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第一章 オメガの僕が、最後に恋をした騎士は冷酷すぎる
第2話 灰色の瞳が見る世界
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走りながら、思考が現実についていかない。
握られたレオンの手は燃えるように熱く、俺を立たせている唯一の支えだった。一歩進むごとに、心臓が肋骨を叩く。白い廊下は非常灯の赤い光に染まり、明滅する光が俺たちの影を巨大な怪物のように壁に映し出しては消した。
「右だ!」
レオンの低い声が響く。俺はただ、その声と引かれる力に身を任せる。角を曲がった瞬間、正面から武装した警備兵たちが現れた。自動小銃の銃口が、一斉にこちらを向く。
「ひっ……!」
悲鳴が喉の奥で凍りついた。これまで画面越しにしか見たことのない暴力の象徴が、今、俺の命を刈り取ろうとしている。咄嗟に目を固く閉じた俺の身体を、レオンがぐいと背後にかばった。
彼の背中は、まるで揺るぎない壁だった。
銃声が鼓膜を突き破る。だが、それは想像していた一斉掃射の音ではなかった。乾いた発砲音が三度、短く響き、金属が床に落ちる甲高い音が続く。恐る恐る目を開けると、警備兵たちが崩れるように倒れているのが見えた。レオンは腰のホルスターから抜き放った銃を、寸分の淀みもない動きで構えている。その銃口から、硝煙が細く立ち昇っていた。
「……!」
言葉にならない。目の前で人が撃たれた。命が奪われたのかもしれない。吐き気がこみ上げる。
だが、レオンはそんな俺の動揺など意にも介さず、すぐに銃をしまうと、再び俺の手を引いた。
「感傷に浸るのは後だ。今は生きることだけ考えろ」
冷たい声。けれど、その声に含まれた微かな厳しさが、逆に俺のパニックを鎮めていく。そうだ、生きる。この人は、俺に「生きろ」と言っている。
今まで誰にも言われたことのなかった、その無言の命令が、鉛のように重かった脚に力をくれた。
もつれる足で必死にレオンの背中を追う。彼は施設の構造を完全に把握しているようだった。警備の薄いメンテナンス用の通路を選び、時にはダクトを潜り、着実に下層へと向かっていく。その無駄のない動きと冷静な判断力は、彼がこの日のために周到な準備を重ねてきたことを物語っていた。
俺は、生まれて初めて他人の背中をこんなに間近で見ていた。
研究員たちの背中は、いつも俺を観察し、管理する壁だった。だが、レオンの背中は違う。俺を守り、未知の世界へと導く、たった一つの道標だった。
やがて、長い通路の先に巨大なハッチが見えた。貨物の搬出口だろうか。レオンは壁のコンソールを操作すると、重々しい警告音と共に、分厚い扉がゆっくりと上昇を始めた。
隙間から、空気が流れ込んでくる。
それは、空調管理された無菌の空気ではなかった。
乾いた砂の匂い。錆びた鉄の匂い。そして、夜の冷気。今まで感じたことのない、ざらついた「本物の世界」の匂いが、俺の肺を激しく満たした。
「……あ……」
扉が完全に開かれる。
目の前に広がっていたのは、俺が生まれてから一度も見たことのない、本物の夜だった。
偽物の照明ではない、どこまでも深い闇。雲の切れ間からは、ダイヤモンドの欠片を撒き散らしたような、無数の星が瞬いている。それは、部屋のモニターで見たどんな映像よりも、圧倒的に美しく、そしてどこか恐ろしかった。
「乗れ!」
レオンの声に我に返る。ハッチの外には、装甲の施された武骨な車両がエンジン音を響かせて待機していた。俺はよろめきながらも車内に転がり込み、レオンがそれに続く。彼が扉を閉めた直後、背後で世界が揺れるほどの大爆発が起きた。
轟音と衝撃波。俺が今まで「世界」だと思っていた〈エデン・ドーム〉の一部が、夜空を焦がす巨大な火柱と化していた。
車両は猛然と加速し、炎に包まれた監獄から俺たちを引き離していく。
がたがたと揺れる車内で、俺はただ呆然と、遠ざかる炎を見つめていた。
すべてが、終わった。そして――。
「……大丈夫か、アキ」
不意に、レオンが声をかけてきた。手渡された水筒は、ひんやりと冷たい。俺はこわばる指でそれを受け取ると、夢中で水を飲んだ。乾ききった喉を、命の水が潤していく。
声が出なかった。代わりに、こくりと頷いて返事をする。
レオンはそれ以上何も言わず、ただ静かに俺の隣に座っていた。彼の灰色の瞳は、荒野を照らすヘッドライトの光を映し、その先に広がる闇をじっと見据えている。
俺の人生は、何の前触れもなく、この男によって根底から覆された。
これからどうなるのか。俺たちはどこへ向かうのか。
尋ねたいことは山ほどあるのに、言葉にならない。俺がただ戸惑いの視線を向けると、レオンはそれに気づいたようだった。
「今は何も考えるな」
彼は、まるで俺の心を読むように言った。
「俺たちが向かうのは、お前を『資源』ではなく、一人の人間として扱ってくれる場所だ」
一人の、人間。
その言葉が、胸の奥で小さく反響する。
車両は、文明の光が届かない本物の荒野を突き進んでいく。俺は窓の外に広がる無限の闇を見つめながら、自分の人生が、初めて自分の知らない場所で「始まった」ことを、静かに予感していた。
握られたレオンの手は燃えるように熱く、俺を立たせている唯一の支えだった。一歩進むごとに、心臓が肋骨を叩く。白い廊下は非常灯の赤い光に染まり、明滅する光が俺たちの影を巨大な怪物のように壁に映し出しては消した。
「右だ!」
レオンの低い声が響く。俺はただ、その声と引かれる力に身を任せる。角を曲がった瞬間、正面から武装した警備兵たちが現れた。自動小銃の銃口が、一斉にこちらを向く。
「ひっ……!」
悲鳴が喉の奥で凍りついた。これまで画面越しにしか見たことのない暴力の象徴が、今、俺の命を刈り取ろうとしている。咄嗟に目を固く閉じた俺の身体を、レオンがぐいと背後にかばった。
彼の背中は、まるで揺るぎない壁だった。
銃声が鼓膜を突き破る。だが、それは想像していた一斉掃射の音ではなかった。乾いた発砲音が三度、短く響き、金属が床に落ちる甲高い音が続く。恐る恐る目を開けると、警備兵たちが崩れるように倒れているのが見えた。レオンは腰のホルスターから抜き放った銃を、寸分の淀みもない動きで構えている。その銃口から、硝煙が細く立ち昇っていた。
「……!」
言葉にならない。目の前で人が撃たれた。命が奪われたのかもしれない。吐き気がこみ上げる。
だが、レオンはそんな俺の動揺など意にも介さず、すぐに銃をしまうと、再び俺の手を引いた。
「感傷に浸るのは後だ。今は生きることだけ考えろ」
冷たい声。けれど、その声に含まれた微かな厳しさが、逆に俺のパニックを鎮めていく。そうだ、生きる。この人は、俺に「生きろ」と言っている。
今まで誰にも言われたことのなかった、その無言の命令が、鉛のように重かった脚に力をくれた。
もつれる足で必死にレオンの背中を追う。彼は施設の構造を完全に把握しているようだった。警備の薄いメンテナンス用の通路を選び、時にはダクトを潜り、着実に下層へと向かっていく。その無駄のない動きと冷静な判断力は、彼がこの日のために周到な準備を重ねてきたことを物語っていた。
俺は、生まれて初めて他人の背中をこんなに間近で見ていた。
研究員たちの背中は、いつも俺を観察し、管理する壁だった。だが、レオンの背中は違う。俺を守り、未知の世界へと導く、たった一つの道標だった。
やがて、長い通路の先に巨大なハッチが見えた。貨物の搬出口だろうか。レオンは壁のコンソールを操作すると、重々しい警告音と共に、分厚い扉がゆっくりと上昇を始めた。
隙間から、空気が流れ込んでくる。
それは、空調管理された無菌の空気ではなかった。
乾いた砂の匂い。錆びた鉄の匂い。そして、夜の冷気。今まで感じたことのない、ざらついた「本物の世界」の匂いが、俺の肺を激しく満たした。
「……あ……」
扉が完全に開かれる。
目の前に広がっていたのは、俺が生まれてから一度も見たことのない、本物の夜だった。
偽物の照明ではない、どこまでも深い闇。雲の切れ間からは、ダイヤモンドの欠片を撒き散らしたような、無数の星が瞬いている。それは、部屋のモニターで見たどんな映像よりも、圧倒的に美しく、そしてどこか恐ろしかった。
「乗れ!」
レオンの声に我に返る。ハッチの外には、装甲の施された武骨な車両がエンジン音を響かせて待機していた。俺はよろめきながらも車内に転がり込み、レオンがそれに続く。彼が扉を閉めた直後、背後で世界が揺れるほどの大爆発が起きた。
轟音と衝撃波。俺が今まで「世界」だと思っていた〈エデン・ドーム〉の一部が、夜空を焦がす巨大な火柱と化していた。
車両は猛然と加速し、炎に包まれた監獄から俺たちを引き離していく。
がたがたと揺れる車内で、俺はただ呆然と、遠ざかる炎を見つめていた。
すべてが、終わった。そして――。
「……大丈夫か、アキ」
不意に、レオンが声をかけてきた。手渡された水筒は、ひんやりと冷たい。俺はこわばる指でそれを受け取ると、夢中で水を飲んだ。乾ききった喉を、命の水が潤していく。
声が出なかった。代わりに、こくりと頷いて返事をする。
レオンはそれ以上何も言わず、ただ静かに俺の隣に座っていた。彼の灰色の瞳は、荒野を照らすヘッドライトの光を映し、その先に広がる闇をじっと見据えている。
俺の人生は、何の前触れもなく、この男によって根底から覆された。
これからどうなるのか。俺たちはどこへ向かうのか。
尋ねたいことは山ほどあるのに、言葉にならない。俺がただ戸惑いの視線を向けると、レオンはそれに気づいたようだった。
「今は何も考えるな」
彼は、まるで俺の心を読むように言った。
「俺たちが向かうのは、お前を『資源』ではなく、一人の人間として扱ってくれる場所だ」
一人の、人間。
その言葉が、胸の奥で小さく反響する。
車両は、文明の光が届かない本物の荒野を突き進んでいく。俺は窓の外に広がる無限の闇を見つめながら、自分の人生が、初めて自分の知らない場所で「始まった」ことを、静かに予感していた。
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