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第二章
森雪の執着
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「チヤホヤされていた僕にとって、兄さんの発言は、なかなかに新鮮でしたよ」
「そんなこと言った覚えはない」
言いつつ、あの頃の吉森は荒み切っていたので有り得る話だった。
店の連中も、運転手の是蔵以外は吉森に冷淡に接し、すっかり捻くれてしまって、一時期は強請りたかりまでやって辰屋の評判を大いに落とした。
世の中の無情に負けてはいけませんよ。
そう諭したのは、是蔵だ。
その言葉で立ち直った吉森は、それから猛勉強し、森雪に打ち勝つことだけに意識を集中させた。
どうせ比較されて忌み嫌われるくらいなら、誰をも唸らせるような出来になってやると、そのとき誓った。吉森の成績が上がれば上がるほど、森雪の脆弱さが際立っていく。
「お前はその積年の恨みで俺にこんなことを」
「恨み? 」
きょとん、と森雪は目を丸くする。
「どうして僕が兄さんを恨むのです? 」
「本来、辰屋の跡取りとしての地位が確立していたというのに、清右衛門翁の一言で、妾の子供を呼び寄せられたんだ。しかも、店を乗っ取られる始末。お前はそれが気に食わないんだろう」
吉森には一種のサディズム的な気持ちが芽生えていた。
とことん森雪を陥れてやりたい。
しかし、図星を突かれた森雪の顔に仄暗い影が差すとだろうといった期待は、次の言葉で見事に裏切られてしまった。
「誤解も甚だしい」
むしろ森雪の顔は、不気味さを孕んでいる。
「現在の状況は、僕が最も望んでいたことですよ」
顎を掴まれ、不覚にもびくっと反応してしまった。
「生意気な兄さんが、僕に組み敷かれて泣き喚いて喘ぐためなら、何だってしますよ」
幾ら偉そうに振る舞おうと、吉森は結局のところ気の小ささが露呈してしまう。サディズムになんてなり切れない。今も、長い指先が顎のラインを添うことに、むず痒く、相手のなすがままだ。立場の逆転に翻弄される。
「たとえ、わざと解答を間違えて試験を終えるとか。体の弱い振りをして跡取りの闘争から逃れるとか」
途端に、吉森の目が血走る。
淫靡な雰囲気に持ち込もうとする魂胆見え見えの相手の指を振り解いた。
「まさか、お前! 」
カッとなって頭上で振り上げた拳は、しかし降ろされることはなく宙空で止まった。ひょいとねじ曲がった。そのまま壁に背中を押しつけられる。
森雪は八重歯を覗かせ吉森の鎖骨を甘噛みした。
「兄さんがいつまでもこの家に留まるためなら、情けない姿を演じることなど、苦にもなりませんよ」
「では、週に三度の病院回りは」
「ほんの息抜きでね。隣町の道場に剣の稽古に通ったり。他は、まあ、僕もそれなりに男ですから」
ニタリといやらしく頬を歪めたことで、どこに行っていたのか容易に想像出来た。言い方からして、吉森よりも女を抱く回数は多いようだ。思い当る節は多い。ある程度の経験を積んだ吉森でさえ、彼の指遣いには参ってしまった。
「是蔵が知らないわけがない。お前、まさか」
たちまち眦を吊り上げ、握った拳に血管を浮かせる。
その心の内を読み取った森雪は、肩を竦めてみせた。
「僕が是蔵にその秘密を握られて殺害したと言いたいのですか? 馬鹿馬鹿しい」
鼻で笑うと、鬱陶しそうに長い前髪を掻き上げる。
「店の者は、僕の病が偽りであることにはとっくに気付いていたでしょうよ。週に三度の行き先もね。たとえ口には出さなくとも」
とっくに気付いていた。その言葉を脳内で反芻する。
森雪は爪先に当たる解剖学の分厚い辞典を軽く蹴って脇に退けると、吉森が抵抗しないと踏んで、今度は、真正面に向いていた体をくるりと反転させた。すぐさま項に吸い付く。
「あなたが陰で必死に薬学の勉強に励んでいたことも、とっくにお見通しですよ」
「え? 」
「あの父が気付いていなかったとお思いですか? 」
「知っていて、敢えて俺を泳がせていたのか? 俺が偉そうに振る舞っていることを、おもしろおかしく眺めていたのか? 」
これでは、わざと悪ぶって己の努力を隠し通そうとしていた自分が丸きりの道化ではないか。こっそりと自室で薬学に関する猛勉強をしていたことが、筒抜けだったというのか。吉森は瞠目し、呼吸する僅かな動きさえ出来ず、棒立ちになった。
「人聞きの悪い。しかし、父はあなたにどう接してよいのか、悩んでいましたね」
囁きが耳朶をくすぐる。
淫靡な雰囲気に持ち込もうとしていた。
「あなたに酷くしたい。許して下さい。僕のこの執着の仕様は、まさしく親譲りだ」
そして、森雪はその言葉が正しいことを証明してみせた。
「そんなこと言った覚えはない」
言いつつ、あの頃の吉森は荒み切っていたので有り得る話だった。
店の連中も、運転手の是蔵以外は吉森に冷淡に接し、すっかり捻くれてしまって、一時期は強請りたかりまでやって辰屋の評判を大いに落とした。
世の中の無情に負けてはいけませんよ。
そう諭したのは、是蔵だ。
その言葉で立ち直った吉森は、それから猛勉強し、森雪に打ち勝つことだけに意識を集中させた。
どうせ比較されて忌み嫌われるくらいなら、誰をも唸らせるような出来になってやると、そのとき誓った。吉森の成績が上がれば上がるほど、森雪の脆弱さが際立っていく。
「お前はその積年の恨みで俺にこんなことを」
「恨み? 」
きょとん、と森雪は目を丸くする。
「どうして僕が兄さんを恨むのです? 」
「本来、辰屋の跡取りとしての地位が確立していたというのに、清右衛門翁の一言で、妾の子供を呼び寄せられたんだ。しかも、店を乗っ取られる始末。お前はそれが気に食わないんだろう」
吉森には一種のサディズム的な気持ちが芽生えていた。
とことん森雪を陥れてやりたい。
しかし、図星を突かれた森雪の顔に仄暗い影が差すとだろうといった期待は、次の言葉で見事に裏切られてしまった。
「誤解も甚だしい」
むしろ森雪の顔は、不気味さを孕んでいる。
「現在の状況は、僕が最も望んでいたことですよ」
顎を掴まれ、不覚にもびくっと反応してしまった。
「生意気な兄さんが、僕に組み敷かれて泣き喚いて喘ぐためなら、何だってしますよ」
幾ら偉そうに振る舞おうと、吉森は結局のところ気の小ささが露呈してしまう。サディズムになんてなり切れない。今も、長い指先が顎のラインを添うことに、むず痒く、相手のなすがままだ。立場の逆転に翻弄される。
「たとえ、わざと解答を間違えて試験を終えるとか。体の弱い振りをして跡取りの闘争から逃れるとか」
途端に、吉森の目が血走る。
淫靡な雰囲気に持ち込もうとする魂胆見え見えの相手の指を振り解いた。
「まさか、お前! 」
カッとなって頭上で振り上げた拳は、しかし降ろされることはなく宙空で止まった。ひょいとねじ曲がった。そのまま壁に背中を押しつけられる。
森雪は八重歯を覗かせ吉森の鎖骨を甘噛みした。
「兄さんがいつまでもこの家に留まるためなら、情けない姿を演じることなど、苦にもなりませんよ」
「では、週に三度の病院回りは」
「ほんの息抜きでね。隣町の道場に剣の稽古に通ったり。他は、まあ、僕もそれなりに男ですから」
ニタリといやらしく頬を歪めたことで、どこに行っていたのか容易に想像出来た。言い方からして、吉森よりも女を抱く回数は多いようだ。思い当る節は多い。ある程度の経験を積んだ吉森でさえ、彼の指遣いには参ってしまった。
「是蔵が知らないわけがない。お前、まさか」
たちまち眦を吊り上げ、握った拳に血管を浮かせる。
その心の内を読み取った森雪は、肩を竦めてみせた。
「僕が是蔵にその秘密を握られて殺害したと言いたいのですか? 馬鹿馬鹿しい」
鼻で笑うと、鬱陶しそうに長い前髪を掻き上げる。
「店の者は、僕の病が偽りであることにはとっくに気付いていたでしょうよ。週に三度の行き先もね。たとえ口には出さなくとも」
とっくに気付いていた。その言葉を脳内で反芻する。
森雪は爪先に当たる解剖学の分厚い辞典を軽く蹴って脇に退けると、吉森が抵抗しないと踏んで、今度は、真正面に向いていた体をくるりと反転させた。すぐさま項に吸い付く。
「あなたが陰で必死に薬学の勉強に励んでいたことも、とっくにお見通しですよ」
「え? 」
「あの父が気付いていなかったとお思いですか? 」
「知っていて、敢えて俺を泳がせていたのか? 俺が偉そうに振る舞っていることを、おもしろおかしく眺めていたのか? 」
これでは、わざと悪ぶって己の努力を隠し通そうとしていた自分が丸きりの道化ではないか。こっそりと自室で薬学に関する猛勉強をしていたことが、筒抜けだったというのか。吉森は瞠目し、呼吸する僅かな動きさえ出来ず、棒立ちになった。
「人聞きの悪い。しかし、父はあなたにどう接してよいのか、悩んでいましたね」
囁きが耳朶をくすぐる。
淫靡な雰囲気に持ち込もうとしていた。
「あなたに酷くしたい。許して下さい。僕のこの執着の仕様は、まさしく親譲りだ」
そして、森雪はその言葉が正しいことを証明してみせた。
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