寡黙な消防士でも恋はする

晴 菜葉

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続編 愛くらい語らせろ

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「心臓麻痺だってな、あの要救助者」
 署に戻って早々、ペットボトルの水を一気飲みしてから日浦が独りごちた。
「あっちゃん」
 喉仏を上下させた後、黒目がこちらを向く。
「見たか?」
 意味深な言い方で問いかけてきた。
 見た?何を?もしかして怪談話か?
「いや。俺、霊感ありませんから」
 どうやら、とんちんかんなことを口にしてしまったようだ。
 日浦は額を押さえると項垂れ、どんな肺活量だよと言わんばかりの長い長い溜め息を吐き出した。
 だから、いちいちわざとらしいんだよ。呆れてるなら呆れてるって、はっきり言え。
「あの女に連絡しろ」
 空になったペットボトルのフィルムをべりべり剥がしながら、日浦は短く命令する。
「あの女?」
「四ノ宮美希だよ」
 思っても見ない名前が出て、あやうく椅子から尻がずり落ちそうになった。報告書の仕上げ段階まできたが、パソコン入力の手を止めてしまう。
「……お前、あんなに会うな会うなって」
「状況が変わった。ちょっと聞きたいことがある」
 ミイの連絡先を消せ消せと、やかましかったのに。
「それに」
 ことん、と空のペットボトルが屑籠に落ちる。
「浮気なんかしたら、またヒイヒイ泣かせるだけだ。今度こそ例のアレ使ってやる」
 例のアレ。尿道プラグか。
 ぞくり、と悪寒が走った。
「何や何や。例のアレて」
 呼んでもいないのに寄ってくる。橋本は机の端に尻を乗せた。
「もしかして日浦、アレ使たんか?どうやった?女、悦んでしゃあなかったやろ」
「ああ。この上なく」
 平然と言ってのける日浦の顔面に拳をヒットさせてやりたかったが、そうなると橋本から余計な詮索を受けるのは目に見えている。ぎりぎりと奥歯を擦り合わせながら、二人を睨みつけるしかない。
「知り合いがモニターの感想教えてくれやって。今度アンケート持って来るわな」
「ああ」
「まだまだあるから、また持って来るわ。今度のやつは、もう、凄いの何の……って、痛ええ!」
 小気味良い音が室内に響き渡る。
 悲鳴を上げた橋本は左頬を押さえながら、机から一足飛んで俺達から離れた。
 不良時代に培った俺の平手は未だに健在で、張り手を受けた橋本は涙を溜めて本気で痛がっている。
「おい、コラ!堂島!何や、急に!」
 俺より何年も前にこの辺の不良を束ねていたのは知っている。橋本も俺と同類、売られた喧嘩は買う主義。人畜無害そうな垂れ目に騙されねえぞ。
「こいつに妙なモン渡すな」
 これ以上、変な趣味に走られたら、こっちの身が保たない。
「ああ?何や、先輩にタメ口で」
 垂れ目が吊り上がる。正体見せたな。
「どうしたんですか?バチーンって、凄い音しましたけど……やばっ」
 普段は空気を読まないくせに、自分が巻き込まれる危険回避は徹底している笠置は、トイレから戻るなり回れ右して再びこそこそと出て行く。
 隊長はずずずーっと番茶を啜っているだけで、注意する気はさらさらない。この人は業務に支障がない限り、目の届く範囲でなら好き勝手していようが構わないとの主義だ。
「何や、堂島。もしかして、お前も分けてほしいんか?」
「いらん」
 これ以上、余計なモン増やすな。
「悪いな、橋本。後でちゃんと言い聞かせておくから」
 ますます険悪になる場の空気を割ったのは、陽気を装う日浦の声。いつもの倍、トーンが高い。
 その裏に潜む不穏を感じ取ったのは、俺も橋本も両方だ。互いに反論しかけた言葉をごくりと飲み下す。
 橋本は「そうか」とだけ言い置いて、そそくさと自分の席に着いた。黒のファイルで顔半分隠しながら、こちらをチラチラ伺っている。
「……後で……たっぷりと……」
 日浦が耳元で囁く言葉は途切れ途切れだ。
 だが、言わんとするのは、しっかり受け止めてしまった。
 就業後が恐ろしい。
 
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