【完結】華麗なるマチルダの密約

氷 豹人

文字の大きさ
18 / 114

不可思議な提案

しおりを挟む
 とにかく彼は完璧だった。
「それは、それは。お気に召されて何より」
 男性は破顔する。マチルダは外国土産のクマのぬいぐるみを彼に重ねた。
「それで。これが報酬ですわ」
 マチルダは指示された額面通り、紙幣を大理石のテーブルに置いた。
「それから、彼からお預かりした品を」
 父の部屋からこっそり持ち出した反物、浮世絵、薄紙に包まれて中の見えない春画とかいう絵。そしてロイからマチルダへ贈られたかんざし。ロイが海運会社の経営者という信憑性を高めるための小道具。どれもこれも、本物だ。
「結構ですよ」
 男性は音も立てずに首を横に振った。
「え? 」
「うちは受け取れません」
「え? 」
 マチルダの切れ長の目がさらに尖る。
「これはロイ個人が贈ったものです。うちには関係ない」
「で、でも」
「彼個人の好意ですよ、それは」
 つまり、経費ではないということか。
 儲け度外視の代物だ。
 このように価値の高いものを「好意」の一言で手放すなんて。幾ら日頃から娼館の実入が良いといえど。本当にロイの真意なのだろうか。
「ご心配なく」
「で、ですが。で、では報酬を」
「ああ。それも結構」
 男性は気前よくニカッと八重歯を覗かせた。
「どうして? 」
 意味がわからない。マチルダは困惑し、いつものきつく吊り上がった目を垂れ下げた。
 男性は執務椅子に窮屈そうに座り直すと、白紙の契約書を己の顔前でひらひらさせる。
「やつは、あなたと契約書をかわしていない。だから、契約は無効だ」
 確かにあのとき、マチルダは契約書にサインをするどころか、差し出されさえしなかった。彼への依頼は口約束でしかない。
 だが、男性の言葉通りに捉えるには釈然としない。
 ロイはこの上ない仕事をこなした。
 マチルダはムキになり、ソファから尻を浮かせて中腰になる。
「彼はきっちりと役目を果たしました。そのための報酬は受け取るべきです」
「私の知ったことではありませんよ」
 ピシャリと跳ね除けられてしまった。
「あなたが気に病むことは何もない」
「そう仰っても」
「あの男の社会勉強に付き合っただけ。そう思っておきなさい」
「で、ですが」
「心苦しく思うなら、あの男の教育にお付き合いしていただけませんか? 」
「え? 」
 不意の提案に、マチルダの脳は停止した。情報を処理出来ない。
「教育? 」
「ええ。やつには必要ですよ」
 名案だとばかりに男性は目を輝せた。
 三十路の男に、今更、どのような教育をするというのか。
 高価な品を無償で渡してきたり、依頼料をいらないといったり。かと思えば、ロイの教育? 
 もう頭の中がしっちゃかめっちゃか。
 そんなマチルダの脳内を知ってか知らずか。男性はやれやれと肩を竦めてみせた。
「どうも、あの男はあなたに対して態度が横柄だ」
「否定はしません」
 マチルダはソファに座り直すと、大きく首を縦に振った。そこのところに異論はない。
「あの男を矯正する手伝いをしていただけませんか? 」
「三十路の方を躾けし直すともなれば、男性の扱いに長けた方が適任と思いますが」
「いや。あなたしかいない」
 断言される。
 マチルダは、すっかり温くなった緑茶を口に含んだ。ほんのりした苦味が喉元を通り抜け、どうにか気分が落ち着いてきた。だんだん理解力が追いついてくる。
 ローレンスの主人を躾け直すなんて愚かな案件など、易々と外部に漏らせるはずがない。
 弱みを握られている者が適任だ。
 男を金で買う子爵令嬢。謂わばマチルダも、目の前の男性に弱みを握られている立場。
「私は何をすればよろしいの? 」
 クマのぬいぐるみのように愛嬌ある見た目に反して、この男はなかなかの食わせ者だ。
 ローレンスの主人の代理として、執務椅子に座るだけのことはある。
「そうですね……ふむ。近いうちに、あの男をあなたのところへ遣いに行かせますから。お付き合いしていただけますか? 」
「畏まりました。貰いっぱなしは心苦しいので」
 マチルダはツンと済まして言い置いた。
 その胸の内には、確実に握られてしまった弱みが今後どのような形をなすのか。不安でいっぱいだった。
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

悪役令嬢の末路

ラプラス
恋愛
政略結婚ではあったけれど、夫を愛していたのは本当。でも、もう疲れてしまった。 だから…いいわよね、あなた?

【完結】仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが

ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。 定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──

断罪まであと5秒、今すぐ逆転始めます

山河 枝
ファンタジー
聖女が魔物と戦う乙女ゲーム。その聖女につかみかかったせいで処刑される令嬢アナベルに、転生してしまった。 でも私は知っている。実は、アナベルこそが本物の聖女。 それを証明すれば断罪回避できるはず。 幸い、処刑人が味方になりそうだし。モフモフ精霊たちも慕ってくれる。 チート魔法で魔物たちを一掃して、本物アピールしないと。 処刑5秒前だから、今すぐに!

【完結】姉は聖女? ええ、でも私は白魔導士なので支援するぐらいしか取り柄がありません。

猫屋敷 むぎ
ファンタジー
誰もが憧れる勇者と最強の騎士が恋したのは聖女。それは私ではなく、姉でした。 復活した魔王に侯爵領を奪われ没落した私たち姉妹。そして、誰からも愛される姉アリシアは神の祝福を受け聖女となり、私セレナは支援魔法しか取り柄のない白魔導士のまま。 やがてヴァルミエール国王の王命により結成された勇者パーティは、 勇者、騎士、聖女、エルフの弓使い――そして“おまけ”の私。 過去の恋、未来の恋、政略婚に揺れ動く姉を見つめながら、ようやく私の役割を自覚し始めた頃――。 魔王城へと北上する魔王討伐軍と共に歩む勇者パーティは、 四人の魔将との邂逅、秘められた真実、そしてそれぞれの試練を迎え――。 輝く三人の恋と友情を“すぐ隣で見つめるだけ”の「聖女の妹」でしかなかった私。 けれど魔王討伐の旅路の中で、“仲間を支えるとは何か”に気付き、 やがて――“本当の自分”を見つけていく――。 そんな、ちょっぴり切ない恋と友情と姉妹愛、そして私の成長の物語です。 ※本作の章構成:  第一章:アカデミー&聖女覚醒編  第二章:勇者パーティ結成&魔王討伐軍北上編  第三章:帰郷&魔将・魔王決戦編 ※「小説家になろう」にも掲載(異世界転生・恋愛12位) ※ アルファポリス完結ファンタジー8位。応援ありがとうございます。

笑う令嬢は毒の杯を傾ける

無色
恋愛
 その笑顔は、甘い毒の味がした。  父親に虐げられ、義妹によって婚約者を奪われた令嬢は復讐のために毒を喰む。

結婚式に結婚相手の不貞が発覚した花嫁は、義父になるはずだった公爵当主と結ばれる

狭山雪菜
恋愛
アリス・マーフィーは、社交界デビューの時にベネット公爵家から結婚の打診を受けた。 しかし、結婚相手は女にだらしないと有名な次期当主で……… こちらの作品は、「小説家になろう」にも掲載してます。

魅了が解けた貴男から私へ

砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。 彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。 そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。 しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。 男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。 元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。 しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。 三話完結です。

処理中です...