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第一章 オメガの僕が、最後に恋をした騎士は冷酷すぎる
第5話 騎士の誓い
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レオンの言葉は、まるで錨(いかり)だった。
絶望という嵐に飲み込まれそうになっていた俺の心を、激しい揺れの底で、ぐっと繋ぎ止めてくれる。涙はまだ止まらなかったが、それはもう、ただ悲しいだけの涙ではなかった。
「……行くぞ」
俺が少し落ち着いたのを見計らい、レオンが静かに立ち上がった。その声は普段通りの低く、感情の読めない響きに戻っている。
「こんな場所に長居は無用だ。連中がドームに通報しないとも限らん」
「……うん」
「腕は痛むか?」
「……大丈夫」
彼は俺の短い返事を聞くと、それ以上は何も言わず、手早く出発の準備を始めた。その背中を見ながら、俺はまだ熱を持っている自分の腕にそっと触れた。包帯の下の傷よりも、レオンの言葉が刻まれた心の方が、ずっと熱く、そして痛かった。
夜の闇に紛れてオアシス都市を抜け出すのは、思ったよりも簡単だった。昼間の敵意に満ちた視線は影を潜め、人々は固く扉を閉ざして息を殺している。彼らにとって俺たちは、関わり合いたくない災厄そのものなのだろう。
再び、装甲車両の中は二人だけの世界になった。
荒野を走り出すと、先ほどまでの気まずさは嘘のように消え、奇妙な静けさが車内を支配していた。それは、共に危地を乗り越えた者同士だけが共有できる、かすかな連帯感のようなものかもしれなかった。
「……あの、レオンさん」
俺から話しかけたのは、これが初めてだったかもしれない。
「ん」
「どうして……あなたほどの人が、そこまでして俺を助けるんですか? 『未来を託された』って……一体、誰に?」
それは、ずっと胸の奥につかえていた問いだった。彼を動かすものの正体を知りたかった。
レオンはハンドルを握る手に力を込めたのが分かった。しばらくの沈黙の後、彼は前方の闇を見据えたまま、重い口を開いた。
「俺のかつての上官だ」
その声は、夜の荒野のように、深く静かだった。
「……そして、あの忌々しい不妊化ウイルスの研究における、数少ない良心的な科学者でもあった」
語られたのは、俺の知らないレオンの過去だった。
彼の上官は、オメガを「資源」として管理し、繁殖の道具としか見なさない政府の方針に真っ向から反対していたらしい。
「あの方は言っていた。『オメガは人類の希望だ。だがそれは、繁殖能力のことだけを指すのではない。多様性を失い、画一的な価値観に陥った人類が、再び他者を愛し、尊ぶ心を取り戻すための最後の希望なのだ』と」
レオンの声には、その上官への深い尊敬の念が滲んでいた。
「当然、その思想は権力者たちに危険視された。結果、あの方は研究施設での『不慮の事故』で命を落とし、俺は騎士の任を解かれ、飼い殺しにされていた」
「……そんな……」
「死ぬ間際、あの方は俺に言ったんだ。『最後の希望を守ってくれ。それは、騎士として最高の栄誉だ』と。……俺は、その誓いを果たしているに過ぎん」
淡々とした口調だった。だが、その言葉の重みに、俺は息を詰めた。彼の行動は、単なる任務などではなかった。それは、亡き恩人との魂の約束であり、彼の生きる意味そのものだったのだ。
「俺は……そんな価値のある人間じゃ……」
思わず、か細い声が漏れた。石を投げつけられた時の痛みが、心の奥で再び疼く。
すると、レオンは苛立たしげに舌打ちをした。
「いい加減にしろ。価値は他人が決めるものじゃない。お前自身が、これから見つけ出すんだ」
強い言葉だった。だが、不思議と冷たくは感じなかった。
「……俺が、見つける……?」
「そうだ。お前はこれからどうしたい? 何が見たい? どこへ行きたい? まずはそこから考えろ」
どうしたいかなんて、考えたこともなかった。
俺がその問いに答えられずにいると、不意に、レオンの表情が鋼のように硬くなった。彼はバックミラーを睨みつけ、その全身から緊張の気が立ち上る。
「どうしたんですか……?」
俺が尋ねると、レオンは低い声で唸った。
「……追っ手だ。ドームの連中か、あるいは……もっとたちの悪い奴らか」
言われて、俺も車両の後方を振り返った。
暗闇の地平線に、豆粒のような光がいくつか見えた。それは猛烈な速度で砂塵を巻き上げながら、まっすぐにこちらへ向かってきている。
「まずいな……」
レオンはアクセルを床まで踏み込んだ。エンジンが咆哮を上げ、車体が激しく揺れる。俺は必死にシートに身体を押し付けた。
「舌を噛むなよ、アキ!」
心臓が早鐘を打つ。
後方の光点は、瞬く間にその数を増やし、俺たちを包囲しようとしているのが分かった。それは、ただの追跡ではなかった。獲物を追い詰める狩人のような、明確な殺意が、闇の向こうからひしひしと伝わってくる。
「奴ら、警告もなしに撃ってきやがった!」
レオンが叫んだ直後、俺たちの車両のすぐ脇の地面が閃光と共に爆ぜた。
衝撃と轟音。これは、〈エデン・ドーム〉の警備兵などではない。もっと凶悪で、躊躇のない、プロの暗殺者集団だ。
絶望的な状況に、俺は唇を噛みしめた。
ようやく見つけた、ほんの小さな希望の光が、またしても暴力的な闇に飲み込まれようとしていた。
絶望という嵐に飲み込まれそうになっていた俺の心を、激しい揺れの底で、ぐっと繋ぎ止めてくれる。涙はまだ止まらなかったが、それはもう、ただ悲しいだけの涙ではなかった。
「……行くぞ」
俺が少し落ち着いたのを見計らい、レオンが静かに立ち上がった。その声は普段通りの低く、感情の読めない響きに戻っている。
「こんな場所に長居は無用だ。連中がドームに通報しないとも限らん」
「……うん」
「腕は痛むか?」
「……大丈夫」
彼は俺の短い返事を聞くと、それ以上は何も言わず、手早く出発の準備を始めた。その背中を見ながら、俺はまだ熱を持っている自分の腕にそっと触れた。包帯の下の傷よりも、レオンの言葉が刻まれた心の方が、ずっと熱く、そして痛かった。
夜の闇に紛れてオアシス都市を抜け出すのは、思ったよりも簡単だった。昼間の敵意に満ちた視線は影を潜め、人々は固く扉を閉ざして息を殺している。彼らにとって俺たちは、関わり合いたくない災厄そのものなのだろう。
再び、装甲車両の中は二人だけの世界になった。
荒野を走り出すと、先ほどまでの気まずさは嘘のように消え、奇妙な静けさが車内を支配していた。それは、共に危地を乗り越えた者同士だけが共有できる、かすかな連帯感のようなものかもしれなかった。
「……あの、レオンさん」
俺から話しかけたのは、これが初めてだったかもしれない。
「ん」
「どうして……あなたほどの人が、そこまでして俺を助けるんですか? 『未来を託された』って……一体、誰に?」
それは、ずっと胸の奥につかえていた問いだった。彼を動かすものの正体を知りたかった。
レオンはハンドルを握る手に力を込めたのが分かった。しばらくの沈黙の後、彼は前方の闇を見据えたまま、重い口を開いた。
「俺のかつての上官だ」
その声は、夜の荒野のように、深く静かだった。
「……そして、あの忌々しい不妊化ウイルスの研究における、数少ない良心的な科学者でもあった」
語られたのは、俺の知らないレオンの過去だった。
彼の上官は、オメガを「資源」として管理し、繁殖の道具としか見なさない政府の方針に真っ向から反対していたらしい。
「あの方は言っていた。『オメガは人類の希望だ。だがそれは、繁殖能力のことだけを指すのではない。多様性を失い、画一的な価値観に陥った人類が、再び他者を愛し、尊ぶ心を取り戻すための最後の希望なのだ』と」
レオンの声には、その上官への深い尊敬の念が滲んでいた。
「当然、その思想は権力者たちに危険視された。結果、あの方は研究施設での『不慮の事故』で命を落とし、俺は騎士の任を解かれ、飼い殺しにされていた」
「……そんな……」
「死ぬ間際、あの方は俺に言ったんだ。『最後の希望を守ってくれ。それは、騎士として最高の栄誉だ』と。……俺は、その誓いを果たしているに過ぎん」
淡々とした口調だった。だが、その言葉の重みに、俺は息を詰めた。彼の行動は、単なる任務などではなかった。それは、亡き恩人との魂の約束であり、彼の生きる意味そのものだったのだ。
「俺は……そんな価値のある人間じゃ……」
思わず、か細い声が漏れた。石を投げつけられた時の痛みが、心の奥で再び疼く。
すると、レオンは苛立たしげに舌打ちをした。
「いい加減にしろ。価値は他人が決めるものじゃない。お前自身が、これから見つけ出すんだ」
強い言葉だった。だが、不思議と冷たくは感じなかった。
「……俺が、見つける……?」
「そうだ。お前はこれからどうしたい? 何が見たい? どこへ行きたい? まずはそこから考えろ」
どうしたいかなんて、考えたこともなかった。
俺がその問いに答えられずにいると、不意に、レオンの表情が鋼のように硬くなった。彼はバックミラーを睨みつけ、その全身から緊張の気が立ち上る。
「どうしたんですか……?」
俺が尋ねると、レオンは低い声で唸った。
「……追っ手だ。ドームの連中か、あるいは……もっとたちの悪い奴らか」
言われて、俺も車両の後方を振り返った。
暗闇の地平線に、豆粒のような光がいくつか見えた。それは猛烈な速度で砂塵を巻き上げながら、まっすぐにこちらへ向かってきている。
「まずいな……」
レオンはアクセルを床まで踏み込んだ。エンジンが咆哮を上げ、車体が激しく揺れる。俺は必死にシートに身体を押し付けた。
「舌を噛むなよ、アキ!」
心臓が早鐘を打つ。
後方の光点は、瞬く間にその数を増やし、俺たちを包囲しようとしているのが分かった。それは、ただの追跡ではなかった。獲物を追い詰める狩人のような、明確な殺意が、闇の向こうからひしひしと伝わってくる。
「奴ら、警告もなしに撃ってきやがった!」
レオンが叫んだ直後、俺たちの車両のすぐ脇の地面が閃光と共に爆ぜた。
衝撃と轟音。これは、〈エデン・ドーム〉の警備兵などではない。もっと凶悪で、躊躇のない、プロの暗殺者集団だ。
絶望的な状況に、俺は唇を噛みしめた。
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