婚約破棄された令嬢、隣国の暴君王に溺愛されてますが?

ゆっこ

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 侍女の報せを受けて、私は夜の王宮を駆け抜けていた。

「……まったく、どうしてこうなるのよ……」

 月明かりが石畳を照らし、足元が白く浮かぶ。通されたのは応接の間。重厚な扉の向こうから聞こえる、男たちの怒声が私の心をざわつかせた。

 扉を開いた瞬間――。

「俺の女に手紙をよこした時点で、礼儀も外交も地に落ちたものだな、アルベルト王太子殿下?」

「君こそ、ヴァルディアの王ともあろう者が、我が王国の令嬢を囲い込むなど外交違反ではないか!」

 二人の男が、鋭く視線を交わしていた。

 一人は、隣国ヴァルディアの若き暴君、レオナルド。
 もう一人は、私の元婚約者、アルベルト。

「……アルベルト様」

 思わず、名を口にしてしまった。

 その声に反応するように、彼が振り返る。そして目を見開いた。

「クラリス……本当に、ここにいたのか……」

「……久しぶりですね、殿下」

 皮肉のひとつでも言ってやればいいのに、口調はどうしても丁寧になってしまう。長年、婚約者として振る舞ってきた名残だろうか。

 アルベルトは一歩近づき、困ったような顔で言った。

「こんな危険な国に、どうして……いや、そんな話ではない。クラリス。君を迎えに来た。戻ってきてくれ」

「……は?」

 その言葉に、私もレオナルドも同時に眉をひそめた。

「戻ってきてくれって……あなた、私を婚約破棄したのよ?」

「それは、私の間違いだった。マリアが聖女と崇められるにつれて、周囲の期待に流されてしまった。だが……私は、ずっと君のことが……」

 言い終える前に、レオナルドがずかずかと歩み寄ってきた。

「……触れるな」

 低く、冷たい声。

「クラリスは、俺の妃だ」

「まだ正式にそう決まったわけでは――!」

 その瞬間、レオナルドの腕が私の腰を引き寄せた。

 驚いて声を上げる間もなく、彼の唇が私のそれに重なった。

「……っ!?」

 温かく、深く、けれども支配的なキスだった。

 驚きで身体が固まったまま、私は目を見開いていた。まるで意識が彼の唇に引きずり込まれていくようで、息ができない。

 やがて、唇が離れると、レオナルドはゆっくりと言った。

「もう、誰にも譲る気はない。……俺だけを見ていろ、クラリス」

 言葉は甘く優しく、けれどその裏に潜む嫉妬と独占欲は、剣より鋭かった。

 対するアルベルトは、顔を強ばらせていた。怒りとも、動揺ともつかない表情。

「クラリス……君は、それでいいのか?」

「……っ」

 思わず、視線を逸らしてしまった。

 アルベルトは、確かに私を傷つけた。だけど、今こうして目の前に立たれると、過去の思い出が一気に胸に押し寄せてくる。

 初めて笑い合った舞踏会。
 手をつないで歩いた庭園。
 交わした将来の夢。

 どれも、偽りだったと思いたくなかった。

 でも、今の私は……。

「私は……」

「……答えなくていい、クラリス」

 レオナルドの声が、私の肩を包むようにかけられる。

「迷うのは当然だ。だが、どれだけ揺れてもいい。俺は、揺らがない」

「……っ」

 胸がきゅっと痛む。

 この人は、いつも強引で、自己中心的で、でも――いつも真っ直ぐだった。

「……陛下、王太子殿下、お二人とも。ここで争うことは、私の本意ではありません」

 私は少し距離をとり、二人を見た。

「あなた方が、どんなに私を囲い込みたくても、最後に決めるのは私です。勝手に所有物のように扱わないでください」

 そう言い切ると、どちらも一瞬、口をつぐんだ。

 やがて、レオナルドがぽつりと言った。

「……なるほど。君が好きな理由が、また一つ増えたな」

 アルベルトも視線を逸らしながら、静かにうなずいた。

「……すまなかった、クラリス。あの頃の僕は、君の本当の価値に気づいていなかった」

 場の空気が、少しだけ和らいだそのとき――

 扉がもう一度、静かに開いた。

「……あら。もう“キスの現場”は終わってしまったかしら?」

 響いたのは、女の声。

 現れたのは、金の巻き髪を揺らしながら、勝ち誇ったように微笑む――聖女マリアだった。

「マリア……なぜ、ここに」

 アルベルトが動揺したように問うが、マリアは軽く肩をすくめただけだった。

「殿下が“元婚約者を迎えに行く”と言って出ていったきり帰らないから、心配になって」

 その瞳が、私をじっと射抜く。

「……でも、安心したわ。やっぱり、あなたは“王妃の器”じゃないもの」

「……言いたいことはそれだけ?」

 私の声に、マリアはくすりと笑った。

「いいえ。あなたには、ちゃんと“引導”を渡しに来たの。これ以上、アルベルト様に近づくなら――あなたが隣国にいることを、王都中に広めるわ。どれだけ“はしたない女”か、皆に知らせるの」

 脅迫。それは、あからさまだった。

 でも、私は一歩も引かなかった。

「好きにすれば? 噂で私を傷つけることはできても、私の心までは奪えない」

 そう言うと、マリアの顔にわずかに焦りが走った。

 ――ああ、そうか。

 私は気づいた。

 この人もまた、焦っている。失うことを恐れているのは、マリアも同じだ。

 そう思った瞬間、レオナルドが私の肩に手を置いた。

「クラリス。部屋に戻るぞ」

「……ええ」

 扉を開ける直前、アルベルトがぽつりと呟いた。

「まだ、諦めない。僕は……君を、もう一度迎えに来る」

 その言葉は、レオナルドの背中越しに突き刺さった。

 でも、彼は振り返らなかった。

 その代わり――

 部屋に戻った途端、私の腕を壁際に押しやって、そっと囁いた。

「……もう、次は我慢しないかもしれない」

「れ、レオナルド……?」

 彼の手が頬を包む。

「君の心が、少しでもあの男に揺れたなら……その分だけ、俺が深く抱きしめるしかない」

 ――また、あのキスが来る。

 強くて、熱くて、甘すぎて、私の理性を溶かしてしまうような――。

 でも、私はまだ――。

 まだ、自分の気持ちに答えを出せずにいた。
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