寡黙な消防士でも恋はする

氷 豹人

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続編 愛くらい語らせろ

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「だから、私はあんたのことなんか、何とも思ってないから!」
 唐突に上がった怒鳴り声に、俺の靴の裏は十センチは軽く地面から離れたぞ。
 飛び上がった俺とは対照的に、日浦は木製扉に背中を預け、雲一つない空を見上げた。
「そんな……そんな言い方……俺が板前になること、応援してくれたじゃないか」
「そりゃ、将来の夢を叶えるために頑張ってって言ったけど」
 女の声がだんだん弱々しくなっていく。
 扉の向こう側は従業員専用となっている。つまり、二人はこの料亭の関係者だ。仕事中なのか、そうでないのか。何やら痴話喧嘩をおっ始められたら、堪ったもんじゃない。
「おい、行くぞ」
 日浦に耳打ちし腕を引く。だが、日浦は地蔵みたいにその場を動かない。木製扉に凭れ、俺を横目するだけだ。
「おい、趣味わりいぞ。盗み聞きって」
「静かに」
 節の張った長い人差しが俺の唇に当たる。
「日浦」
 こっそり呼んでも、首を横に振るだけ。
 何なんだよ。他人の痴話喧嘩に耳をそば立たせて。
 とかいう俺も、日浦に並ぶ。腕を組み、その場に居座った。
 女の声に引っ掛かったからだ。
「待てよ」
 扉の向こうでは諍いは続く。
「離して」
 相手の男に腕でも掴まれているのか、女が嫌がる素振りをしている。乾いた音。頬でも叩いたか。
「俺、やっと二十歳になったんだ」
「だから?」
「やっと大人になった」
 扉一枚隔てた先では、女の溜め息が大きい。
「そして私はおばさんになっていくのよ」
「あなたは、おばさんじゃない」
「十も年が離れてるのよ」
「関係ない」
「私は気にするわ」
 靴音が近づいて来る。不味い。鉢合わせなんてことになったら、どんな顔すりゃいいんだ。
 慌てて立ち去ろうとしたら、腕を引かれて、真後ろに体が傾く。後頭部を打ったのは、硬いコンクリートではなく、鍛え上げられた胸筋。日浦に羽交締めにされてしまった。
 早く胸に巻き付いた腕を解け。
 だが、日浦はびくともしない。
「それだけじゃないだろ」
 扉の向こうでは、重い空気が漂う。男の声が一オクターブ下がった。
「俺の母が病気で寝たきりだから?あなたとの生活に支障をきたすからか?」
「違う」
「嘘だ」
「私が断る理由に、あんたの母親は関係ない」
「待ってよ。美希さん」
 扉が開いた。
 ショートカットの毛先が、大きく揺れる。
「馴れ馴れしく呼ばない……で……」
 姿を現したのは、チラリと顔が過ぎった相手。やはり、と言うべきか。それとも、予想外と言うべきか。
 コンタクトレンズで嵩の増した、着せ替え人形のような瞳が倍以上に開いている。丁寧に縁取られた唇が戦慄いた。
 俺の脳は状況を処理しきれず、その場に立ち尽くすしかない。
「……」
「……」
 互いに沈黙するしかない。
 彼女も、この場所にいる俺にどういった反応を示すべきか、思案しているようだ。
 しかも、視線は俺の真後ろから動かない。
 って、日浦。いつまでくっついていやがる。不審がられるだろ。いい加減に離せ。どさくさ紛れに引き寄せて、さらに力を加えるな。
「……堂島さん?」
 異様なものを目にした。そう言わんばかりに、四ノ宮さんは目元の皺を濃くし、僅かに唇を開いて俺の名を呼んだ。いや、自然と溢れたと言った方が正しい。



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