悪役令嬢のやり直しニューゲーム! ~断罪ルートは無理ゲーなので、“推し”との共闘ハッピーエンド攻略、開始します~

虹湖🌈

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第15話 星降る夜の、たった一つのワルツ

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 王宮の大広間は、文字通り、星々の海だった。
 天井からは、本物の水晶で作られたシャンデリアが幾千もの光を放ち、磨き上げられた大理石の床は、その輝きを映して、まるで夜空の水鏡のようだ。
 高名な宮廷楽団が奏でる、甘く、そして壮麗なワルツの調べ。着飾った貴族たちの楽しげな談笑。最高級のシャンパンの泡が弾ける、微かな音。
 その全てが混じり合い、現実とは思えないほどの、きらびやかな空間を創り上げていた。

「……すごい」
 思わず、吐息のような感嘆が漏れた。
 ゲームの背景CGで見た光景よりも、ずっと、ずっと美しい。

「アイナ嬢」
 隣から、低い声がかけられる。
「お疲れであれば、いつでも控え室へ」
「……いいえ、大丈夫ですわ」

 私をエスコートするレオンハルト様の、その声が、私を現実へと引き戻した。
 そうだ、私は今、この夢のような空間の中心で、たった一つの戦いに挑んでいるのだ。
 彼の腕に、そっと自分の手を重ねる。騎士の礼法に則った、ただのエスコート。けれど、硬い甲冑越しに伝わる彼の体温が、私の覚悟を鈍らせ、そして奮い立たせた。

 私たちの登場は、良くも悪くも、注目の的だった。
 夜空を切り取ったようなドレスを纏う、謎めいた令嬢。
 その隣に、影のように寄り添う、王国最強の騎士。
 遠巻きにするような視線と、好奇に満ちた囁き声が、波のように私たちを取り巻いていた。

 やがて、楽団の音楽が一段と華やかになり、最初のダンスの始まりが告げられた。
 計画通り、アルバート王子が、少し緊張した面持ちのエリスの手を取り、広間の中心へと進み出る。

「……始まりましたわね」
 私は、バルコニーの近くの柱の影から、その光景を眺めていた。
 レオンハルト様は、私の半歩後ろに、静かに控えている。

「殿下も、満更でもないご様子」
 軽口を叩いてみるが、彼は答えなかった。
 ただ、その視線が、踊る二人ではなく、私の横顔に注がれていることに、私は気づかないふりをした。

 アルバート王子のダンスは、相変わらず大仰で、詩的で、そして少し滑稽だった。
 だが、それに必死についていこうとするエリスの姿は、健気で、不思議と絵になっていた。
(あれが、本来の、このゲームのルート……)
 胸の奥が、少しだけ、ちりりと痛んだ。

 最初の曲が終わり、拍手と共に、広間のダンスフロアが全ての招待客に開放される。
 二曲目は、先ほどよりも、ずっと緩やかで、優雅なテンポのワルツ。
 ――今だ。

 私は、ゆっくりと、背後の騎士へと振り返った。
 心臓が、早鐘のように鳴っている。

「サー・レオンハルト」
 私の声は、自分でも驚くほど、落ち着いて聞こえた。
「あなた様の任務は、いかなる時も、わたくしの側にいること。そうでしたわよね?」

「……はい、アイナ嬢」
 彼の瞳が、かすかに揺れる。私の意図を、測りかねているようだ。

「でしたら、この人混みの中、わたくしを一人で歩かせるのは、職務怠慢ではございませんこと?」
 私は、わざと悪戯っぽく微笑んでみせた。
「この“怪我をした”足ですもの。誰かにぶつかって、転んでしまうかもしれませんわ。それを防ぐためにも、あなた様が、一番近くで支えてくださるのが、最も合理的かと」

 それは、屁理屈だ。
 監視という彼の任務を逆手に取った、あまりにも我儘な、口実。

 私は、そっと、彼に手を差し伸べた。
 白い手袋に包まれた、私の、震える手を。

「――一曲だけ、わたくしの護衛をお願いできませんこと? ……あなた様の、完璧な職務遂行の一環として」

 レオンハルト様は、何も言わなかった。
 彼はただ、私の差し伸べた手と、私の顔を、交互に見つめていた。
 その瞳の中で、激しい葛藤が渦巻いているのが、痛いほど伝わってくる。
 数秒が、数時間にも感じられる、長い、長い沈黙。

 やがて、彼は、まるで諦めたかのように、小さく、息を吐いた。
 そして、その大きな手で、私の手を取った。

「……御意に」

 その瞬間、私の世界で、音楽が、本当に始まった。

 彼に導かれ、ダンスフロアの中心へ。
 周囲の喧騒が、嘘のように遠ざかっていく。
 彼の左手が、私の腰にそっと添えられ、身体が引き寄せられる。
 ワルツのステップに合わせて、私たちの身体が、ゆっくりと回り始めた。
 近い。
 彼の顔が、すぐそこにある。
 いつも冷静な、あのアクアマリンの瞳が、今は、熱を帯びて、私だけを、まっすぐに映している。

 ああ、これが、私が望んだ景色。
 ゲームのクリアでも、断罪の回避でもない。
 ただ、この瞬間。
 この、一瞬。

「レオン、様……」
 私が、彼の名前を、無意識に呟いた、その時だった。

 ピタリ、と。
 彼の動きが、止まった。
 私を支えていた腕から、力が抜けていく。

「……え?」

 見上げると、彼の瞳から、光が消えていた。
 さっきまで私を映していたはずの瞳は、今は、虚ろなガラス玉のように、どこか遠くを見つめている。
 温かかったはずの身体が、冷たい鎧だけの、無機質な人形に戻ってしまった。

「どこだ……」
 彼の唇から、乾いた声が漏れた。
「彼女は……どこだ……。守らなけれ、ば……」

 バグだ。
 あの、彼の魂を蝕む、悪夢のループ。
 ヒロインのエリスだけを探し求め、他の全てを忘れてしまう、悲劇の呪い。

「レオン様……? しっかりして……!」
 私が彼の腕を掴むが、彼は、まるで私のことなど見えていないかのように、その手を振り払った。
 そして、ダンスフロアの向こう側で、アルバート王子と談笑しているエリスの姿を捉えると、亡霊のように、ふらふらと、そちらへ向かって歩き始めた。

 取り残されたのは、私だけ。
 華やかなワルツの音楽が流れる、ダンスフロアの真ん中で、たった一人。
 掴んだはずの温もりは、もう、どこにもない。
 私の、たった一つの願いが叶った瞬間、私は、最も残酷な形で、この世界の理不尽な筋書き(ルール)を、見せつけられたのだ。

「……あ」

 私の瞳から、何かが、零れ落ちた。
 それが、星の光の反射なのか、それとも――
 もう、私には、分からなかった。
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