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第一章:大英雄の産声《ルクス・ゲネシス》
16 なんでそこまで
しおりを挟む溜まった湯舟に少女を放り投げ、その脱衣所の所でゆっくりと腰を下ろした。手拭きや洗髪剤や石鹸も水桶に入れて投げているから、適当に綺麗にしてくれるだろう。
うはー! と気持ちよさそうに湯舟に使っている少女の声が反響をするのを聞き、息をついた。
「お前、家は」
「ないヨ?」
「今までどうしてきた」
「教会に言って泊めてもらってタ」
だけど――と言って、バシャバシャとなっていた水音が止んだ。
「エレの家が分かってからは、近くで寝てタ!」
「近く……って、お前」
出てきそうな言葉を喉の奥に引っ込めた。
「……そういうことか」
この家は街中にはなく、山の中に構えている。
買うのだから、大きく、住み心地のいい場所が良い。その思いで建てたのが、街はずれのこの家だ。
街の中央にある教会との距離は歩いて十キロ以上はある。オレは山中を自由に走り回れるから「冒険に行く前の準備運動だ」と難なく数分で到達はできるが……。
少女がその距離を――神官衣という動きにくい衣類に身を包んで移動するには、到底一時間では足りない。
上り坂などを考慮すれば、四、五時間はかかるとみていい。
それに、こんな早朝だ。
この家に来るためには夜中に教会を出なければならない。夜中の山登りはそりゃあ恐ろしい。迷子にもなるし、気温は低いし、道を誤れば後日に死体になってさようならだ。
だから、彼女は頭や肩に枯れ葉を乗せていたのだ。
寒空の下、防寒具もなく、身を縮めて寝ていたら、衣類のそこかしこに地面に落ちている枯れ葉が付いてくるに決まっている。
一応は払ってはみたのだろうが、そのし忘れが乗っていたらしい。
尾行した時、オレの家まで時間がかかると理解をしたから。
「馬鹿だな、お前。外で寝てたんだろ」
「うン」
「凍え死ぬぞ」
「エレと早く会いたいから、寒くても平気ダ」
「そういうことを言いたいこと訳じゃあ」
「そーゆー訳なノ! 何年間も頑張ったんだから、一秒も我慢したくないんダ」
再びバシャバシャと遊ぶような音が聞こえて、衣嚢に入れていた懐中時計に目をやる。
「……」
街中では、そろそろ新聞紙が配られている頃だろう。
今日の紙面に載っているとの確証はないが、あの偏屈な王様にしてはかなり猶予をくれた方だ。今日か明日かにはオレの行いが様々な尾ひれがついて化け物のような魚になって泳いで回っているだろう。
早く出るのに越したことはない。
「――なぁ」
「――ネ」
二人の声が重なり「あ」と間が抜けた声が二人からこぼれる。
アレッタが譲るように黙り込んだが、「いいから話してみろ」と言ってアレッタに発言権を譲る。
「あの荷物、どうするノ?」
ちゃぷっ、と手で掬った水が湯舟の元へ返る音が響く。
「……どうするんだろうなぁ。俺も、分からん」
「エ?」
「あー、いや」
なに子ども相手に、しんみりとしてるんだか。
「まっ。とりあえずはこの街からは出ていくつもりだ。東に行くと俺の生まれ故郷がある。そこなら居心地も悪くはないと思ってる。この体の治療方法も調べないとな」
「ふーン」
全く興味のない話への相槌のようだった。
「でも、エレがどこに行こうが、ワタシには関係ナイ!」
「おいおい、聞いてきたのはそっちだぞ?」
「だって、ワタシはエレの仲間だからナ!」
「仲間って、オレがいつ──」
バシャリと水音が聞こえた。
磨硝子に見えるのは、ぼやけた細くすらりと伸びた肢体。
――湯舟から上がる。
そう思って、脱衣所から出ようとしたオレよりも早くアレッタは磨硝子を開けて、濡れたままオレの体に抱き着いてきた。
「おいっ、ばか! 濡れるだろ!?」
「どこの街に行くノ? 遠い所だったら嬉しいかもしれナイ! その時間ずっとエレとお話できるかラ! ウヒヒ」
あくまでも付いてくるつもりのアレッタに、引きはがそうとしていた手を止めた。
「…………なぁ、一ついいか」
「ナニ?」
「なんで俺にここまでする? 最初あった時に言ったろ。お前のことは覚えていないって」
「思い出すから、いいもン」
ぎゅっと抱き着かれ、今朝干していたばかりの衣類が濡れる。
じんわりとした温もりが、衣類の下の包帯にまで届き、湿らせた。
思い出さなかったら、どうするんだ。
アレッタが何年もの間で何をしていたかは分からないが、それまでの期間でオレは毎日毎日を精神をすり減らして勇者一党の先鋒であったのだ。
助けてきた人も
訪れた街も
両手では何度往復しても数え切れない。
そんな中で『おそらく何らかの形で触れ合った神官を一人思い出せ』と言われても難しい。
「……」
やっぱり、ダメだ。
この少女を連れて行くと、辛い思いをさせる。
「アレッタ。聞け、いいか?」
抱き着いているまま、こくと頷いたのを感じて話し始めた。
「俺は人より頑丈だから傷が治りにくい。アレッタの力でも治せない」
「それ、何回も聞いタ」
「大事なことだから、何回も言うんだ」
「でも、ワタシ、治せル」
「治せなかったろ?」
「治せるようになル」
「……まぁ、そうなったと仮定して、俺はここ数日で一気に国民から嫌われ者になる。その仲間になったら、お前が大変な思いをする」
「大変な思いなら、もうたくさんしてきタ」
「だから……そういう、なぁ……」
どうしたものか、と言葉を探そうとしたところ、抱き着く力が強まったのを感じた。
白い肌を震わせていた。
寒さで震えている――訳ではないようだ。
「ワタシを置いて、どこかにいかないデ。……どこかに行くなら、つれていっテ」
ぽたぽたと蜜柑色の瞳から流れてきたのは涙。オレが自分を仲間に入れずにどこかに行ってしまうと感じ取ったのだろう。
「一人にしないデ……役に立つかラ」
顔を埋めるように裸体の少女にそう言われて、困ったように天井を見上げた。
こんな出来損ないに、なに泣いてるんだか。
自分の顔も名前も覚えていない相手に、ここまでする理由はなんだ。
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