寡黙な消防士でも恋はする

氷 豹人

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 帰りの車中はいやに静かだった。
「おい、堂島」
 救助車に乗り込むなり、むっつりと口を引き結び、ひたすら窓の外を向いていた日浦が、ちょうど五分経ってから口を開ける。
「お前、もしかして」
「可愛い子だったな、堂島」
 何かを察知したらしい藤田隊長が、助手席からやんわりと割って入った。
「お前に目元がそっくりで。ありゃ、将来美人になるぞ」
 手続き諸々あるので、隊長には話したが、隊員には俺の離婚はまだ打ち明けていない。
「そうそう。父親はこんなに無愛想やのになあ。娘はえらいニコニコで」
 ハンドルを回しながら、橋本が失礼極まりない言葉で繋ぐ。
「あの頃が一番可愛らしい年ですよ」
 笠置の分際で生意気な口をきく。
 頼むから、傷口に塩を塗り込むような真似はやめてくれ。俺は和気あいあいと子供のことで盛り上がる車内に、唇を噛んでひたすら耐えた。


 弁天町の高級ホテルなどには縁がないと言い張ったものの、何故俺がその玄関口に佇んでいるかと言えば、それはひとえに、笠置の推すランチバイキングを偵察に来たからだ。
 三歳の娘にはまだ早過ぎると決めつけていたが、期間限定として試験的に子供を対象にしたフェアが実施されていると、笠置から情報が入ったからだ。一度覗いて来ればとの行け行けコールに、とうとう俺は根負けしてしまった。春花の笑顔が過り、迷いつつも足が向かって、現在に至る。
 回転扉をくぐって五秒で早速後悔した。
 着古した黒無地のTシャツに、よれよれのチノパン、スニーカーといえばノーブランドの埃まみれ傷だらけという、かなりくたびれた恰好の俺は、誰がどう見ても場違いで、胡散臭かった。
 天井から吊り下げられた巨大なシャンデリアによって、ロビー全体が淡い橙に包まれている。まるで蝋燭の炎に包まれているような、ぼんやりしたふわふわする空間だ。大理石の床や柱はギリシア宮殿を思い起こさせるゴージャスな造りで、行き交う宿泊客もきっちりとスーツを着こなした外国人ばかり。一瞬、海外に迷い込んだのではなかろうかと錯覚した。しかし、飛び交う言語は紛れもなく日本語であり、俺は何だか異国の地に迷い込んだ旅人のような心許ない気分になった。
 明らかに醸し出す空気が違う。回れ右して外に出ようとしたとき、ぎくっと全身の筋肉が動きを止める。
 美和子だ。
 俺は咄嗟に柱の影に身を隠した。
 かなり白粉をはたいた濃い化粧で、付け睫毛盛り過ぎだろうってほどの気合の入れよう。俺が見たこともない、濃紺の、体のラインがはっきりとわかるワンピースを身につけている。生地やデザインからして、おそらく有名どころのブランドものだろう。胸元の切り込みが際ど過ぎる。とても、三歳の娘のいる母親とは思えねえ。
 美和子はフロントで何やら二言三言交わした後、エレベーターの扉の向こうへと姿を消した。
 上昇するエレベーターの階数が三十で停止したことを遠目に確かめながら、俺は拳に青筋を浮かせ、心臓をどんと突いた。
 美和子は確実に誰かと待ち合わせていた。一人、部屋へと向かった。
 その先に、誰が待ち受けているのか。
 そもそも、何故、着飾ってこんなホテルを訪れたのか。
 出て来る答えは一つしか浮かばず、否定しようとすればするほど、だんだんはっきりと色濃くなってくる。
 美和子には、とっくに相手がいた。
 胸に出来た小さな染みは、たちまち広がり、俺の心臓をぎりぎりと締めつけた。離婚したのだから、彼女が人生をどのように過ごそうか勝手だ。わかっちゃいたが、何だか抜け駆けされた気分で、釈然としない。
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