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第三章
小十菊の死
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しかし、その夜、第四の殺人が勃発した。
死んだのは小十菊。
しかもその死に方が、まさしく手毬唄通りだったことが、ネタを集める通信社の人間の筆を不謹慎なほど走らせた。
小十菊は常磐津節の稽古場である家の奥で、全身を刃物で切り裂かれて素っ裸で絶命していた。
発見したのは、稽古をつけてもらっている呉服屋の女房だった。
玄関先で呼びかければいつもしずしずと出てくるところを、今日に限っては返事もなく、恐る恐る家に上がると、玄関先から何やら廊下の奥の方へと点々と赤い円が続いている。不審に思って襖を開けて、惨劇を目の当たりにしてしまったのだ。
「致命傷は頸動脈ですね」
青白い顔半分をハンカチで覆った大河原は、淡々と述べる部下からの報告に、一言唸ってから頷いた。
血飛沫が天井まで達し、壁一面が真っ赤に染まっている。畳に広がる赤黒い染みは足の踏み場もないほどで、三味線の弦は切れ、火鉢は引っ繰り返り、戸棚は傾いて中身がぶち撒かれて、アメリカ製のラジオは半分に割れて部品が飛び出している。現場は凄惨を極めていた。
「犯人は、小十菊が絶命した後に犯したのは明らかです」
平然と言ってのける部下に相反し、大河原は苦渋で顔をしかめ、引き裂かれた座布団の綿の下、精液で薄汚れた畳から目を背ける。
とにかく鼻をつく生臭い血の匂い。
女が逃げ惑うのを追い回し、手酷い傷をつけてなお、刀で切り刻む。凶行に及んだ犯人はまさに異常者としか言いようがない。
「近所の連中が、逃げ去って行く黒い外套を着込んだ男を目撃しております」
ひそっと部下が大河原に耳打ちする。
「よもや女の変装ではあるまいな」
大河原には思うところがあり口にしてみる。
「いいえ、あれは確かに男の体格であったと。それに、小十菊の体には」
吐精の痕がある。部下が皆まで言わなかったのは、大河原に睨みつけられたからだ。
あっさりと疑いは晴らされた。
大河原は、松子が変装して小十菊を殺害したのではなかろうかと考えたのだ。そう疑いをかけてもおかしくない昼間の剣幕だった。だが、松子は猫背で背が低く、どう見ても年嵩のある女だ。男とは到底比較にならない。
「やはり高柳公彦か」
今、一番の疑わしい、得体の知れない男。
大河原が部下に調べさせた内容では、確かに高柳なる人物の遺体は上がっていなかった。
川から海に流されただの、土佐衛門として判別不明の死体として処理されただの、色々と言われていたが、そのどれもが憶測の域を出ない。生きている可能性も充分有り得る。
そもそも高柳が川に飛び込んだ原因が、婚約していた松子が金に目が眩んで辰川を選んだことへの充て付けと言われている。即ち、自殺だ。橋の欄干に下駄が揃えられていたとか。
二十年以上の積年の恨みを、今になって晴らそうと出てきたのだろうか。
大河原は腕組みし、頭の中であらゆる可能性を捏ね繰り回した。
小十菊は見た目通り、男関係が派手ときく。飽きて捨てられた男か、それとも旦那を寝取られた女房の仕業か。今の金蔓は、辰屋清春堂の跡取り息子であるのは周知の事実だ。またもや辰屋。何やら因縁めいたものを感じる。
王宜丸。ふいとその言葉が蘇った。また一つの考えが浮かんだ大河原は、ふむと唸ると部下に命じ、次に向かうところを告げた。
辰屋清春堂の主となっている吉森は、不機嫌に鼻を鳴らした。
「王宜丸の製法を先代が盗んだと? 」
それゆえの高柳公彦の恨みで、辰屋の関係者が狙われたのではあるまいか。大河原の推理だ。
「そもそも、その高柳とかいう男は溺死したのでしょう。つい先程、そう説明したくせに」
納得がいかないことは当然で、吉森は不味そうに茶を啜る。
「悪いが、もう帰って下さい。俺はやらなければならないことで、手一杯なんだ」
吉森は突き放した。
これ以上、王宜丸の話題に触れて欲しくなかったのが本音だ。
大河原を追い出し、吉森はいらいらと店中を歩き回した。いつも通り胸を逸らせ、威張ったふうに足を踏み鳴らしていく。
「おい、探偵。探偵はいないか」
いよいよ探偵の尻に火をつけなければいけない状況になっていた。たか乃との取引のせいで、またもや丸薬の量が減少してしまったのだ。今までは何故だか巧い具合に何者かによって補充されていたが、いつ底をつくかわからない。そもそも、その何者かの正体も掴めていない。
「探偵さんなら、外の空気を吸ってくると」
吉森に怯えながら、丁稚がぼそぼそと喋った。
「何をやってるんだ、あいつは。全く役に立たないじゃないか」
いらいらと壁を蹴飛ばしたことで、さらに丁稚を委縮させた。
その光景を、やれやれと肩を竦めて見ていた者がいる。森雪だった。
俄か病人を装っているのは、ここ数日で明るみになった。森雪は最早、吉森に隠しだてする必要はないらしく、何かにつけて部屋から出てきては視界に入る。
森雪は近寄るなり、耳打ちした。
「兄さん。もう隠し通せるものではありませんよ」
たちまち吉森の顔から色が抜けた。
「何の話だ」
まさか、といった疑いは、堂々とした表情の森雪を前にしているうちに確信にと変貌していく。
森雪は知っている。
眩暈を起こしかけた。
三年前からひた隠しにしていたものが、筒抜けになっていたのだ。次第に足元から奪われていく力に、その場に立っていることすら困難で、ふらりとよろけた。気が遠くなる。暗転していく。
森雪はその状況を見越していて、吉森の体をその逞しい腕で支えるなり、耳元でとどめをさした。
「王宜丸の配合。探偵に探らせていたのでしょう」
死んだのは小十菊。
しかもその死に方が、まさしく手毬唄通りだったことが、ネタを集める通信社の人間の筆を不謹慎なほど走らせた。
小十菊は常磐津節の稽古場である家の奥で、全身を刃物で切り裂かれて素っ裸で絶命していた。
発見したのは、稽古をつけてもらっている呉服屋の女房だった。
玄関先で呼びかければいつもしずしずと出てくるところを、今日に限っては返事もなく、恐る恐る家に上がると、玄関先から何やら廊下の奥の方へと点々と赤い円が続いている。不審に思って襖を開けて、惨劇を目の当たりにしてしまったのだ。
「致命傷は頸動脈ですね」
青白い顔半分をハンカチで覆った大河原は、淡々と述べる部下からの報告に、一言唸ってから頷いた。
血飛沫が天井まで達し、壁一面が真っ赤に染まっている。畳に広がる赤黒い染みは足の踏み場もないほどで、三味線の弦は切れ、火鉢は引っ繰り返り、戸棚は傾いて中身がぶち撒かれて、アメリカ製のラジオは半分に割れて部品が飛び出している。現場は凄惨を極めていた。
「犯人は、小十菊が絶命した後に犯したのは明らかです」
平然と言ってのける部下に相反し、大河原は苦渋で顔をしかめ、引き裂かれた座布団の綿の下、精液で薄汚れた畳から目を背ける。
とにかく鼻をつく生臭い血の匂い。
女が逃げ惑うのを追い回し、手酷い傷をつけてなお、刀で切り刻む。凶行に及んだ犯人はまさに異常者としか言いようがない。
「近所の連中が、逃げ去って行く黒い外套を着込んだ男を目撃しております」
ひそっと部下が大河原に耳打ちする。
「よもや女の変装ではあるまいな」
大河原には思うところがあり口にしてみる。
「いいえ、あれは確かに男の体格であったと。それに、小十菊の体には」
吐精の痕がある。部下が皆まで言わなかったのは、大河原に睨みつけられたからだ。
あっさりと疑いは晴らされた。
大河原は、松子が変装して小十菊を殺害したのではなかろうかと考えたのだ。そう疑いをかけてもおかしくない昼間の剣幕だった。だが、松子は猫背で背が低く、どう見ても年嵩のある女だ。男とは到底比較にならない。
「やはり高柳公彦か」
今、一番の疑わしい、得体の知れない男。
大河原が部下に調べさせた内容では、確かに高柳なる人物の遺体は上がっていなかった。
川から海に流されただの、土佐衛門として判別不明の死体として処理されただの、色々と言われていたが、そのどれもが憶測の域を出ない。生きている可能性も充分有り得る。
そもそも高柳が川に飛び込んだ原因が、婚約していた松子が金に目が眩んで辰川を選んだことへの充て付けと言われている。即ち、自殺だ。橋の欄干に下駄が揃えられていたとか。
二十年以上の積年の恨みを、今になって晴らそうと出てきたのだろうか。
大河原は腕組みし、頭の中であらゆる可能性を捏ね繰り回した。
小十菊は見た目通り、男関係が派手ときく。飽きて捨てられた男か、それとも旦那を寝取られた女房の仕業か。今の金蔓は、辰屋清春堂の跡取り息子であるのは周知の事実だ。またもや辰屋。何やら因縁めいたものを感じる。
王宜丸。ふいとその言葉が蘇った。また一つの考えが浮かんだ大河原は、ふむと唸ると部下に命じ、次に向かうところを告げた。
辰屋清春堂の主となっている吉森は、不機嫌に鼻を鳴らした。
「王宜丸の製法を先代が盗んだと? 」
それゆえの高柳公彦の恨みで、辰屋の関係者が狙われたのではあるまいか。大河原の推理だ。
「そもそも、その高柳とかいう男は溺死したのでしょう。つい先程、そう説明したくせに」
納得がいかないことは当然で、吉森は不味そうに茶を啜る。
「悪いが、もう帰って下さい。俺はやらなければならないことで、手一杯なんだ」
吉森は突き放した。
これ以上、王宜丸の話題に触れて欲しくなかったのが本音だ。
大河原を追い出し、吉森はいらいらと店中を歩き回した。いつも通り胸を逸らせ、威張ったふうに足を踏み鳴らしていく。
「おい、探偵。探偵はいないか」
いよいよ探偵の尻に火をつけなければいけない状況になっていた。たか乃との取引のせいで、またもや丸薬の量が減少してしまったのだ。今までは何故だか巧い具合に何者かによって補充されていたが、いつ底をつくかわからない。そもそも、その何者かの正体も掴めていない。
「探偵さんなら、外の空気を吸ってくると」
吉森に怯えながら、丁稚がぼそぼそと喋った。
「何をやってるんだ、あいつは。全く役に立たないじゃないか」
いらいらと壁を蹴飛ばしたことで、さらに丁稚を委縮させた。
その光景を、やれやれと肩を竦めて見ていた者がいる。森雪だった。
俄か病人を装っているのは、ここ数日で明るみになった。森雪は最早、吉森に隠しだてする必要はないらしく、何かにつけて部屋から出てきては視界に入る。
森雪は近寄るなり、耳打ちした。
「兄さん。もう隠し通せるものではありませんよ」
たちまち吉森の顔から色が抜けた。
「何の話だ」
まさか、といった疑いは、堂々とした表情の森雪を前にしているうちに確信にと変貌していく。
森雪は知っている。
眩暈を起こしかけた。
三年前からひた隠しにしていたものが、筒抜けになっていたのだ。次第に足元から奪われていく力に、その場に立っていることすら困難で、ふらりとよろけた。気が遠くなる。暗転していく。
森雪はその状況を見越していて、吉森の体をその逞しい腕で支えるなり、耳元でとどめをさした。
「王宜丸の配合。探偵に探らせていたのでしょう」
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