笑顔が苦手な元公爵令嬢ですが、路地裏のパン屋さんで人生やり直し中です。~「悪役」なんて、もう言わせない!~

虹湖🌈

文字の大きさ
90 / 96
陽だまりのアトリエと、小さな麦の穂 〜守り神と育む、家族のレシピ〜

第90話 心の勝利と、王都一の合格宣言

しおりを挟む
 審査員長は、フィオナの「陽だまりブレッド」を、まるで失われた宝物のように両手で大切に抱えていた。彼の目元には、先ほど拭い去ったばかりの涙の跡が、未だ乾いていない。
 彼は、静かに、しかし威厳のある声で、大広間に集まった全ての人々に向かって語りかけた。
「ドクター・ヴァーノン氏のパンは、人類の飢餓を救う『資源』として、確かに優れている。その科学的技術は、疑いようもなく未来を約束するものです」

 審査員長は、そこで言葉を切ると、フィオナのパンを見つめた。
「だが、フィオナ・フォン・シルフィード殿のパンは、その『資源』とは、根本的に価値を異にする。それは、一口食べた者に、自己の最も温かい記憶を呼び覚まし、分け合う喜びと、生きる力を与える」

 彼の視線は、壇上のフィオナへと注がれた。
「食とは、ただ栄養を摂取する行為ではない。それは、心に灯る火であり、孤独を癒やす温もりである。貴殿のパンには、その全てが詰まっている。貴殿がこのパンを通じて証明したのは、『管理された秩序(科学)』ではなく、『家族の愛と絆』がもたらす、自由な生命の輝きの勝利である」

 審査員長は、その場で恭しく頭を下げた。
「よって、我々審査員団は、フィオナ・フォン・シルフィード殿が焼き上げたこのパンに、本催しの最高の栄誉である『王家特別賞』を、満場一致で授与いたします!」

 大広間は、一瞬の静寂の後、堰を切ったような万雷の拍手に包まれた。それは、フィオナが過去の屈辱の舞台で、悪役令嬢の汚名を、王都一のパン職人の誇りによって、完全に清算した勝利の喝采だった。

 ---

「ば、馬鹿な!ありえない!感傷などという非科学的なものが、我々の完璧な理論を凌駕するなど――!」
 ドクター・ヴァーノンの完璧な理知の仮面は完全に崩壊し、彼は血の気の引いた顔で、自らの敗北を信じられないといった様子で立ち尽くした。

 そのヴァーノンの背後から、一人の男が、まるで影のように壇上へと上がってきた。グレイ・ベルモンド。かつて、娘を失った悲しみから、アルトの力を「人類の未来の礎」として奪おうとした、逃亡科学者だ。彼は、ヴァーノンの敗北を見届けに来たのだろう。その瞳は、科学的敗北に対する怒りと、自身の深い「喪失」の影で、悲壮に歪んでいた。

「フィオナ・ヴィルヘルム! 貴様は、自分の幸せのために、世界から目を逸らしているだけだ!理不尽に奪われた命を、君は結局、救えないだろうが!」

 グレイの悲痛な叫びが、広場の歓喜を切り裂いた。

 その時。フィオナの腕の中で、アルトが、グレイをじっと見つめていた。アルトは、グレイの全身からあふれる「深い悲しみと、泣いている心」を、誰よりも純粋な共感力で感じ取っていた。

 アルトは、フィオナの胸元に抱かれていた、試食の残りである不格好なパンのひとかけらを、小さな手で掴んだ。そして、グレイの前に、おそるおそる差し出した。
「……おじちゃん。これ、あげる。かなしい、かなしいの、ね?」

 アルトの幼く、しかし残酷なまでに真実を突く言葉と、その不格好な「家族のパン」に、グレイの全身を支えていた復讐の狂気が、音を立てて崩れ落ちた。彼は、その場で膝から崩れ落ち、嗚咽を漏らした。

 ---

「グレイ・ベルモンド氏の件は、後に改めて裁きを下す」
 玉座から、国王陛下に促されたライアス王太子が、ゆっくりと立ち上がった。彼の碧眼は、フィオナと、そして泣き崩れるグレイを、交互に見つめた。

 ライアスは、かつてフィオナに婚約破棄を宣言した、あの冷酷な王太子ではない。彼は、深呼吸をすると、壇上へ歩み寄った。そして、フィオナの目の前で、跪き、深く頭を下げた。
「フィオナ・ヴィルヘルム。いや、フィオナ」

 その呼び方は、親しみを込めた「フィオナ」に変わっていた。
「私は、君の尊厳を、そして誇りを、かつて踏みにじった。その罪は、償いきれるものではないと分かっている。だが、ここで、公の場で、君の勝利を承認する責務がある」

 ライアスは、アルトを見つめた。
「アルト君の『生命活性化能力』は、確かに人類にとって大きな力だ。だが、それは資源ではない。そして、君の家族の絆は、いかなる王立アカデミーの管理下にも置かれない」

 ライアスは、大広間全体に響き渡る声で、力強く宣言した。
「ヴィルヘルム公爵家元令嬢、フィオナ・ヴィルヘルム。そして、彼女のパン屋『アトリエ・フィオナ』は、王都一のパン屋として、文句なしの――合格だ!」

 それは、かつて婚約破棄の場で、フィオナの全てを否定した王太子が、今、彼女の新しい人生の全てを、王国の権威をもって承認した瞬間だった。

 ---

「お嬢様、この度の快挙、誠におめでとうございます!」
 フィオナは、馬車の中で、マルセルが用意した温かいハーブティーを口にした。隣では、エリィが興奮しきって、フィオナの胸元にあるお守りを握りしめている。

「これで、アルト様はアカデミー強硬派の支配から完全に解放されました。そして、グレイ・ベルモンド氏は、アカデミーの管理下で、生命を『救う』ための研究に生涯を捧げることが決定したそうです」

「よかった……」フィオナは、心から安堵した。グレイの悲しみが、報われる道を見つけられたのだ。

 路地裏のパン屋への帰還。フィオナは、王家からの爵位や莫大な褒賞の提案を、全て丁重に辞退するつもりだった。
 彼女の宝物は、この王宮の冷たい輝きの中にはない。それは、夫ルーカス、息子アルト、そして守り神ホズネが待つ、あの路地裏の陽だまりにこそあるのだ。

 馬車が揺れるたび、フィオナの胸の中では、愛と絆の証である「陽だまりブレッド」が、温かい生命の香りを放ち続けていた。彼女の人生は、この日、新たな希望の光に照らされ、大きく、そして温かく動き始める。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】私を捨てた皆様、どうぞその選択を後悔なさってください 〜婚約破棄された令嬢の、遅すぎる謝罪はお断りです〜

くろねこ
恋愛
王太子の婚約者として尽くしてきた公爵令嬢エリシアは、ある日突然、身に覚えのない罪で断罪され婚約破棄を言い渡される。 味方だと思っていた家族も友人も、誰一人として彼女を庇わなかった。 ――けれど、彼らは知らなかった。 彼女こそが国を支えていた“本当の功労者”だったことを。 すべてを失ったはずの令嬢が選んだのは、 復讐ではなく「関わらない」という選択。 だがその選択こそが、彼らにとって最も残酷な“ざまぁ”の始まりだった。

【完結】婚約破棄された辺境伯爵令嬢、氷の皇帝に溺愛されて最強皇后になりました

きゅちゃん
ファンタジー
美貌と知性を兼ね備えた辺境伯爵令嬢エリアナは、王太子アレクサンダーとの婚約を誇りに思っていた。しかし現れた美しい聖女セレスティアに全てを奪われ、濡れ衣を着せられて婚約破棄。故郷に追放されてしまう。 そんな時、隣国の帝国が侵攻を開始。父の急死により戦場に立ったエリアナは、たった一人で帝国軍に立ち向かうことにー 辺境の令嬢がどん底から這い上がる、最強の復讐劇が今始まる!

処刑前夜に逃亡した悪役令嬢、五年後に氷の公爵様に捕まる〜冷徹旦那様が溺愛パパに豹変しましたが私の抱いている赤ちゃん実は人生2周目です〜

放浪人
恋愛
「処刑されるなんて真っ平ごめんです!」 無実の罪で投獄された悪役令嬢レティシア(中身は元社畜のアラサー日本人)は、処刑前夜、お腹の子供と共に脱獄し、辺境の田舎村へ逃亡した。 それから五年。薬師として穏やかに暮らしていた彼女のもとに、かつて自分を冷遇し、処刑を命じた夫――「氷の公爵」アレクセイが現れる。 殺される!と震えるレティシアだったが、再会した彼は地面に頭を擦り付け、まさかの溺愛キャラに豹変していて!? 「愛しているレティシア! 二度と離さない!」 「(顔が怖いです公爵様……!)」 不器用すぎて顔が怖い旦那様の暴走する溺愛。 そして、二人の息子であるシオン(1歳)は、実は前世で魔王を倒した「英雄」の生まれ変わりだった! 「パパとママは僕が守る(物理)」 最強の赤ちゃんが裏で暗躍し、聖女(自称)の陰謀も、帝国の侵略も、古代兵器も、ガラガラ一振りで粉砕していく。

私を追放した王子が滅びるまで、優雅にお茶を楽しみますわ

タマ マコト
ファンタジー
王国の茶会の場で、マリアンヌは婚約者である王子アレクシスから突然の婚約破棄を告げられる。 理由は「民に冷たい」という嘘。 新しい聖女リリアの策略により、マリアンヌは「偽りの聖女」として追放される。 だがマリアンヌは涙を見せず、静かに礼をしてその場を去る。 辺境の地で彼女は小さな館を構え、「静寂の館」と名づけ、紅茶と共に穏やかな日々を過ごし始める。 しかし同時に、王都では奇跡が失われ、作物が枯れ始めていた――。

虚弱体質?の脇役令嬢に転生したので、食事療法を始めました

たくわん
恋愛
「跡継ぎを産めない貴女とは結婚できない」婚約者である公爵嫡男アレクシスから、冷酷に告げられた婚約破棄。その場で新しい婚約者まで紹介される屈辱。病弱な侯爵令嬢セラフィーナは、社交界の哀れみと嘲笑の的となった。

断罪される前に市井で暮らそうとした悪役令嬢は幸せに酔いしれる

葉柚
恋愛
侯爵令嬢であるアマリアは、男爵家の養女であるアンナライラに婚約者のユースフェリア王子を盗られそうになる。 アンナライラに呪いをかけたのはアマリアだと言いアマリアを追い詰める。 アマリアは断罪される前に市井に溶け込み侯爵令嬢ではなく一市民として生きようとする。 市井ではどこかの王子が呪いにより猫になってしまったという噂がまことしやかに流れており……。

【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました

いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。 子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。 「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」 冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。 しかし、マリエールには秘密があった。 ――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。 未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。 「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。 物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立! 数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。 さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。 一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて―― 「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」 これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、 ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー! ※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。

婚約破棄のその場で転生前の記憶が戻り、悪役令嬢として反撃開始いたします

タマ マコト
ファンタジー
革命前夜の王国で、公爵令嬢レティシアは盛大な舞踏会の場で王太子アルマンから一方的に婚約を破棄され、社交界の嘲笑の的になる。その瞬間、彼女は“日本の歴史オタク女子大生”だった前世の記憶を思い出し、この国が数年後に血塗れの革命で滅びる未来を知ってしまう。 悪役令嬢として嫌われ、切り捨てられた自分の立場と、公爵家の権力・財力を「運命改変の武器」にすると決めたレティシアは、貧民街への支援や貴族の不正調査をひそかに始める。その過程で、冷静で改革派の第二王子シャルルと出会い、互いに利害と興味を抱きながら、“歴史に逆らう悪役令嬢”として静かな反撃をスタートさせていく。

処理中です...