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乱心
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「そこまでよ、青蜥蜴!」
甲高い一喝。視線が、声の持ち主に集まった。
扉の脇に設えられた電気スイッチの前で、いつになく険しい目つきの美登理が直立していた。
蔓草の箔が施された白い壁の前にいると、ツイードワンピースの漆黒が色濃く出て、姿を際立たせる。
その場にいる全員が唾を飲み下した原因は、彼女の手に握られていたピストルのせいだ。
はっと大河原は己の胸元をべたべた触る。いつの間にか銃が抜かれていることに、ようやく気がついた。
「若奥さん、早まっちゃいけませんよ」
なるべく美登理を刺激させないよう、大河原は降参の仕草でじりじりと彼女に歩み寄る。
美登理の不確かな腕で、青蜥蜴どころか雪森まで銃弾に倒れる事態は、避けなければいけない。
「警部さん、何を悪党に情けをかけておりますの」
「し、しかしですな」
「弟の命がかかっておりますのよ。横からごちゃごちゃ言われると、手元が狂ってしまうわ」
冷やかに横目で睨むと、ピストルの引き金に指が掛かる。
大河原の額に玉の汗が浮かんだ。
「雪森さん、動いちゃ駄目よ。狙いを外して、頭をぶち抜いてしまうから」
惑うことなく、引き金が引かれる。
銃口が火を噴いた。
直後、パリンと陶器の弾けた音が鳴る。
雪森の右手側、窓の脇にある花台の古伊万里の壺が粉々に砕けた。
「ああっ!私のコレクションが!」
場違いな奇声を上げ、子爵は真っ青になった。
そんな舅を完全に意識の外に追いやり、美登理は真っ直ぐに悪党を見据える。
「雪森さんを離しなさい」
「嫌だといったら?」
ニタリと青蜥蜴は口元を歪めた。
「覚悟しろ、と言うだけよ」
彼女の目はギラギラと不気味に光っている。今度こそ狙いを外さない、そんなふうに片眼を瞑り、目前の獲物を射程に入れた。
二度目は確実に心臓を貫く。直感したのは、雪森だけではない。
「致しかたない」
観念したような息が、雪森の旋毛に吹き掛かる。
「と言いたいところですが」
青蜥蜴がそこで一旦区切った。
いきなり、雪森の目線がシャンデリアに向いた。
腕を引かれて上半身が天井を向く。肌に当たったのは、大きくひらめいたカーテンの布地だ。さらに体が弓なりに反った。
青蜥蜴は、窓硝子すれすれまで届いた太い檜の枝に飛び移ったのだ。弾みで青々とした繁みが擦れて、薄気味悪い音を立てる。
「離せ!」
米俵のように担がれた雪森は、じたばたと無闇やたらと手足を振り乱し、とにかく逃げようと暴れる。女のような外見からは想像もつかない脚力を駆使し、青蜥蜴を蹴り落としてやろうとさえ考えていた。
「こら、暴れてはいけませんよ」
真っ黒な体躯が枝上でぐらぐらと揺れた。
「荒々しいことはしたくありません」
「うるさい!離せ!」
「まったく。このじゃじゃ馬は」
忌々しく舌を打つ。いつもの慇懃な言葉遣いではない、荒々しさが垣間見えた。確実に青蜥蜴は焦っている。
雪森はふふんと鼻を鳴らし、得意な気分になった。
雪森の抵抗は時間稼ぎの役割を果たした。
屋敷を見張っていた警官が、一気に大木を取り囲んだのだ。どこから持って来たのか梯子を立て掛け、身軽そうな者が一段目に足を掛けている。
「青蜥蜴、お待ちなさい!」
大きく開いた窓から身を乗り出し、階下の部下に指示を出す大河原を押し退けた美登理は、またもやピストルを構えた。
銃声が闇夜に轟く。
叫び声を上げて転がり落ちたのは、梯子の三段目まで来ていた警官だ。狙いを大きく外し、とばっちりを受けた警官の身は幸い何事もない。
「危ないから、こんなもの触っちゃいかん!」
「邪魔しないでちょうだい!」
「わしの言うことを聞くんだ!」
「それはこっちの台詞よ!」
窓を背にピストルの奪い合いが始まり、大河原は舵取りどころではなくなった。
指揮官を失い、階下の警官らの統率が乱れる。右往左往し、梯子を立て掛けるものの、次から次へと我先にと猛者共が続き、重みでまたもやガシャンと倒れた。
青蜥蜴は屋敷とは反対方向に目を凝らした。
檜の頂上から塀の外に掛けて、一本の丈夫な縄が斜めに張られていた。おそらく縄の先は、路地の電柱に括りつけられている。
縄には滑車が渡してあり、青蜥蜴は小脇に雪森を抱えたまま、そこに掴まったのだ。高く跳ね上がったかと思えば、青蜥蜴の体は空を裂き、斜めに滑り落ちていく。
張り詰めた縄がびいいいんと音を立てて揺れた。
一体全体、何が起きたのかと、真下の警官らは口をあんぐり開けてその光景を見守ることしか出来なかった。肝心の指揮官である大河原も同様だ。
あっという間に黒い体は塀の外へと吸い込まれていった。
甲高い一喝。視線が、声の持ち主に集まった。
扉の脇に設えられた電気スイッチの前で、いつになく険しい目つきの美登理が直立していた。
蔓草の箔が施された白い壁の前にいると、ツイードワンピースの漆黒が色濃く出て、姿を際立たせる。
その場にいる全員が唾を飲み下した原因は、彼女の手に握られていたピストルのせいだ。
はっと大河原は己の胸元をべたべた触る。いつの間にか銃が抜かれていることに、ようやく気がついた。
「若奥さん、早まっちゃいけませんよ」
なるべく美登理を刺激させないよう、大河原は降参の仕草でじりじりと彼女に歩み寄る。
美登理の不確かな腕で、青蜥蜴どころか雪森まで銃弾に倒れる事態は、避けなければいけない。
「警部さん、何を悪党に情けをかけておりますの」
「し、しかしですな」
「弟の命がかかっておりますのよ。横からごちゃごちゃ言われると、手元が狂ってしまうわ」
冷やかに横目で睨むと、ピストルの引き金に指が掛かる。
大河原の額に玉の汗が浮かんだ。
「雪森さん、動いちゃ駄目よ。狙いを外して、頭をぶち抜いてしまうから」
惑うことなく、引き金が引かれる。
銃口が火を噴いた。
直後、パリンと陶器の弾けた音が鳴る。
雪森の右手側、窓の脇にある花台の古伊万里の壺が粉々に砕けた。
「ああっ!私のコレクションが!」
場違いな奇声を上げ、子爵は真っ青になった。
そんな舅を完全に意識の外に追いやり、美登理は真っ直ぐに悪党を見据える。
「雪森さんを離しなさい」
「嫌だといったら?」
ニタリと青蜥蜴は口元を歪めた。
「覚悟しろ、と言うだけよ」
彼女の目はギラギラと不気味に光っている。今度こそ狙いを外さない、そんなふうに片眼を瞑り、目前の獲物を射程に入れた。
二度目は確実に心臓を貫く。直感したのは、雪森だけではない。
「致しかたない」
観念したような息が、雪森の旋毛に吹き掛かる。
「と言いたいところですが」
青蜥蜴がそこで一旦区切った。
いきなり、雪森の目線がシャンデリアに向いた。
腕を引かれて上半身が天井を向く。肌に当たったのは、大きくひらめいたカーテンの布地だ。さらに体が弓なりに反った。
青蜥蜴は、窓硝子すれすれまで届いた太い檜の枝に飛び移ったのだ。弾みで青々とした繁みが擦れて、薄気味悪い音を立てる。
「離せ!」
米俵のように担がれた雪森は、じたばたと無闇やたらと手足を振り乱し、とにかく逃げようと暴れる。女のような外見からは想像もつかない脚力を駆使し、青蜥蜴を蹴り落としてやろうとさえ考えていた。
「こら、暴れてはいけませんよ」
真っ黒な体躯が枝上でぐらぐらと揺れた。
「荒々しいことはしたくありません」
「うるさい!離せ!」
「まったく。このじゃじゃ馬は」
忌々しく舌を打つ。いつもの慇懃な言葉遣いではない、荒々しさが垣間見えた。確実に青蜥蜴は焦っている。
雪森はふふんと鼻を鳴らし、得意な気分になった。
雪森の抵抗は時間稼ぎの役割を果たした。
屋敷を見張っていた警官が、一気に大木を取り囲んだのだ。どこから持って来たのか梯子を立て掛け、身軽そうな者が一段目に足を掛けている。
「青蜥蜴、お待ちなさい!」
大きく開いた窓から身を乗り出し、階下の部下に指示を出す大河原を押し退けた美登理は、またもやピストルを構えた。
銃声が闇夜に轟く。
叫び声を上げて転がり落ちたのは、梯子の三段目まで来ていた警官だ。狙いを大きく外し、とばっちりを受けた警官の身は幸い何事もない。
「危ないから、こんなもの触っちゃいかん!」
「邪魔しないでちょうだい!」
「わしの言うことを聞くんだ!」
「それはこっちの台詞よ!」
窓を背にピストルの奪い合いが始まり、大河原は舵取りどころではなくなった。
指揮官を失い、階下の警官らの統率が乱れる。右往左往し、梯子を立て掛けるものの、次から次へと我先にと猛者共が続き、重みでまたもやガシャンと倒れた。
青蜥蜴は屋敷とは反対方向に目を凝らした。
檜の頂上から塀の外に掛けて、一本の丈夫な縄が斜めに張られていた。おそらく縄の先は、路地の電柱に括りつけられている。
縄には滑車が渡してあり、青蜥蜴は小脇に雪森を抱えたまま、そこに掴まったのだ。高く跳ね上がったかと思えば、青蜥蜴の体は空を裂き、斜めに滑り落ちていく。
張り詰めた縄がびいいいんと音を立てて揺れた。
一体全体、何が起きたのかと、真下の警官らは口をあんぐり開けてその光景を見守ることしか出来なかった。肝心の指揮官である大河原も同様だ。
あっという間に黒い体は塀の外へと吸い込まれていった。
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