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不可思議な提案
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とにかく彼は完璧だった。
「それは、それは。お気に召されて何より」
男性は破顔する。マチルダは外国土産のクマのぬいぐるみを彼に重ねた。
「それで。これが報酬ですわ」
マチルダは指示された額面通り、紙幣を大理石のテーブルに置いた。
「それから、彼からお預かりした品を」
父の部屋からこっそり持ち出した反物、浮世絵、薄紙に包まれて中の見えない春画とかいう絵。そしてロイからマチルダへ贈られたかんざし。ロイが海運会社の経営者という信憑性を高めるための小道具。どれもこれも、本物だ。
「結構ですよ」
男性は音も立てずに首を横に振った。
「え? 」
「うちは受け取れません」
「え? 」
マチルダの切れ長の目がさらに尖る。
「これはロイ個人が贈ったものです。うちには関係ない」
「で、でも」
「彼個人の好意ですよ、それは」
つまり、経費ではないということか。
儲け度外視の代物だ。
このように価値の高いものを「好意」の一言で手放すなんて。幾ら日頃から娼館の実入が良いといえど。本当にロイの真意なのだろうか。
「ご心配なく」
「で、ですが。で、では報酬を」
「ああ。それも結構」
男性は気前よくニカッと八重歯を覗かせた。
「どうして? 」
意味がわからない。マチルダは困惑し、いつものきつく吊り上がった目を垂れ下げた。
男性は執務椅子に窮屈そうに座り直すと、白紙の契約書を己の顔前でひらひらさせる。
「やつは、あなたと契約書をかわしていない。だから、契約は無効だ」
確かにあのとき、マチルダは契約書にサインをするどころか、差し出されさえしなかった。彼への依頼は口約束でしかない。
だが、男性の言葉通りに捉えるには釈然としない。
ロイはこの上ない仕事をこなした。
マチルダはムキになり、ソファから尻を浮かせて中腰になる。
「彼はきっちりと役目を果たしました。そのための報酬は受け取るべきです」
「私の知ったことではありませんよ」
ピシャリと跳ね除けられてしまった。
「あなたが気に病むことは何もない」
「そう仰っても」
「あの男の社会勉強に付き合っただけ。そう思っておきなさい」
「で、ですが」
「心苦しく思うなら、あの男の教育にお付き合いしていただけませんか? 」
「え? 」
不意の提案に、マチルダの脳は停止した。情報を処理出来ない。
「教育? 」
「ええ。やつには必要ですよ」
名案だとばかりに男性は目を輝せた。
三十路の男に、今更、どのような教育をするというのか。
高価な品を無償で渡してきたり、依頼料をいらないといったり。かと思えば、ロイの教育?
もう頭の中がしっちゃかめっちゃか。
そんなマチルダの脳内を知ってか知らずか。男性はやれやれと肩を竦めてみせた。
「どうも、あの男はあなたに対して態度が横柄だ」
「否定はしません」
マチルダはソファに座り直すと、大きく首を縦に振った。そこのところに異論はない。
「あの男を矯正する手伝いをしていただけませんか? 」
「三十路の方を躾けし直すともなれば、男性の扱いに長けた方が適任と思いますが」
「いや。あなたしかいない」
断言される。
マチルダは、すっかり温くなった緑茶を口に含んだ。ほんのりした苦味が喉元を通り抜け、どうにか気分が落ち着いてきた。だんだん理解力が追いついてくる。
ローレンスの主人を躾け直すなんて愚かな案件など、易々と外部に漏らせるはずがない。
弱みを握られている者が適任だ。
男を金で買う子爵令嬢。謂わばマチルダも、目の前の男性に弱みを握られている立場。
「私は何をすればよろしいの? 」
クマのぬいぐるみのように愛嬌ある見た目に反して、この男はなかなかの食わせ者だ。
ローレンスの主人の代理として、執務椅子に座るだけのことはある。
「そうですね……ふむ。近いうちに、あの男をあなたのところへ遣いに行かせますから。お付き合いしていただけますか? 」
「畏まりました。貰いっぱなしは心苦しいので」
マチルダはツンと済まして言い置いた。
その胸の内には、確実に握られてしまった弱みが今後どのような形をなすのか。不安でいっぱいだった。
「それは、それは。お気に召されて何より」
男性は破顔する。マチルダは外国土産のクマのぬいぐるみを彼に重ねた。
「それで。これが報酬ですわ」
マチルダは指示された額面通り、紙幣を大理石のテーブルに置いた。
「それから、彼からお預かりした品を」
父の部屋からこっそり持ち出した反物、浮世絵、薄紙に包まれて中の見えない春画とかいう絵。そしてロイからマチルダへ贈られたかんざし。ロイが海運会社の経営者という信憑性を高めるための小道具。どれもこれも、本物だ。
「結構ですよ」
男性は音も立てずに首を横に振った。
「え? 」
「うちは受け取れません」
「え? 」
マチルダの切れ長の目がさらに尖る。
「これはロイ個人が贈ったものです。うちには関係ない」
「で、でも」
「彼個人の好意ですよ、それは」
つまり、経費ではないということか。
儲け度外視の代物だ。
このように価値の高いものを「好意」の一言で手放すなんて。幾ら日頃から娼館の実入が良いといえど。本当にロイの真意なのだろうか。
「ご心配なく」
「で、ですが。で、では報酬を」
「ああ。それも結構」
男性は気前よくニカッと八重歯を覗かせた。
「どうして? 」
意味がわからない。マチルダは困惑し、いつものきつく吊り上がった目を垂れ下げた。
男性は執務椅子に窮屈そうに座り直すと、白紙の契約書を己の顔前でひらひらさせる。
「やつは、あなたと契約書をかわしていない。だから、契約は無効だ」
確かにあのとき、マチルダは契約書にサインをするどころか、差し出されさえしなかった。彼への依頼は口約束でしかない。
だが、男性の言葉通りに捉えるには釈然としない。
ロイはこの上ない仕事をこなした。
マチルダはムキになり、ソファから尻を浮かせて中腰になる。
「彼はきっちりと役目を果たしました。そのための報酬は受け取るべきです」
「私の知ったことではありませんよ」
ピシャリと跳ね除けられてしまった。
「あなたが気に病むことは何もない」
「そう仰っても」
「あの男の社会勉強に付き合っただけ。そう思っておきなさい」
「で、ですが」
「心苦しく思うなら、あの男の教育にお付き合いしていただけませんか? 」
「え? 」
不意の提案に、マチルダの脳は停止した。情報を処理出来ない。
「教育? 」
「ええ。やつには必要ですよ」
名案だとばかりに男性は目を輝せた。
三十路の男に、今更、どのような教育をするというのか。
高価な品を無償で渡してきたり、依頼料をいらないといったり。かと思えば、ロイの教育?
もう頭の中がしっちゃかめっちゃか。
そんなマチルダの脳内を知ってか知らずか。男性はやれやれと肩を竦めてみせた。
「どうも、あの男はあなたに対して態度が横柄だ」
「否定はしません」
マチルダはソファに座り直すと、大きく首を縦に振った。そこのところに異論はない。
「あの男を矯正する手伝いをしていただけませんか? 」
「三十路の方を躾けし直すともなれば、男性の扱いに長けた方が適任と思いますが」
「いや。あなたしかいない」
断言される。
マチルダは、すっかり温くなった緑茶を口に含んだ。ほんのりした苦味が喉元を通り抜け、どうにか気分が落ち着いてきた。だんだん理解力が追いついてくる。
ローレンスの主人を躾け直すなんて愚かな案件など、易々と外部に漏らせるはずがない。
弱みを握られている者が適任だ。
男を金で買う子爵令嬢。謂わばマチルダも、目の前の男性に弱みを握られている立場。
「私は何をすればよろしいの? 」
クマのぬいぐるみのように愛嬌ある見た目に反して、この男はなかなかの食わせ者だ。
ローレンスの主人の代理として、執務椅子に座るだけのことはある。
「そうですね……ふむ。近いうちに、あの男をあなたのところへ遣いに行かせますから。お付き合いしていただけますか? 」
「畏まりました。貰いっぱなしは心苦しいので」
マチルダはツンと済まして言い置いた。
その胸の内には、確実に握られてしまった弱みが今後どのような形をなすのか。不安でいっぱいだった。
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