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第3章 独身男の会社員(32歳)が長期出張を受諾するに至る長い経緯
第23話「出立前の長い夜……そして」
しおりを挟む九州への出立を明日へ控えたこの日の夜に出された恭子の料理は、彼女がうちに来てから一番の集大成とも呼べる出来栄えだった。
それまでの俺の反応や言葉の節々から自分の好みを知ったのであろうが、コース料理として命名するならば、これは『純一尽くし』。
それにここ数ヶ月間は俺の体調管理を考えてか、精進料理のようなものが多かった故に、目の前に広がっているご馳走に涎が止まらない。
「今日くらいは、おじさんの好きなものをたくさん食べて欲しかったんです……」
恭子のしんみりとした、その言葉に切なさが込みあげてくる。
「いただきます」
俺は礼節をもってその料理と作り手に感謝の意を表し、一口一口噛みしめるように味わう。
うわぁ……
とうの前から俺は既に胃袋を掴まれていたんだと思う。
これが出張じゃなく転勤だったとしたら、恭子と半ば永遠に離れて暮らすことを俺が耐えられるのだろうか。
しかし、遅かれ早かれいずれはそういう時が来る。
俺はずっと自分のなかで思っていたことを恭子に言うべきか言わないべきか迷っていた。
「おじさん、明日は早いみたいですけど出発の準備とかはもう済んでいますか」
「ああ、必要なものは全部向こうへ送ってあるし、明日はカバンひとつ持って出かけるだけだ」
そうだ、そうだ、と俺は大切なことを思い出す。
しつこいようだが恭子へもう一度言っておこう。
「生活費の口座に十分なお金を入れてある。それで足りないことがあった場合は絶対に連絡してこい。あと恭子の前の家にあったものを処分したお金だが……」
そう、恭子は俺が貸倉庫に保管していた以前住んでいた家にあった品々のなかで、このマンションに入りきらないようなものを売ったり下取りに出すなどして換金していた。
そして、そのお金を全て俺に渡そうとしたのだが、がんとしてそれを拒否した。
それは恭子が本当に遠慮なく自分で使える、今のところ唯一無二のお金なのだ。
「絶対そのお金を生活費や各種諸々家のことに使うんじゃないぞ、自分の好きなことに使うのならもちろんいいけどな。それとな、恭子が無駄遣いをしないことは知っているけど、やはり友達付き合いを疎かにするような節約とかはあんまりよくないと思―――」
俺が言い続ける途中で恭子がクスリと笑う。
「あっ、おじさんごめんなさいっ!!だって、おじさん姫紀お姉ちゃんとおんなじことをいつも言うものですから……でも、私そんなに真面目な子じゃありませんよ」
んな、こたない!
「今までもずっとおじさんに甘やかされてましたけど、これからも……もっと、おじさんに甘えるようにさせてもらいますから」
そうか……
「それなら、いいんだ」
妙に照れくさくなって、その後俺は一心不乱に飯を口へ掻き込むと、食べきれないほどのあった料理をあっという間に平らげてしまった。
「冷凍のものでよければ、あちらへ私がつくったものを送りますので」
「いいのか?助かる!それは楽しみだなぁ」
恭子の手料理をあっちでも食べられるなんて、正直思ってもいなかった。
「だって、そうでもしないとおじさんは外食とかインスタント食品とかばっかりで済ましてしまいそうですから」
正解!
「正解じゃありませんよ……本当に」
恭子は少し溜息をついて『食器を片付けますね』とキッチンに引っ込む。
俺は先に風呂も入ったのでこれ以上することもなく、もう少し恭子と話をしていたかったのだが、仕方なく自室へ行こうとした。
その時だった。
ガチャンと食器が重なる音と共に恭子が俺に声を掛ける。
「お、おじさん!もう、お部屋でお休みになるんですか?」
「あ、ああ……そのつもりだったんだけど」
「私、明日はお休みなので食器はつけて置くだけにして明日洗います。なので……あの、もうちょっとだけおじさんとおしゃべりしたい、です」
「お、おぅ……俺も明日は移動だけだし、どうせなら語り明かそうじぇ」
いきなりの恭子からのお願いだったので、俺はテンパってちょっと噛んでしまった。
「はいっ!まだ、お酒も飲みますよね」
恭子がもう一本柚子コマを持ってきては手酌をしてくれる。
零れないようにトクトクとゆっくりと注ぎながら、恭子は語り出す。
「私、ここに来て楽しいこともたくさんありましたけど、いっぱいドキドキもさせられました」
「ほら、あの時おじさんが倒れた後にずっと踊ってたときなんか、心臓が破裂しちゃいそうでしたよ」
ああ、あの2時間ダンス耐久レースのときな。
「まあ、こうして恭子が戻ってきてくれたんだから結果オーライだろ」
「本当にすみませんでした……あの時の私はどうかしてたんです」
両親を失って引き取った俺が過労で倒れたんだから、変な思い込みも仕方がないことだと思う。
「いやいや、恭子に心配かけた俺が悪いのさ。それに踊っていたっていっても、ブラブラ手と足を動かすくらいしかできなかったしな」
「あんな状態でしたら、それが普通ですっ!……っていいますか、私がおじさんのところに飛び込んだあとの『最後に私に踊ってくれ』って、凄く恥ずかしかったんですからねっ!」
そうそう、動画共有サイトの生放送時間があと5分余っててて、見てくれている人もめっちゃ盛り上がっていたから、俺が大の字にへたりこんだ後に、最後1曲は恭子に踊らせたんだっけ。
「それにしても、よく本番一発で見事に決められたな、ハピバルの踊りをしってたのか?」
「それは……有名な曲ですし、それに……おじさんからの誕生日プレゼントの動画を何回も見てましたから」
おいおい何回も、って何回見たんだよ。
「……ちなみにどれくらい?」
「せ……百回、くらい?」
恭子が『せ』と言いかけて慌てて訂正する。
いや、絶対千回って言おうとしてただろ!!
百回でも多いし!見過ぎだ!
「ですから、ハッピーバルーンは踊れますよ。……凄く恥ずかしかったですけど」
「でも、楽しかっただろ?」
俺が意地悪な笑みを浮かべると、恭子はちょっと拗ねた顔をしてやけくそ気味に答えた。
「……はい、すっごく楽しかったですッ!!とっちゃんや直樹さんも一緒に踊ってくれて、姫紀お姉ちゃんも音源に合わせてキーボードで生演奏してくれて……本当に凄く、すっごく、楽しかったな、ぁ」
俺もその時初めて知ったのだが、とっちゃんはネットでは結構有名な踊り手だったみたいで、直樹に至ってはハピバルの振付師だったようで、作曲家の姫ちゃんの生伴奏もあってか、超豪華セッションに視聴者は興奮を極め、拡散されたそのコピー動画が殿堂入りするほどだった。
でも、やはりコメントの賑わいのなかで一番関心を集めていたのはセンターで踊った無名の恭子。
非の打ちどころがないダンスを披露していた両隣の直樹やとっちゃんをすら霞めてしまうほどに目を釘付けにされる。
神秘的でもあって、なお力強さが溢れるその躍動に今でも新作がアップされていないか常に動画を確認している信者ユーザーが多数存在するほどだった。
「また動画を投稿してみたらどうだ?ネットではそれを待ち望んでいる人が多いらしいぞ?」
「とっちゃんにも言われましたけど……やっぱりネットで見られるのは私には恥ずかしいですから」
すまんな、信者たちよ。俺の力ではお前らの期待には添えられないようだ。
俺と恭子は話に夢中になって気が付いたら日付が変わっていたけれど、それでも一向に話は途切れなかった。
恭子の部屋で一緒になべ焼きうどんを食べた時も色々と話をしてはいたが、この時はそれ以上に俺の知らない恭子の話や恭子の知らない俺の話など止めどなく交わし合った。
結局、明け方まで寝ずに話込んでしまい、そのまま朝食をとることになった。
「……おじさん、本当にすみません。私は今日、学校がお休みですけど、おじさんは今から発たなくちゃいけないのに……」
「いや、仕事自体はないし、移動も飛行機とタクシーだからどこでも寝られるよ。それよりも恭子と話したことが凄く楽しかったから」
「私もっ、私も凄く楽しかったです!」
恭子の淹れたコーヒーと食パンの上に乗せた目玉焼きの香ばしさが鼻をくすぐる。
「本当にめっちゃ話したなぁ!俺はもう知識的には恭子マニアの域になれそうだ」
「私もおじさんマニアですね」
おじさんマニアって、それはイカンだろ!!
「おいおい、そりゃ聞こえが悪いな。名前にしろ名前に」
「えと……純一さん?……純一さん」
ん?あれ?いや、そうなんだけど……名前だけで呼ばれてもなぁ。
「―――ゴホッ」
かなり照れ臭かったので、コーヒーを一気飲みして誤魔化そうとしたらむせ込んでしまった。
そして時間は止まることなく過ぎていき、もうそろそろ家を出なければいけない時間がやってきた。
俺はカバンに財布や免許証などが入っているかを確認する。
他は忘れ物があっても向こうで買うか恭子に送って貰えばいい。
準備はできた。
「それじゃあ、恭子」
「……はい」
2人は玄関を開けて外へ出た。
「見送りはここでいいからな」
「……おじさん、……お元気で」
タクシーを呼んでいるので行かなくてはいけないが、どうも足が進まない。
心残りがあるのだ。
やはりどうしても今、言っておきたい。
ずっと俺が考えていたこと。
「恭子」
「はい」
「その、な……もし、恭子が良かったらなんだけど」
恭子は俺の目をジッとみている。
「……俺の養子にならないか」
「え?」
「養子と言っても、苗字は変えたりするんじゃなくて、神海恭子として俺は恭子の保護者になりたいんだ。里子って言えばいいのかな」
「名実ともに、俺の家族にならないか」
恭子の口から何も言葉が発せられることはなく、沈黙が暫く続いたが俺はどうしても恭子の顔を見るのが怖かった。
本当にヘタレだ。
恭子の顔の下、胸辺りをみて俺は言葉を続ける。
「急にこんなことを言ってゴメン。俺が九州から帰ってくるまでの間に考えておいてくれたら嬉しい」
そう言い残した俺は玄関前を後にした。
一度も振り返らなかった。
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