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 襖の奥から、毛羽立ってぼろぼろの毛布の端が覗く。
「おっ!」
 橋本は襖を開けた。勝手に人んちの襖、開けるなよ。
 毛布を振り回していた柴犬に、愛想よく笑いかけた。
「おっ、二代目ロッテンマイヤー。元気だったか?」
「ジンです。ジン・トニックのジン」
「二代目ロッテンマイヤーでええやろ」
「よくない」
 そもそも、二代目って何だよ。確かに、八年前に老衰で死んだ犬も柴犬だったけどさ。
 尻尾を振って懐くジン。
 珍妙な光景だった。
 ジンは人見知りの激しい犬で、初対面の相手にはまず通過儀礼と言わんばかりに牙を剥き出して吠えたてる。俺と母ちゃんの二人以外には心を許さない。何度か訪れる悪友らにも容赦なく、足首に噛みついて離れないことを数えると切りがない。
 それが何故か橋本には自ら寄っていき、橋本以外には決して見せたことのない腹を堂々と晒し、無防備に撫でられることを堪能している。
「おいおい、どうした、ジン?耄碌したのか?」
 気持ち良さそうに目を閉じるジンに呼びかけるものの、全くもって無視だ。
「立派に番犬を果たしてただろうが。おい、ジン!」
 何とかジンを焚きつけても、相棒は簡単に俺を裏切った。
「お前は番犬以下やな。人間を見る目がない」
 橋本は鼻で笑う。
「具合はどうか思ったんやが。すっかりようなったみたいやな」
 立ち上がると、背伸びして俺の頭を撫でる。
 こいつの中では、俺もジンも同等の位置にいるらしい。
 どこか懐かしい感触は、二十年前の近所の兄ちゃんを思い起こさせる。力強く、それでいてぎこちない、照れ臭そうに撫でてくれた手。顔は朧げだが、とにかく悪そうな人相だった。まだ、七福市のどこかに、その人はいるだろうか。
 延々と浸りそうになったが、いかんいかん。慌ててその手を振り払う。危うく橋本の怪しい魔力に引き込まれるところだった。
 うっかり、三度目なんて、洒落にならない。
「神社に神頼みした甲斐があるってもんや」
 何の気なしに呟かれた橋本の言葉を耳聡く拾った。意外だ。
「あのとき、えらい熱心に拝んでたのって。俺の身を案じてくれてたんですか?」
「いいや」
 即答かよ。
「お前と、人に言えへんくらい、いちゃいちゃして、もう無茶苦茶凄まじいプレイ出来ますように」
「……」
 容赦なく拳を頬に入れてやる。先輩だからって、何でも許されると思うなよ。
 俺の鉄槌なんて諸共せず、橋本は爽やかな笑顔を向ける。
 この笑顔の下に変態的な思考回路が隠れているなんて、市局の女子は知りもしない。よもや、男と体の関係があるなんて。
 橋本はバイクに跨ると、ヘルメットを被る。顔は見えなくとも、筋肉質の割にすらっとしてて、モデルみたいなんだよな。
 何だって、俺を選んだんだろうな。
 きっと、永久の謎だ。
「じゃあ、明日な。遅刻すんなよ」
 門扉の前に停めてあったバイクに跨ると、さっさと走り去ってしまった。
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