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第六章

裏の顔

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「自分の陰口を憚ることなく語られることに我慢がならず、とうとう尻尾を出しましたね」
 森雪は挑む目つきを渡邊に向ける。
「俺を罠に嵌めやがったな」
 渡邊は立ち上がるなり、腕を組んで仁王立ちとなった
「ええ。誰よりも自尊心の高いあなたなら、自ら名乗り出ると思っていました」
 淡々と語る森雪に、渡邊は頬肉を吊り上げ、くっくっと喉を鳴らす。さして面白くもないのに、わざと笑っているかのような不自然さだ。
 何がどうなっているのかと状況を見守るしかないその場にいる者に、渡邊は仄暗い表情のまま種を明かす。

「ああ、そうさ。俺は高柳公彦だ」

 瞬間、皆が大きく目を見開いた。
 あまりの衝撃で動くことすら出来ない。そんなふうに、空気が凍りついてしまっている。
「やはり、あなたでしたか」
 その中で、唯一表情を変えなかったのが、森雪だった。森雪は小さく溜め息をつくのみだ。
「とっくに気付いていたのは、どうやらお前だけらしいな」
 渡邊改め高柳は、森雪に対し不快に鼻を鳴らした。それから、己の顔を凝視する松子にニタリといやらしい笑みを作る。
「この顔が不思議か?香港でもぐりの医者に顔を作り替えさせた。俺の美貌が損なわれるのは惜しいが、それもこれも、お前のためだ。なあ、松子」
 にじり寄って、松子の肩に手を触れようとする。
 すかさず松子はその手の甲を平手で叩き、退けた。
「二十四年前にお前が俺から逃げようなんて馬鹿なことしなけりゃ、こんなことにはならなかったんだ」
 忌々しそうに舌打ちすると、高柳はやや赤く色づいた手の甲をぺろりと舐め、からかうようにまたもや喉を鳴らした。
「松子、覚えてるか?この蔵だったよなあ。清右衛門の目を盗んで、お前をこれでもかと犯してやったのは」
 そのときの状況が即座に脳裏に蘇ったのか、たちまち松子は顔を引き攣らせ、俄かに体を退いた。
「お前があのとき腹に出来た子供か。見れば見るほど、俺の元の顔にそっくりじゃねえか。おそらく性格も、俺そっくりで」
「それ以上はやめなさい! 」
 松子は真っ青になって話を途切れさせた。
「いいえ。お母様。とっくに知っていましたよ」
 やけに穏やかな声で森雪が後を継いだ。
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