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たちまち雪森は一足飛びに退いた。
大河原に対し、今にも牙を剥かんばかりに、普段の丸い猫目を三角に尖らせる。
生憎と竹刀は自室に置いてきてあるので、応戦は素手でしかないが、雪森は気迫でそれを補おうと息巻いた。
きょとん、と大河原の目が丸くなる。
「どうなさった、雪森さん」
「もう、とっくに化けの皮は剥がれてるぞ」
「何のことですかな」
「青蜥蜴、いい加減にしろ」
名指しすると、ようやく大河原はへらへらと口元をいやらしく歪めた。普段の偉ぶった凛々しさはどこにも見当たらず、これでは警視庁の威厳が片無しではあるかいまと思うほどの貧相だった。
「いつ気付いたのですか? 」
最早、声は青蜥蜴そのものだ。
「僕を『雪森さん』と呼んだだろう。警部とは昔からの知り合いだから、僕のことはいつも『桂木の坊っちゃん』だ」
「迂闊でした」
早々に青蜥蜴は負けを認める。
「だから睡眠薬入りの珈琲にも口をつけなかったのですね」
言いながら、チラリと書斎机に凭れていびきをかく子爵を見る。
幾ら学生時代の盟友に成り済まされたとはいっても、油断し過ぎだ。兄を呑気だ何だと詰っているが、人のことを言えたものではない。あんまりむかっ腹が立って、雪森は壁を殴りつけた。
青蜥蜴はゴム製のマスクを顎からべりべりと剥いていく。
凛々しく引き締まった唇、鼻梁の整い、そして現れた、いつもの目元だけの覆面。そのあまりにも大胆な変装の解きっぷりに、雪森は怯んだ。
「宝を持って逃げなかったのは、この間の続きを所望ですか」
青蜥蜴はひょいっと跳ねて真正面に立った。腰を屈め、顔を覗き込んでくる。
「ふざけるな」
桁外れの大男を間近にして背筋にヒヤリと冷たいものが流れたが、雪森は必死で言い返した。
「なかなかどころか、最高でしたよ。一度箍を外せば、まるで別人だ。変装の名人の私も目を瞠る変わりようでしたよ」
「黙れ!」
頭に血が昇った。
あの夜の出来事は、悪い夢だと片付けようとしていたのに。
青蜥蜴はそうはさせまいと、わざと蒸し返すのだ。
小刻みに体を震わせ、恥辱の記憶に雪森が耐えるのを煽ってくる。
青蜥蜴は気安く肩に手を回し、腰を屈めたまま雪森の首筋に熱く息を吹いた。びくっと腕の中で電流を走らせたのを確認すると、おもむろに右手を伸ばし、雪森の股間をぎゅっと鷲掴みにする。
「あっ」
悪しき記憶を反芻している最中だった雪森は、思わず甘い声を漏らしてしまった。
「そう言いながらも、ここは興奮しているじゃありませんか」
「さ、触るな」
「二度目はもっと楽しめそうだ」
「に、二度も三度もあってたまるか」
「素直じゃありませんね」
青蜥蜴はニタリと笑う。
節くれだった長い指先が、今やズボンの上からでもはっきりわかる形をなぞる。
「逃げ出す機会は幾らでもあったのに。どうせ、真っ向から立ち合わないのは卑怯だとか言い訳するんでしょうがね。心の深いところで、あなたは私にこうしてほしいと望んでいたんですよ」
同性であるがゆえ、どうやれば欲望を際立たせるか熟知している。そんな巧みな指遣いに、雪森はいやいやと首を横に振るのが精一杯だ。
「正体を明かされた私が、逆上してあなたを滅茶苦茶に抱く。そう期待したのでしょう?」
黒覆面の下にある眼差しは宝玉のように澄み切り、一切の言い訳を容赦しない。
「ここで抱いてやってもいいが、あなたの『あのとき』の声は驚くほど甲高いのでね。表の警官に気付かれてしまいかねない」
「う、うるさいうるさい!黙れ!」
雪森とて、いいように挑発されっぱなしを良しとしない。あらかじめポケットに忍ばせてあった呼子に口をつけた。
だが、軽快な音が響き渡る寸前、横からひょいっと取り上げられる。手品師のごとく、呼子が青蜥蜴の掌からパッと消えた。
「おっと。周到にそんなものを用意していたとは。ですがね、私の方があなたよりも上手ですからね。意味もなくピンポン玉が転がるわけがないでしょう」
ニヤニヤと青蜥蜴は口元を歪めた。
雪森にちょっかいをかけながら、転がったピンポン玉が己の右足まで戻ってくるよう、器用に足の先端をもぞもぞさせていたのだ。
何故、いかがわしい真似までして雪森の気を逸らせていたのか。
理由は直後に判明した。
青蜥蜴はピンポン玉を踏みつける。
途端、白煙が噴き出した。瞬く間に四方に広がり、天井までも覆い尽くす。細かい粒子は視界を阻んだ。鼻先さえ判別出来ない。
耳を澄ませば、カチンと歯車の合う音がする。
青蜥蜴が隠し金庫を開けたのだ。
まんまと雪森は一杯食わされた。
だが、まだ諦めてはいない。
「そ、外には警官がうようよいるんだ」
「そんなもの、ハナから承知ですよ」
青蜥蜴は余裕ぶって、ハハハと声高に笑う。
窓の閂が下ろされた音に続き室内に充満していた白煙が、一気に暗がりへと噴き出した。漆黒の闇が塗り替わる。
屋敷を守っていた警官らは、その怪しげな光景にざわめいた。
「青蜥蜴だ!青蜥蜴が出たぞ!」
いきなり大河原の声が張り上がった。
「全員、北の方角へ進め!走れ!逃がすな!」
煙のせいで、大河原の体がシルエットでしかないことが、判断を鈍らせた。
よもや、悪党の口から出たとは誰も疑わない。部下は忠実に命令に従った。
偽物だ、騙されるな!
雪森は叫ぼうとしたが、煙に紛れて背後に回り込まれ、大きな掌によって口を塞がれていたので叶わず、虚しく騙される姿を見届ける他なかった。
誰もいなくなった庭を眺め、青蜥蜴は愉快そうに喉を鳴らす。
それでも雪森はまだ諦めてはいない。
青蜥蜴の左の手から、小箱を素早く掠め取った。
「何を」
瞬く隙を突かれ、思わず青蜥蜴は塞いでいた手を離してしまう。
雪森は胸元でぎゅっと小箱を抱えた。
「これは桂木のものだ。渡すもんか」
「駄々っ子のような真似はやめなさい」
「死んでも守るぞ、僕は」
「仕方がないですね」
その場に蹲り、石像のように固まってしまう。そんな雪森の強い意志をみて、青蜥蜴は肩を竦め、わざとらしく溜め息を漏らした。
いきなり雪森は猿ぐつわを噛ませられた。
「んんん!」
先手を取ったと油断した。
青蜥蜴は煙の中ですでに衣装の早替えを繰り出していた。詰襟に警帽、腰に下げたピストル。覆面の代わりにレンズの分厚い丸眼鏡。口元には黒々とした付け髭まで。
どこから見ても、向島あたりの巡査としか思えない。
青蜥蜴は物凄い力で雪森の肉に指を食い込ませて小脇に抱えると、扉を蹴破る。
「ど、どうした!」
煙が廊下に噴き出す。まだ外の状況が伝えられていなかった巡視の警官は、煙で視界が遮断された中、何事かとたじろいだ。
「雪森さんの具合が悪い。私は警部の命令で直ちに医者へ行く。君たちは、早く賊の後を。外だ」
「わ、わかった。任せたぞ」
何ら疑いもせず、警官は煙の彼方へと消えた。
大河原に対し、今にも牙を剥かんばかりに、普段の丸い猫目を三角に尖らせる。
生憎と竹刀は自室に置いてきてあるので、応戦は素手でしかないが、雪森は気迫でそれを補おうと息巻いた。
きょとん、と大河原の目が丸くなる。
「どうなさった、雪森さん」
「もう、とっくに化けの皮は剥がれてるぞ」
「何のことですかな」
「青蜥蜴、いい加減にしろ」
名指しすると、ようやく大河原はへらへらと口元をいやらしく歪めた。普段の偉ぶった凛々しさはどこにも見当たらず、これでは警視庁の威厳が片無しではあるかいまと思うほどの貧相だった。
「いつ気付いたのですか? 」
最早、声は青蜥蜴そのものだ。
「僕を『雪森さん』と呼んだだろう。警部とは昔からの知り合いだから、僕のことはいつも『桂木の坊っちゃん』だ」
「迂闊でした」
早々に青蜥蜴は負けを認める。
「だから睡眠薬入りの珈琲にも口をつけなかったのですね」
言いながら、チラリと書斎机に凭れていびきをかく子爵を見る。
幾ら学生時代の盟友に成り済まされたとはいっても、油断し過ぎだ。兄を呑気だ何だと詰っているが、人のことを言えたものではない。あんまりむかっ腹が立って、雪森は壁を殴りつけた。
青蜥蜴はゴム製のマスクを顎からべりべりと剥いていく。
凛々しく引き締まった唇、鼻梁の整い、そして現れた、いつもの目元だけの覆面。そのあまりにも大胆な変装の解きっぷりに、雪森は怯んだ。
「宝を持って逃げなかったのは、この間の続きを所望ですか」
青蜥蜴はひょいっと跳ねて真正面に立った。腰を屈め、顔を覗き込んでくる。
「ふざけるな」
桁外れの大男を間近にして背筋にヒヤリと冷たいものが流れたが、雪森は必死で言い返した。
「なかなかどころか、最高でしたよ。一度箍を外せば、まるで別人だ。変装の名人の私も目を瞠る変わりようでしたよ」
「黙れ!」
頭に血が昇った。
あの夜の出来事は、悪い夢だと片付けようとしていたのに。
青蜥蜴はそうはさせまいと、わざと蒸し返すのだ。
小刻みに体を震わせ、恥辱の記憶に雪森が耐えるのを煽ってくる。
青蜥蜴は気安く肩に手を回し、腰を屈めたまま雪森の首筋に熱く息を吹いた。びくっと腕の中で電流を走らせたのを確認すると、おもむろに右手を伸ばし、雪森の股間をぎゅっと鷲掴みにする。
「あっ」
悪しき記憶を反芻している最中だった雪森は、思わず甘い声を漏らしてしまった。
「そう言いながらも、ここは興奮しているじゃありませんか」
「さ、触るな」
「二度目はもっと楽しめそうだ」
「に、二度も三度もあってたまるか」
「素直じゃありませんね」
青蜥蜴はニタリと笑う。
節くれだった長い指先が、今やズボンの上からでもはっきりわかる形をなぞる。
「逃げ出す機会は幾らでもあったのに。どうせ、真っ向から立ち合わないのは卑怯だとか言い訳するんでしょうがね。心の深いところで、あなたは私にこうしてほしいと望んでいたんですよ」
同性であるがゆえ、どうやれば欲望を際立たせるか熟知している。そんな巧みな指遣いに、雪森はいやいやと首を横に振るのが精一杯だ。
「正体を明かされた私が、逆上してあなたを滅茶苦茶に抱く。そう期待したのでしょう?」
黒覆面の下にある眼差しは宝玉のように澄み切り、一切の言い訳を容赦しない。
「ここで抱いてやってもいいが、あなたの『あのとき』の声は驚くほど甲高いのでね。表の警官に気付かれてしまいかねない」
「う、うるさいうるさい!黙れ!」
雪森とて、いいように挑発されっぱなしを良しとしない。あらかじめポケットに忍ばせてあった呼子に口をつけた。
だが、軽快な音が響き渡る寸前、横からひょいっと取り上げられる。手品師のごとく、呼子が青蜥蜴の掌からパッと消えた。
「おっと。周到にそんなものを用意していたとは。ですがね、私の方があなたよりも上手ですからね。意味もなくピンポン玉が転がるわけがないでしょう」
ニヤニヤと青蜥蜴は口元を歪めた。
雪森にちょっかいをかけながら、転がったピンポン玉が己の右足まで戻ってくるよう、器用に足の先端をもぞもぞさせていたのだ。
何故、いかがわしい真似までして雪森の気を逸らせていたのか。
理由は直後に判明した。
青蜥蜴はピンポン玉を踏みつける。
途端、白煙が噴き出した。瞬く間に四方に広がり、天井までも覆い尽くす。細かい粒子は視界を阻んだ。鼻先さえ判別出来ない。
耳を澄ませば、カチンと歯車の合う音がする。
青蜥蜴が隠し金庫を開けたのだ。
まんまと雪森は一杯食わされた。
だが、まだ諦めてはいない。
「そ、外には警官がうようよいるんだ」
「そんなもの、ハナから承知ですよ」
青蜥蜴は余裕ぶって、ハハハと声高に笑う。
窓の閂が下ろされた音に続き室内に充満していた白煙が、一気に暗がりへと噴き出した。漆黒の闇が塗り替わる。
屋敷を守っていた警官らは、その怪しげな光景にざわめいた。
「青蜥蜴だ!青蜥蜴が出たぞ!」
いきなり大河原の声が張り上がった。
「全員、北の方角へ進め!走れ!逃がすな!」
煙のせいで、大河原の体がシルエットでしかないことが、判断を鈍らせた。
よもや、悪党の口から出たとは誰も疑わない。部下は忠実に命令に従った。
偽物だ、騙されるな!
雪森は叫ぼうとしたが、煙に紛れて背後に回り込まれ、大きな掌によって口を塞がれていたので叶わず、虚しく騙される姿を見届ける他なかった。
誰もいなくなった庭を眺め、青蜥蜴は愉快そうに喉を鳴らす。
それでも雪森はまだ諦めてはいない。
青蜥蜴の左の手から、小箱を素早く掠め取った。
「何を」
瞬く隙を突かれ、思わず青蜥蜴は塞いでいた手を離してしまう。
雪森は胸元でぎゅっと小箱を抱えた。
「これは桂木のものだ。渡すもんか」
「駄々っ子のような真似はやめなさい」
「死んでも守るぞ、僕は」
「仕方がないですね」
その場に蹲り、石像のように固まってしまう。そんな雪森の強い意志をみて、青蜥蜴は肩を竦め、わざとらしく溜め息を漏らした。
いきなり雪森は猿ぐつわを噛ませられた。
「んんん!」
先手を取ったと油断した。
青蜥蜴は煙の中ですでに衣装の早替えを繰り出していた。詰襟に警帽、腰に下げたピストル。覆面の代わりにレンズの分厚い丸眼鏡。口元には黒々とした付け髭まで。
どこから見ても、向島あたりの巡査としか思えない。
青蜥蜴は物凄い力で雪森の肉に指を食い込ませて小脇に抱えると、扉を蹴破る。
「ど、どうした!」
煙が廊下に噴き出す。まだ外の状況が伝えられていなかった巡視の警官は、煙で視界が遮断された中、何事かとたじろいだ。
「雪森さんの具合が悪い。私は警部の命令で直ちに医者へ行く。君たちは、早く賊の後を。外だ」
「わ、わかった。任せたぞ」
何ら疑いもせず、警官は煙の彼方へと消えた。
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