寡黙な消防士でも恋はする

氷 豹人

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 風呂場で汚れた衣類と靴を濯ぎ、乾かしている最中だと日浦が告げる。
 俺はああ、と短く返事するのが精一杯で、ベッドに体を大の字にしたまま身動きがとれない。ボクサーパンツ一丁という間抜けな姿だが、今更だ。
 そんな俺の目元に、日浦は水で絞ったタオルを乗っけた。視界が一気に暗くなる。こめかみの脇が沈んだ。日浦が腰を下ろした気配。
「娘に会えないのが辛いんだ。寂しくて、寂しくて。仕事から帰って来て、一人になるのがこんなに堪えるなんて」
「それで、限界が来たんだ」
 やけに穏やかな相槌に、そうかも知れないと俺は納得する。いつもならメソメソ弱音なんか吐かないのに。酒は人を狂わせるとか言うが、本当だよ、全く。
「慰めてやろうか?」
 まさに傲岸不遜、上から目線の提案。言い方がカチン、ときた。
「ああ?」
 濁点つきで聞いた俺の声を、日浦は受け流した。無視かよ。カッとなった勢いで湿ったタオルを取り払ったのは、間違いだった。見てはいけないものを見てしまった。逆三角形の肉体美。筋肉の凹凸により、陰影が出来上がる。やつの目は据わり、爛々と瞬いている。
 やばい。第六感が働いた。
「抱いて忘れさせてやる」
 こいつ。直球できやがった。
 ベッドから跳ね起きる。逃げるが勝ちだ。膝をつき、立ち上がろうとしたら、いきなり手首を掴まれた。振り解こうとしても、びくともしない。やつの掌が、そのまま俺の掌に重なった。肉刺まめの出来たやつの指が、俺の指と指の間に入り込み、曲がった。優男の面が接近する。やばい。まずい。このままでは、いかん。俺は二の腕に力を込め、やつの手を押して、唇の尖った優男の顔ごと体を向こうへ押しやる。何のこれしき、と日浦は押し戻った。ぐぐぐぐ、と力がぶつかり合う。
「今だけでも、楽になれよ」
「はああああ? ふざけんなよ、てめえ」
「俺は真面目だよ」
「何で俺が掘られなきゃならねえんだ」
「おい。もっと情緒のある言い方をしろよ」
「掘られるもんは、掘られるだろうが。オブラートに包もうとしてんじゃねえ」
 ぐぐぐぐぐ、と押さえつけてくる力は化け物そのもの。まるで巨大な壁がじわりじわりと迫ってくるみたいだ。脱出ゲームじゃねえんだ。勘弁しろ。俺の二の腕はがちがちに張って筋が浮き出ているというのに、日浦は相変わらず均整のとれた彫刻そのものの綺麗な肉付き。俺がヒイヒイと喉をひくつかせているというのに、この化けモンはニタリと余裕の笑みまでかましやがる。
「言っとくけど、特救の体力試験は俺の方が上だったんだ。腕力では負けないぞ」
「はあああ?何年前の話だ、そりゃ」
「まだまだ健在だ」
「おっさんの分際で、何を偉そうに」
「お前だって三十路だろうが」
「六歳差をなめんな」
「どうでもいいけど、酒入ると本心ダダ漏れなのな、お前」
 だから、そのわざとらしい溜め息はやめろ。
 日浦はよっと腕を捻った。 
「うおっ」
 世界が回る。天井の壁紙がさっきと逆に模様を変えた。
「副隊長はお飾りで出来るものではないんだ。覚えておけ」
 一本背負いを食らって、俺の背中はマットレスに叩きつけられた。一体全体、何が起きたんだ。思考が追いつかず唖然とする俺を、やつは真上から覗き込んでくる。膝を曲げ、俺のこめかみすれすれの位置で手をつく。影が落ちた。やつの前髪が俺の額を掠める。
「取り敢えず、キスしていいか?」
 遠慮がちな問いかけに、俺は目玉が落っこちるんじゃないかと思えるくらい大きく目を開けたのは言うまでもない。
 日浦は至極、真面目な顔つきだ。瞬き一つしねえ。
 俺は跳ね起きる。
 反射神経の良い日浦がさっと避けたので、頭突きは免れた。
 ダブルベッドの上で、図体のでかい男二人、何故か一方は息を潜めて間合いを詰め、一方は後ずさりして同じ距離分退く。 
 一歩進んで、一歩下がる。進んで、下がる。これは結構なギャグだろう。そう思ったら、腹の底から何とも言えないむかつきが湧いた。
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