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第一章:大英雄の産声《ルクス・ゲネシス》
60 勝負有り
しおりを挟むモスカは貴族と共にやった狩猟の道楽を思い出す。手負いの獣を森にわざと逃し、追いかけ、始末をする。
あの時にはまったく面白くはなかったが、こういう気分だったのかと納得をする。相手が見出す希望をこちらが抑え、その挙げ句に浮かぶ絶望の顔は最高の愉悦に繋がる。
「ははははっ……!」
相手を手の内で転ばせている感覚は、強者だけに許されたものだ。
「なぁ! 答えろよ! 選ばれなかった者の目には希望が見えてるのか!? 勇者に選ばれず、ここで死ぬお前の目には何が見えてんだよ!」
「……希望は見えないな」
「はははっ、どうしたやけに正直じゃないか! 威勢はどうした!? その程度か! 大英雄とやらになるんだろう!?」
エレの胸元に見える火が燻る。
「一人でなれる訳がない! その上、お前の仲間になろうとする奴なんていないさ! いても必ず不幸になる! お前への世間の評価は風化はしない!」
愉悦が最高潮に達する。本当に楽しい。
この世界に五人しかいない一旗を完全に追い詰めている。自分が最も強いのだと感じる。
「いっつも絶望してばっかりだよ……子どもの頃から、お前が勇者に選ばれたときから」
「……ほお? それは、可哀想に」
「だが、希望ってのは見るもんじゃなくて自分で掴むもんだと知ってる」
「今のお前にそれができるのか?」
哀れみと愉悦。その二つの感情を向けるモスカを前にして、笑った。
「お前、センス無いな。できるとかじゃあねぇよ。やるんだよ。できなかったら、できるまでやんだよ」
エレは武器を構えて、息を鋭く吐いた。
「恵まれてないオレが唯一、お前に勝ってるのは挑戦回数だけなんだから」
攻めなければ始まらない。エレは地面を抉るほどの力で踏み込んだ。
がなる金属音。質素な短剣と聖遺物のぶつかり合い。軍配は当然向こう側へ上がる。
しかし、短剣は壊れてはいない。
「……っ?」
「どうした、壊せなかったのがおかしいか? おかげさまで、質素な武器の取り扱いは心得てんだよ」
鼻で笑い、アスカロトと打ち合いながら死角から飛んでくる斬撃を避ける。流し、切り返す。その繰り返し。一歩間違えれば、体のどこかが吹き飛んでいく。
しかし、攻防を繰り返す度に蓄積されていくのは斬撃の余波による切り傷。オレの体中は真っ赤に染まっていっていた。
広場を縦横無尽に駆け、駆け、駆けて──様々な角度で振り抜く。それでも、モスカには届かない。でも、やるしかない。
誰が見ても分かるほどのジリ貧。攻撃の回数が二十に達する頃には、オレの体は立っているだけでもやっとなほどボロボロになっていた。
「はぁ……っ、ハァッ……」
包帯の上から傷が付き、古傷からは血が流れ落ちて、腕の関節のいくつかは絶たれて、五指の内動くのは親指と中指だけ。
意識も朦朧とし、呼吸ですら続けるのに全力だ。そんなオレを見るモスカの目は最高に楽しそうな色を帯びていた。
「打つ手がないか? ならば、こちらから行こう」
声が聞こえると、一帯に浮遊していたマナがぐにゃりと歪み、障害物にしていた土台が切り刻まれ──短剣を握っていた片腕が切り飛ばされた。
「なっ!?」
燃える音。結界にまで飛んでいった腕は焔によって、一気に丸焦げになっていた。
「グッ……!!」
「唯一の障害物だものな。有効的に使いたかっただろう?」
子どもへ話しかけるような口調で問う。止血をしたいが、その暇すらもない。
「ちっ、傷が……」
「やはり、そうか。あの話は本当だったんだな」
「…………?」
傷が再生をしないオレの姿を見て、モスカは口元を手で覆った。が、歪んだ口角が見え見えだ。
「何を言ってるのか分からんが、たかが腕一本だ。油断するには早いんじゃないか?」
「強がりを。オマエこそ自分らの天敵を前に腕一本で勝てると思っているのか?」
残りの短剣は二本。腕は一本。
ならば、次の攻めで全力をぶつけるしか無い。右腕に短剣、口にもう一本を咥えた。
モスカは少し身構えた。
目の前にいるのは満身創痍の体。その瞳は井戸の底のように暗い。
だが、明確な”殺意”という名の意思を感じさせる。
「野生だな」
「器用って言えよ、貴族崩れ!」
「ならば、器用な神殿の子に敬意を示し。もう一つ、追加だ!!」
モスカは剣を地面に触れさせた。
「──っ!!」
その姿に、歯から血が滲むほど咬合した。
まずい。
これ以上【創造】をされたら勝機がなくなる……!!
頭で理解するよりも前に、オレは一直線に止めに入っていた。
襲いかかってくる不可視の斬撃を皮一枚で避ける。避ける。そして、余波によってボロボロになっていく。
「ぐ、あぁぁぁぁっ!!」
止まらない。
止まるわけにはいかない。
「アアアァァァァァァアアアアァァッ!!!」
目が潰れた。
指が切断された。
耳が切れた。
残っていた腕も関節を絶たれ、使い物にならなくなった。
それでも、
「止まるかよォ──ッ!!」
止まってなるものか。
止まって良い訳がないのだ。
「なめるな……!! オレは、誓ったんだ!」
まだ、何も果たせれていないのだ。
幼い頃の夢も。
あの時、兄妹を馬鹿にした誰にも見返せれていない。
「こんな場所で、終われるか……ッ!」
何者にもなれていないのだ。
コレさえ失ってしまっては、昔の空っぽな自分に戻ってしまう。
「オレは!! オレは──」
咬合した短剣でモスカの喉を狙った一撃を繰り出そうとして、
「この手に引っかかるのか、やはりお前は弱くなっているな」
モスカは地面に突いていたアスカロトで、エレの体を逆袈裟斬りにした。
「──……ぁ」
走っていた勢いそのままでモスカの横を通り過ぎていく。
「……おれ、は」
足音が段々と遅くなる。
切断面がズレる。
──体のバランスが崩れる。
────虚ろな視界が斜めにずれていく中、言葉が落ちていった。
「………………だい、えいゆう、に……」
足音が止まると、切断された体を手放すように崩れ落ちた。
モスカは物音が止むと、最後に振り向いて確認をした。
「……やはりお前を追放して正解だった。こうも弱くては、魔王どころか魔族すらも殺せない」
もうエレの体に、火は灯ってはいなかった。
◇◇◇
勝負は決まった。モスカの勝利だ。
エレの死亡が確認すると、溶けるように結界がなくなっていく。そこでようやく観衆達の声も聞こえてきていた。
(やはり……お前ら選ばれなかった者を殺せるのはオレだけだった)
結界が溶け切っていなくとも聞こえてくるその声は、口々に何かを叫んでいる。歓声だ。モスカの圧倒的な勝利を前にして、称賛しているのだ。
アスカロトを腰帯のホルスターに仕舞い、いつの間にかかいていた汗を拭った。最後の鬼気迫るエレの表情が脳裏に焼き付いている。
「お前のような弱い者が英雄を超えるだって? まるで子どもの戯言だな」
陛下に命じられた戦闘とはいえ、自分の実力を試すのにはいい場面だった。
これで叙事の漏洩が起こったとしても当事者がいないのだからそこまでの影響力はないはず。あとは王国側がうまい具合に鎮火させてくれるだろう。
「恨むなよ。魔王を殺さなかったオマエが撒いた種だ」
かつての仲間の最後の姿に唾を吐き、完全に解けた結界から外に出ようとして、そこで初めてまともに声が耳に入ってきた。
「勇者様!! なぜ、結界を解きになられたのですか!?」
「はっ……?」
矢を射った少年兵の言葉の意味がわからなかった。
なぜ? 殺したからだろう。
火は消え、死亡が確認できたから結界を解除した。
それのどこがおかしいというのだ。
「なにをいってる。アイツは死んだ」
「死んだって……なにを、だって──後ろに、まだ」
モスカは怪訝そうな顔を浮かべたが、頭の中でなにかが繋がると焦ったように振り返って──
「なぁ、モスカ。────誰が、死んだって?」
短剣を振りかぶっていたエレに袈裟斬りをされた。
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