見えない精神力で補っていただけだなのだ。2万vs1万4千と、数の上で不利な中、アデレート王家軍はよくやったと言える。

 ついに難敵である南ケイ州軍が崩壊したことで、アデレート王家軍の追討作戦が展開されている真っ最中であった。兵士たちは逃げ惑う南ケイ州軍を押し倒し、その身に着ていた鎧を剥ぎ取る。後で金に換えるためだ。その代わり、抵抗を必要以上に見せぬのであれば、命までは取らなかった。戦争とは経済活動の一種とはよく言ったものである。

 下級兵士を捕らえたところで、金に換えることが出来るかはこの時点では不明だ。家族が返してほしいと願い出れば、釈放金をもらうことが出来る。しかしだ、アデレート王家軍の総大将であるシュウザンが捨て置けと命じたのも大きかったと言えよう。

 シュウザン将軍が最終的に目指す場所は南ケイ州のみやこだった。そこまでの道中に要らぬ荷物を背負わないようにと軍全体に命じたのである。この場合、1番の荷物となるのは捕虜である。みやこまで進軍しないのならば、ある程度の捕虜を手に入れていたであろう。だが、捕虜を取るよりも大事な目的があったのだ、アデレート王家軍は。それを優先したまでに過ぎない。

 兵士たちは奪ったばかりの敵兵の鎧を投げ捨て、我先にと逃げ出していた。こうなってしまってはいくら有能な将と言えども、軍の崩壊を止めるすべは持っていなかった。シュウザン将軍は歯ぎしりをし、歯茎から血が出まくることになる。

「全軍、撤退せよっ! 南ケイ州から外にまで走れっ!」

 シュウザン将軍は全軍に撤退を命じる。その途上において、崩壊していない軍に出会うことになる。シュウザン将軍はチッ! と強く舌打ちし、その軍をまとめあげている者の前に進む。

「何をやっている! 剣王軍が攻めてきたのだぞっ!」

「シュウザン将軍……。あたしたち血濡れの女王ブラッディ・エーリカの団が殿しんがりになります」

「何……だと!? 何を言っているのかわかっているのか!?」

 シュウザン将軍が激怒するのも当たり前であった。眼の前の少女が兜の緒を締め直し、さらには自らが率いている軍の指揮を執り始めたからだ。シュウザン将軍はその少女を止めに入る。だが、その少女はシュウザン将軍の手を振りほどき、自分の団に号令をかけるのであった。

「敵は剣王軍! あたしたちは4人の武王を打ち破り、彼らを従えるためにアデレート王国へと上陸したわっ! 今こそ、あたしたちの願いが叶う時がきた! あなたたちの命をあたしに預けなさいっ!」

 エーリカは右手に持つ太刀を天高く掲げる。そうした後、シュウザン将軍に顔を向け、南ケイ州の流民たちのことは頼みますと言う。シュウザン将軍はこれまで以上に苦虫を噛み砕く表情となる。エーリカはそんなシュウザン将軍に微笑んだ後、再び真っ直ぐ前を向く。

「今日は死ぬにはもってこいの日でござる。マーベル殿まで付き合わなくていいでござるよ?」

「バッカヤロウ! ブルースが一番格好良く戦える場所だから、あたいはその特等席に居るまでだよっ! なーにを勘違いしてやがんだい!」

「たはぁ……。こりゃ、地獄に堕ちても、ブルース隊長とマーベル女傑は喧嘩をしそうだぜ」

「いいじゃないですかぁ。夫婦喧嘩は鬼も食わないって言いますしぃ。あれ? 犬でしたっけぇ?」

 ブルースはマーベルに退けと言うが、頑なにマーベルは拒否した。そして、ブルースの補佐であるケージとランが地獄にまでお供しますと言ってくれる。ブルースはありがたく思ってしまう。ブルースたちは兜の緒を締め直し、先に行くエーリカの後を追いかける。その途上でアベル隊の隊長とその補佐たちと合流するのであった。

「レイ。この戦いを生き残ったら、レイの初めてをもらう! だから、それがしは死なん!」

「アベル隊長……。初めてってどこまで奪うつもりなのです? キスです? ベッドインです? それとも……その先なのです?」

「あーあーあー。生きるか死ぬかの瀬戸際なのに、燃え立つふたりが登場だべさ。でも、これくらい前向きじゃないとダメなんだべさ! おいらも生き残って、ケンキ様から初めてをプレゼントしてもらんだべさ!」

 ブルースは苦笑してしまうしかなかった。自分は死ぬ覚悟をしていたが、アベルたちときたら、この死地を生き残る気満々であった。しかしながら、間違っているのは自分であることにすぐ気づくことになる。それもそうだ。隣にはウルウルと瞳を潤ませている女傑がいたからだ。

「さっき言ったことは撤回させてもらうでござる。拙者は生きて、生きて、生き延びて、マーベル殿と幸せな家庭を作るでござる」

「おう! あんたの子なら何人でも産んでやるさぁ! さあ、かかってきやがれ! 死ぬ覚悟をした奴よりも、生きる覚悟をした奴のほうが強いってことを剣王軍に教えてやらぁぁぁ!!」
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