オメガの僕が、最後に恋をした騎士は冷酷すぎる

虹湖🌈

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第一章 オメガの僕が、最後に恋をした騎士は冷酷すぎる

第4話 災厄の石礫(いしつぶて)

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 太陽が昇ると、荒野はその本当の姿を現した。
 どこまでも続く錆色の砂と、風に削られた奇妙な形の岩。空はあまりにも青く、そして高く、俺が知っていた偽物の空とは比べ物にならないほどの無限の広がりを持っていた。

「すごい……」

 俺は窓に額を押し付けんばかりにして、生まれて初めて見る地平線に見入っていた。すべてが新しく、すべてが衝撃的だった。レオンはそんな俺をミラー越しに一瞥すると、前を向いたまま言った。

「感心するのはいいが、油断はするな。この荒野にも、人間を喰らう獣も、人間を襲う人間もいる」
「……はい」
「水と燃料が心許ない。二時間ほど進んだ先にあるオアシス都市に寄る。補給が済み次第、すぐに出発だ」

 オアシス都市。その言葉の響きに、俺の胸はかすかに高鳴った。人が、暮らしている場所。俺は研究員とレオン以外の人間に、ほとんど会ったことがない。

 やがて、陽炎の向こうに、緑の影が見えてきた。近づくにつれ、それが巨大な岩壁にへばりつくように築かれた、城砦のような街だと分かる。
 街の入り口は粗末なバリケードで塞がれ、武装した門番たちが俺たちの車両を鋭い目つきで睨んでいた。

「何の用だ、よそ者」
「西へ向かうキャラバンだ。水と燃料を分けてもらいたい。対価はここにある」

 レオンは車から降りると、携行していた薬品や精密機器の部品をいくつか提示した。門番は疑わしげに品を検分し、仲間と何か言葉を交わした末、渋々といった様子でバリケードを開けた。

「騒ぎを起こすなよ。何かあれば、お前たちの骨もこの砂漠の肥やしだ」
「承知している」

 無機質なやり取り。街の中に一歩足を踏み入れた瞬間、俺は息を呑んだ。
 そこには、生活の匂いがあった。
 日干しレンガの家々がひしめき合い、狭い路地では子供たちが埃にまみれて駆け回っている。香辛料の混じった不思議な匂い、人々の話し声、どこかから聞こえる鍛冶の音。すべてが、無菌室で育った俺の五感を激しく揺さぶった。

「すごい……人が、生きてる……」
「ここは外界の数少ない中継点だ。だが、よそ者への警戒心は強い。特に、お前は目立つ」

 レオンの言う通りだった。俺たちが通りを歩くと、人々の視線が突き刺さる。それは好奇心だけではない。何かを値踏みするような、あるいは、得体の知れないものを警戒するような、複雑な色を帯びていた。俺の性(さが)であるオメガの気配を、彼らは本能で感じ取っているのかもしれない。

 レオンは街の隅にある安宿の一室を確保すると、俺に固く言い渡した。
「俺が補給を済ませてくる。一時間もかからん。いいか、アキ。何があっても、絶対にここから出るな」
「……うん。わかった」

 頷いたものの、俺の心はざわついていた。窓の外から聞こえてくる子供たちのはしゃぎ声が、俺を誘う。ほんの少しだけ。外の空気を吸うくらいなら、大丈夫だろうか。
 その甘い考えが、間違いだった。

 俺は宿の裏口から、そっと外に出た。壁に寄りかかり、街の喧騒に耳を澄ませる。それは、俺が決して手にすることのできない、温かい日常の音だった。
 その時、路地の向こうでボール遊びをしていた子供の一人が、俺に気づいた。

「……あ」

 子供の動きが止まる。その大きな瞳が、俺の姿を捉えて離さない。やがて、その子は怯えと好奇心が混じった声で、ぽつりと呟いた。

「……オメガ、だ……」

 その一言が、引き金だった。
 一人、また一人と、人々がこちらに気づき始める。遠巻きに俺を指さし、ひそひそと囁き合う声が、悪意の波となって押し寄せてきた。

「見ろ、男のオメガなんて……本当だったのか」
「疫病神だ! あいつがいるから、権力者どもが争いを起こすんだ!」
「災厄を運んでくるぞ! この街から叩き出せ!」

 違う。俺は何もしていない。
 そう叫びたかったが、喉が張り付いて声が出ない。後ずさる俺を取り囲むように、人々の輪がじりじりと狭まっていく。その目には、昨日までの俺に向けられていた研究員たちの無機質な視線とは違う、生々しい憎悪と恐怖が渦巻いていた。

「お前さえいなければ、俺の息子は戦争で死なずに済んだんだ!」

 老婆の甲高い声が響き、次の瞬間、乾いた衝撃が俺の左腕を襲った。
 老婆が投げつけた石だった。

「……いっ……!」

 鈍い痛みが、腕から全身に広がる。だが、それよりも心が痛かった。ひび割れた心の隙間に、冷たい絶望が再び流れ込んでくる。
 ああ、やっぱりそうなんだ。
 俺なんて、いない方がいい。俺が生きているだけで、誰かを不幸にする。〈エデン・ドーム〉から逃げ出しても、結局何も変わらないじゃないか。

 涙が溢れ、視界が歪む。誰かが、また石を振り上げたのが見えた。
 もう、どうなってもいい。そう思った時だった。

「――そこまでだ」

 地を這うような低い声が響き、俺の前に黒い影が立ちはだかった。レオンだった。その全身から放たれる殺気にも似た怒りに、あれほど騒がしかった群衆が水を打ったように静まり返る。

「この者に指一本でも触れてみろ。全員、砂に還す」

 レオンはそれだけ言うと、怯える俺の身体を腕で抱きかかえるようにして、宿へと引き返した。背後で罵声が再び浴びせられたが、もう俺の耳には届かなかった。

 部屋に戻るなり、俺は膝から崩れ落ちた。
 腕の痛みに耐えながら、声を殺して泣いた。熱い涙が、次から次へと溢れて止まらない。

「やっぱり……俺なんて、死んだ方が……いいんだ……っ」
「……」
「俺がいるから……みんな不幸になる……。施設にいた方が、まだ……っ」

 レオンは何も言わず、黙って救急キットを取り出した。そして、俺の腕の傷を、驚くほど優しい手つきで消毒し、手際よく包帯を巻いていく。その沈黙が、かえって俺を惨めにさせた。

 治療を終えたレオンが、俺の濡れた頬を乱暴に拭った。そして、静かに、しかし腹の底に響くような力強い声で言った。

「違う」

 顔を上げると、レオンの灰色の瞳が、すぐ間近で俺を射抜いていた。

「お前が生きることは、この世界が続くことだ。お前の存在は、人類がまだ未来を諦めていないという、最後の証なんだ」
「でも……っ!」
「諦めたい奴らには、そうさせておけ。だが、俺は諦めない。お前を諦めない」

 その言葉は、命令でも説得でもなかった。
 それは、レオンという人間の、揺るぎない覚悟そのものだった。
 俺は何も言い返せず、ただ彼の強い瞳を見つめながら、涙を流し続けた。「死にたい」と叫ぶ絶望と、彼の言葉が灯した「生きてもいいのかもしれない」という小さな希望の光の間で、俺の心は激しく引き裂かれていた。
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