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第59話「後金遡夜③」
しおりを挟む五月二十二日(日)十時五十四分 真希老獪人間心理専門学校・トイレ
【ネットストーカー】。
サイバーストーカーとも呼ばれる存在で、ブログやSNSなどのインターネットを介して特定人物にしつこく付きまとうストーカーの一種である。
二〇十七年一月に改正されたストーカー規制法により処罰の対象となった、れっきとした犯罪行為だ。
「………。」
「お、その顔は察したな? 俺の”変態性“がなんなのか。」
後金はわずかに前髪を揺らして俺を見る。
「その通り! 俺は【ネットストーカー】さ。」
「いやいや、ちょっと待てよ。」
後金に手のひらを向ける。
「お前それ、普通に犯罪行為だぞ? これから少数性癖を世に広めようって組織の人間が、いきなり迷惑行為に手を出すなよ。」
俺のその言葉を聞くと、後金は口元をほんの少し歪ませた。
「お前の方こそ、そりゃあ多数性癖者の発言だぜ?」
スマホをポケットにしまい、後金は続ける。
「迷惑行為…なんて言うがな、俺はなにも相手に対して恐怖心を抱かせるような真似をしてるわけじゃない。ネットだろうがリアルだろうが、俺は直接、相手に干渉なんざしたことがないんだぜ?」
両手をポケットに突っ込み、俺の目を見る。
「俺はただ個人的に愉しんでるだけだ。ストーカー規制法でこれも規制されるんだったら、お前の今までの行い……同級生の用便盗聴や逢瀬を観察しての自慰行為だって迷惑防止条例違反の犯罪行為なんじゃねぇのか?」
「ぐ……」
嵐山のヤローか、余計なこと言ったのは?
「いやいや、別にそんなつもりで言ったわけじゃないんだ。そんな睨むな。」
ポケットから両手を出して、俺に振ってみせる後金。
忙しい奴だ。
「俺の言い方が悪かったよ。【ネットストーカー】なんて言われたら、誰だって犯罪行為を連想するしな。さっきも言ったように、俺は相手に会ったりとか、SNSを炎上させようってのが目的でやってるわけじゃねぇんだ。そして、さっき見せたような画像を蒐集するのを目的にしてるわけじゃない。ありゃあ、ついでみたいなもんだな。」
「……じゃあ、お前は何を目的に……一体どこで性を感じてそんなことをしてるんだよ?」
俺の質問に、後金は俺から視線を外して、手洗い場水槽の縁に腰を下ろした。
そしてそのままの流れでポケットからハンカチ(これもさっき手を拭いたものとは違う)を取り出して、外したメガネを拭き始めた。
「対象者が隠しているものを探るその過程、時間をかけ、労力をかけ、己の知識と経験則、勘のみを頼りに秘密を暴いた時の達成感、心地の良い疲労感。徹夜明けの朝日……みたいな? 相手に自分の存在を印象付けることを目的に奇行に走るのはストーカーだが、俺はその逆…というより、その前。過程そのものに、行為そのものに性的興奮を抱いている。要は個人快楽主義のオナニーさ。」
相手に恋愛感情を抱き、しかし自分の気持ちを相手に上手く伝えられない。それでも相手に知ってほしい。
そういった気持ちが歪んでいった末路がストーキング行為に走る人だと、そんな話を以前どこかで聞いたか観たかした。
しかし、後金。
こいつは、相手に自分の存在を知らせるのが目的ではないと言った。
自身の欲求を満たす。
行為そのものに快楽を覚える。
確かにそれは、二〇十九年五月現在の日本では犯罪には該当しないだろう。
該当はしないのだろうが……。
後金はメガネを拭き終わると、ポケットにハンカチを戻し、水槽の縁から腰を上げた。
「個人快楽主義のオナニー…そう言った意味じゃあ、お前もこの話、わかるんじゃねぇか?」
「………。」
実際のところ、わかる。
俺はオナニーをしている時、視聴しているAⅤに対して、「女優は好みだがシチュエーションが好みじゃない」だとか「レズものに男が入ってくるな」だとか「ニューハーフと男の娘は違うだろ」だとか文句をつけたり、哲学っぽい言い訳をして現実逃避したりして、実のところ、行為そのものに全然集中していない(右手が全自動で動いてくれる)。
しかし、当日のオカズを探している時間。
その時においては、脳がそのためだけに全ての器官をフル稼働、フル回転させている。
その集中力、その高揚感。
精神的な快楽は、自慰行為本番の比ではない。
「俺もお前もやっていることはただのオナニー。ただ、そのための手段が少々グレーゾーン。相手にバレりゃあ、不快な思いを抱かせちまうことに変わりはねぇ。しかし、その考えによって生じる背徳感がより一層、芳醇な快楽を生み出しちまう。人間である以上、そこには抗えねぇと思うぜ?」
俺が黙っていると、再び後金のターンが始まった。
「だけど、俺はそれでいいと思う。不当な行いにこそ正当な行為では味わえない極上の美味が眠っている。その矛盾すらも呑み込み、正当化する。自己の正当化。自己肯定。それこそ、少数性癖を生み出す重要かつ唯一の要素なんだからな。」
気持ちよさそうに語る後金。
その姿を見て、しかし、俺は納得できずにいる。
不当な行為を容認し、正当化する。
それで、多数性癖の社会に少数性癖を広める?
そんなこと……許されていいのか?
わからない。
そもそも、許す許さないの問題なのか、これは?
俺は一体———
「………。」
何も答えを出せず、それでも何かを言わんと息を吸ったところで、次の授業開始を告げるチャイムの音が鳴り響いた。
「あ、やべぇ! 急いで戻るぞ!」
後金は焦って走り出す。
俺もすぐさまその後を追う形でトイレを出ていく。
「………。」
先ほど考えかけていたことを、俺は必死に頭から追い出そうとする。
チャイムに救われた形——否、チャイムに背中を押されて逃げ出した形、か……。
真希老獪人間心理専門学校にて二限目が始まろうとしていたその時より、時間は遡ること二十分前。
五月二十二日の午前十時四十分。
T県のとある山中に佇む朽ち果てた廃村。
そこに、『パンドラの箱』の幹部メンバー“十三厄災”が集結しようとしていた。
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