1 / 44
第1話:奈落の底の薔薇
しおりを挟む
「――よって、公爵令嬢リアナ・ヴィルヘルム。貴様には王家への反逆共謀の罪により、本日付けで貴族籍の剥奪、全財産の没収、及び王都からの永久追放を申し渡す!」
玉座の間――ではなかった。そこは、我がヴィルヘルム公爵家の最も格式高い広間。しかし、今はまるで罪人を裁くための法廷のように変えられていた。
中央には、父の政敵であるジャルジェ侯爵が、憎々しい笑みを浮かべて宣告文を読み上げている。周囲を取り囲むのは、昨日まで私に媚びへつらっていた貴族たち。今は侮蔑と嘲笑、あるいは歪んだ好奇の視線を隠そうともしない。
「お待ちください! そのような…身に覚えはございません! 全てはジャルジェ侯爵の、いいえ、誰かの仕組んだ罠ですわ!」
必死に声を張り上げる。明日には、華やかな社交界デビューを飾るはずだった。この日のために、どれだけの努力を重ねてきたことか。ヴィルヘルム公爵家の名に恥じぬよう、淑女としての作法、ダンス、歴史、政治学…全てを完璧にこなせるように。
それなのに、なぜ。
目の前には、捏造されたと思しき『証拠』の書類が並べられている。私が反王家派閥の者と密会していた? 馬鹿げている。私はただ、父上の期待に応えたい一心で……。
「黙れ、罪人が! これ以上見苦しい言い訳は聞きたくない!」
ジャルジェ侯爵が吐き捨てる。その隣では、かつて私の友人だったはずの伯爵令嬢が、勝ち誇ったような顔で扇子の影から私を見下ろしていた。ああ、あなたもグルだったのね。
父は? 母は? 私の家族はどこにいるの?
視線で探すが、彼らの姿は見当たらない。まさか、彼らも…。
兵士たちが私を取り押さえる。上等なシルクのドレスは無残に引き裂かれ、手荒く腕を掴まれた。
「離しなさい! 私は…私は無実よ!」
最後の抵抗も虚しく、私は広間から引きずり出された。
降り注ぐ嘲りの声。「公爵令嬢も地に落ちたものだ」「反逆者の娘め」「せいぜいどぶの中でもがくがいい」
悔しさと屈辱に、涙が溢れて止まらなかった。
ジャルジェ侯爵。あの伯爵令嬢。そして、この場にいる全ての人たち。
覚えていなさい。この屈辱、決して忘れはしない。
必ず、必ずあなたたちに報いを――!
その後の記憶は、断片的だ。
荷物のように馬車に放り込まれ、王都の門を追い出された。人気のない街道を進む途中、突然、何者かに襲撃された。護送の兵士(彼らもジャルジェ侯爵の手の者だったのだろう)はあっけなく殺され、私も頭部に強い衝撃を受けて…意識が闇に沈んだ。
*
冷たい。痛い。臭い。
五感を襲う不快感に、ゆっくりと瞼を開けた。
視界に飛び込んできたのは、汚れた石畳と、降りしきる冷たい雨。生ゴミの腐臭と、安酒の匂いが混じり合って鼻をつく。
「……ここは?」
掠れた声が出た。体を起こそうとするが、全身が軋むように痛む。特に頭が割れるように痛い。触れてみると、固まった血の感触があった。幸い、傷自体はそれほど深くないのかもしれない。
引き裂かれたドレスは泥にまみれ、もはや元の色も分からない。貴族令嬢リアナ・ヴィルヘルムの見る影もなかった。
周囲を見渡す。狭い路地裏。薄汚れた建物が密集し、空はどんよりと曇っている。遠くから喧騒と、どこか退廃的な音楽が聞こえてくる気がした。
ここは、どこ? 王都ではない。追放されたのだから当然か。では、一体…。
その時、脳裏に鮮やかな映像がフラッシュバックした。
――暗い訓練施設。厳しい教官の声。モニターに映し出される無数のデータ。潜入、尋問、暗号解読…。そうだ、私は…。
『思い出せ。お前は単なるお嬢様じゃない。生き抜け。どんな手段を使ってでも』
誰の声? いや、これは…前世の私の記憶?
そう、私は思い出した。今のリアナ・ヴィルヘルムである前に、別の人生を生きていたことを。平和な日本という国とは程遠い、どこかの国の諜報機関で育成され、情報分析官として生きていた記憶を。感情を殺し、ただ効率的に任務をこなすための訓練を受けていた日々。なぜそんな記憶が今更?
「…そうか、転生…していたのね、私」
皮肉な笑みが漏れた。公爵令嬢としての記憶と、諜報員としての記憶。二つの人生が、この最悪の状況で一つに繋がった。
ふつふつと、腹の底から熱いものがこみ上げてくる。
怒りだ。ジャルジェ侯爵への。私を裏切った者たちへの。そして、こんな理不尽を許しているこの世界への。
「死んでたまるものか…!」
泥水を啜ってでも、生き延びてやる。
そして、必ず。
必ず、私を陥れた者たち全員に、この屈辱の何倍もの代償を支払わせてみせる。
幸い、私には武器がある。この頭脳と、前世で培った知識とスキルが。
公爵令嬢リアナは死んだ。これからは、この奈落の底から這い上がる新たな“私”だ。
情報が要る。現状を把握するための情報。ここがどこで、どういう場所なのか。そして、どうすれば生き延びられるのか。
次に、水と食料。最低限の生存基盤を確保しなければ。
そして、身を隠す場所と、当座の金。
冷静に思考を巡らせる。かつての諜報員としての思考回路が動き出す。
私はゆっくりと、しかし確かな意志を持って、泥まみれの体で立ち上がった。
降りしきる雨の中、ふらつきながらも一歩を踏み出す。
まずは、この悪臭漂う路地裏から出なければ。
王都の西側に存在するという、無法地帯。あらゆる欲望と情報が渦巻く街――もしや、ここは……。
「紅灯区(あかといく)…?」
誰に聞かせるともなく呟いたその時、路地の角から、小さな影がこちらに向かってくるのが見えた。
(第1話 了)
玉座の間――ではなかった。そこは、我がヴィルヘルム公爵家の最も格式高い広間。しかし、今はまるで罪人を裁くための法廷のように変えられていた。
中央には、父の政敵であるジャルジェ侯爵が、憎々しい笑みを浮かべて宣告文を読み上げている。周囲を取り囲むのは、昨日まで私に媚びへつらっていた貴族たち。今は侮蔑と嘲笑、あるいは歪んだ好奇の視線を隠そうともしない。
「お待ちください! そのような…身に覚えはございません! 全てはジャルジェ侯爵の、いいえ、誰かの仕組んだ罠ですわ!」
必死に声を張り上げる。明日には、華やかな社交界デビューを飾るはずだった。この日のために、どれだけの努力を重ねてきたことか。ヴィルヘルム公爵家の名に恥じぬよう、淑女としての作法、ダンス、歴史、政治学…全てを完璧にこなせるように。
それなのに、なぜ。
目の前には、捏造されたと思しき『証拠』の書類が並べられている。私が反王家派閥の者と密会していた? 馬鹿げている。私はただ、父上の期待に応えたい一心で……。
「黙れ、罪人が! これ以上見苦しい言い訳は聞きたくない!」
ジャルジェ侯爵が吐き捨てる。その隣では、かつて私の友人だったはずの伯爵令嬢が、勝ち誇ったような顔で扇子の影から私を見下ろしていた。ああ、あなたもグルだったのね。
父は? 母は? 私の家族はどこにいるの?
視線で探すが、彼らの姿は見当たらない。まさか、彼らも…。
兵士たちが私を取り押さえる。上等なシルクのドレスは無残に引き裂かれ、手荒く腕を掴まれた。
「離しなさい! 私は…私は無実よ!」
最後の抵抗も虚しく、私は広間から引きずり出された。
降り注ぐ嘲りの声。「公爵令嬢も地に落ちたものだ」「反逆者の娘め」「せいぜいどぶの中でもがくがいい」
悔しさと屈辱に、涙が溢れて止まらなかった。
ジャルジェ侯爵。あの伯爵令嬢。そして、この場にいる全ての人たち。
覚えていなさい。この屈辱、決して忘れはしない。
必ず、必ずあなたたちに報いを――!
その後の記憶は、断片的だ。
荷物のように馬車に放り込まれ、王都の門を追い出された。人気のない街道を進む途中、突然、何者かに襲撃された。護送の兵士(彼らもジャルジェ侯爵の手の者だったのだろう)はあっけなく殺され、私も頭部に強い衝撃を受けて…意識が闇に沈んだ。
*
冷たい。痛い。臭い。
五感を襲う不快感に、ゆっくりと瞼を開けた。
視界に飛び込んできたのは、汚れた石畳と、降りしきる冷たい雨。生ゴミの腐臭と、安酒の匂いが混じり合って鼻をつく。
「……ここは?」
掠れた声が出た。体を起こそうとするが、全身が軋むように痛む。特に頭が割れるように痛い。触れてみると、固まった血の感触があった。幸い、傷自体はそれほど深くないのかもしれない。
引き裂かれたドレスは泥にまみれ、もはや元の色も分からない。貴族令嬢リアナ・ヴィルヘルムの見る影もなかった。
周囲を見渡す。狭い路地裏。薄汚れた建物が密集し、空はどんよりと曇っている。遠くから喧騒と、どこか退廃的な音楽が聞こえてくる気がした。
ここは、どこ? 王都ではない。追放されたのだから当然か。では、一体…。
その時、脳裏に鮮やかな映像がフラッシュバックした。
――暗い訓練施設。厳しい教官の声。モニターに映し出される無数のデータ。潜入、尋問、暗号解読…。そうだ、私は…。
『思い出せ。お前は単なるお嬢様じゃない。生き抜け。どんな手段を使ってでも』
誰の声? いや、これは…前世の私の記憶?
そう、私は思い出した。今のリアナ・ヴィルヘルムである前に、別の人生を生きていたことを。平和な日本という国とは程遠い、どこかの国の諜報機関で育成され、情報分析官として生きていた記憶を。感情を殺し、ただ効率的に任務をこなすための訓練を受けていた日々。なぜそんな記憶が今更?
「…そうか、転生…していたのね、私」
皮肉な笑みが漏れた。公爵令嬢としての記憶と、諜報員としての記憶。二つの人生が、この最悪の状況で一つに繋がった。
ふつふつと、腹の底から熱いものがこみ上げてくる。
怒りだ。ジャルジェ侯爵への。私を裏切った者たちへの。そして、こんな理不尽を許しているこの世界への。
「死んでたまるものか…!」
泥水を啜ってでも、生き延びてやる。
そして、必ず。
必ず、私を陥れた者たち全員に、この屈辱の何倍もの代償を支払わせてみせる。
幸い、私には武器がある。この頭脳と、前世で培った知識とスキルが。
公爵令嬢リアナは死んだ。これからは、この奈落の底から這い上がる新たな“私”だ。
情報が要る。現状を把握するための情報。ここがどこで、どういう場所なのか。そして、どうすれば生き延びられるのか。
次に、水と食料。最低限の生存基盤を確保しなければ。
そして、身を隠す場所と、当座の金。
冷静に思考を巡らせる。かつての諜報員としての思考回路が動き出す。
私はゆっくりと、しかし確かな意志を持って、泥まみれの体で立ち上がった。
降りしきる雨の中、ふらつきながらも一歩を踏み出す。
まずは、この悪臭漂う路地裏から出なければ。
王都の西側に存在するという、無法地帯。あらゆる欲望と情報が渦巻く街――もしや、ここは……。
「紅灯区(あかといく)…?」
誰に聞かせるともなく呟いたその時、路地の角から、小さな影がこちらに向かってくるのが見えた。
(第1話 了)
0
あなたにおすすめの小説
【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます
腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった!
私が死ぬまでには完結させます。
追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。
追記2:ひとまず完結しました!
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
皆様ありがとう!今日で王妃、やめます!〜十三歳で王妃に、十八歳でこのたび離縁いたしました〜
百門一新
恋愛
セレスティーヌは、たった十三歳という年齢でアルフレッド・デュガウスと結婚し、国王と王妃になった。彼が王になる多には必要な結婚だった――それから五年、ようやく吉報がきた。
「君には苦労をかけた。王妃にする相手が決まった」
ということは……もうつらい仕事はしなくていいのねっ? 夫婦だと偽装する日々からも解放されるのね!?
ありがとうアルフレッド様! さすが私のことよく分かってるわ! セレスティーヌは離縁を大喜びで受け入れてバカンスに出かけたのだが、夫、いや元夫の様子が少しおかしいようで……?
サクッと読める読み切りの短編となっていります!お楽しみいただけましたら嬉しく思います!
※他サイト様にも掲載
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
第5皇子に転生した俺は前世の医学と知識や魔法を使い世界を変える。
黒ハット
ファンタジー
前世は予防医学の専門の医者が飛行機事故で結婚したばかりの妻と亡くなり異世界の帝国の皇帝の5番目の子供に転生する。子供の生存率50%という文明の遅れた世界に転生した主人公が前世の知識と魔法を使い乱世の世界を戦いながら前世の奥さんと巡り合い世界を変えて行く。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる