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隣国の王家の紋章が押された封書を前に、私はしばし考え込んでいた。
文面は簡潔で、しかし含みがある。
『アリシア・ヴァレンシュタイン嬢。近日中に密会を願いたい』
署名は隣国グランツ王国の王太子、フェリクス・フォン・グランツ。
名を知らぬ者はいない。若くして政務を担い、才覚を示す切れ者。冷徹だが民思い、と評判の人物。
「……ふむ」
もしこの誘いに応じれば、私は国内でさらに立場を危うくするかもしれない。
けれど同時に、国外からの庇護を得られる可能性でもある。
そんな葛藤を抱えながらも、心の奥では妙な胸の高鳴りを覚えていた。
運命の筋書きから外れ、未知の道を歩んでいるという実感。それが恐ろしくもあり、どこか心地よかった。
翌朝、私はヴィルフリート様に呼び止められた。
「昨夜、封書を受け取られましたね」
淡々とした声。だがその瞳は鋭く、すでに全てを知っていることを示していた。
「やはり……隠し通せませんわね」
「隣国からの接触は、こちらにとっても一大事です。彼らがなぜ今あなたに興味を示したのか……見極める必要があります」
「危険だと思われますか?」
「もちろん。しかし、同時に好機でもある」
ヴィルフリート様は眼鏡を押し上げ、静かに続ける。
「もしフェリクス殿下があなたを庇護する意志を示せば、王太子殿下は完全に孤立する。……これは、国の勢力図を塗り替える一手になるでしょう」
彼の言葉は冷徹で現実的。
けれど私を「駒」としてだけ見ているのではなく、その価値を正当に認めてくれていることが分かる。
「アリシア嬢、どうか私にお任せください。密会の場は私が整えます」
「……頼りにしておりますわ、ヴィルフリート様」
そう告げると、彼の口元がわずかに綻んだ。
普段冷ややかな彼の、ほんの小さな微笑み。
それだけで胸が温かくなる自分に気づき、慌てて視線を逸らした。
一方で、クラウス様も黙ってはいなかった。
「隣国の王太子と会うだと? 危険すぎる!」
夕刻、稽古場に呼び出された私は、彼の怒気を含んだ声を聞いた。
「万一お前に何かあれば……俺は耐えられん」
「ですが、機会でもありますわ」
「それでもだ!」
彼は拳を握りしめ、真剣な眼差しで私を見据えた。
その瞳には恐怖と焦燥、そして抑えきれぬ感情が滲んでいた。
「アリシア……俺はお前を失いたくない」
低く漏れた声に、胸が大きく震えた。
クラウス様の想いは、言葉以上に熱く、真摯に伝わってくる。
「……ご心配、痛み入ります」
私は微笑んで答えた。
「ですが、私は退きません。ここで怯んでしまえば、あの方々の思う壺ですから」
殿下とミリア嬢の顔が脳裏に浮かぶ。
彼らは必ずまた仕掛けてくる。その時、私に後ろ盾がなければ……。
クラウス様はしばらく黙り込んだ後、深く息を吐いた。
「ならばせめて、俺に護衛をさせてくれ。約束してくれ……一人で危険に踏み込まないと」
「……分かりました」
私は小さく頷いた。
その瞬間、彼の表情がふっと和らぎ、力強く微笑んだ。
数日後、密会の場が設けられた。
王都の外れにある古い修道院――表向きは廃墟だが、今も僅かに管理が行き届いている場所。
ヴィルフリート様の采配だろう、誰も近づかぬよう周到に根回しがなされていた。
私はクラウス様の護衛を伴い、夜陰に紛れて修道院へと向かった。
冷たい石畳を踏みしめ、静まり返った礼拝堂へ入ると――そこに待っていたのは、長身の青年。
「ようこそ、アリシア嬢」
漆黒の外套をまとい、金の髪を肩で流す青年が微笑んだ。
その瞳は鋭く、深い青。
隣国グランツ王国の王太子、フェリクス殿下であった。
「初めまして。突然の招待を受けていただき、感謝します」
「……ご挨拶が遅れました。アリシア・フォン・ヴァレンシュタインでございます」
優雅に一礼すると、フェリクス殿下は満足げに頷いた。
「あなたのことは以前から耳にしていましたよ。王国一の才女、そして今は『悪役令嬢』として断罪の標的となったお方だと」
「……皮肉な評判ですわね」
「しかし、私は真実を知りたい。――あなたがどのような女性なのか」
真っ直ぐな眼差しに、心臓が跳ねる。
その圧倒的な存在感は、王太子レオンハルト殿下とは比べものにならない。
「我が国は今、才ある者を求めています。もしあなたがこちらに来るなら……大いなる庇護と地位を保証しましょう」
その提案はあまりに魅力的だった。
処刑を望む自国に背を向け、隣国で新たな人生を歩む。
けれど同時に、それは逃亡でもある。
(私は――どうするべき?)
答えを出しかねていると、不意に背後から声がした。
「答えを急がせるな」
クラウス様が一歩前に出て、フェリクス殿下を睨みつけていた。
「アリシアは俺たちの国の人間だ。……勝手に奪わせはしない」
その瞬間、空気が張り詰める。
フェリクス殿下は興味深げに目を細め、口元に笑みを浮かべた。
「ほう。これはまた……頼もしい護衛だ」
静かな修道院に、三人の視線が交錯した。
一方その頃、王宮では。
レオンハルト殿下とミリア嬢が密かに集まっていた。
「アリシアが隣国と通じている……だと?」
「はい。噂が……侍女たちの間に広がっております」
ミリア嬢の声は震えていた。
しかし殿下の顔は怒りに歪み、拳を机に叩きつける。
「許せぬ! あの女、国外の勢力を引き込んで王座を狙うつもりか!」
「そ、そんな……でも、もしそうなら……」
「ミリア、心配するな。俺が必ずアリシアを失脚させる。今度こそ、逃がさぬ!」
炎のような怒りを燃やす王太子。
その声は、暗い執念へと変わりつつあった。
修道院での密会は続いた。
フェリクス殿下は巧みに言葉を操り、私に未来を描かせようとする。
一方、クラウス様は決して譲らず、私を守る壁となる。
そして――私はその狭間で、己の選択を迫られていた。
(この道を選べば、もう後戻りはできない。でも……)
胸の奥で、抑えきれぬ予感が高鳴っていた。
これはただの断罪劇では終わらない。
王国の未来をも左右する大きな渦が、いま動き出しているのだと――。
文面は簡潔で、しかし含みがある。
『アリシア・ヴァレンシュタイン嬢。近日中に密会を願いたい』
署名は隣国グランツ王国の王太子、フェリクス・フォン・グランツ。
名を知らぬ者はいない。若くして政務を担い、才覚を示す切れ者。冷徹だが民思い、と評判の人物。
「……ふむ」
もしこの誘いに応じれば、私は国内でさらに立場を危うくするかもしれない。
けれど同時に、国外からの庇護を得られる可能性でもある。
そんな葛藤を抱えながらも、心の奥では妙な胸の高鳴りを覚えていた。
運命の筋書きから外れ、未知の道を歩んでいるという実感。それが恐ろしくもあり、どこか心地よかった。
翌朝、私はヴィルフリート様に呼び止められた。
「昨夜、封書を受け取られましたね」
淡々とした声。だがその瞳は鋭く、すでに全てを知っていることを示していた。
「やはり……隠し通せませんわね」
「隣国からの接触は、こちらにとっても一大事です。彼らがなぜ今あなたに興味を示したのか……見極める必要があります」
「危険だと思われますか?」
「もちろん。しかし、同時に好機でもある」
ヴィルフリート様は眼鏡を押し上げ、静かに続ける。
「もしフェリクス殿下があなたを庇護する意志を示せば、王太子殿下は完全に孤立する。……これは、国の勢力図を塗り替える一手になるでしょう」
彼の言葉は冷徹で現実的。
けれど私を「駒」としてだけ見ているのではなく、その価値を正当に認めてくれていることが分かる。
「アリシア嬢、どうか私にお任せください。密会の場は私が整えます」
「……頼りにしておりますわ、ヴィルフリート様」
そう告げると、彼の口元がわずかに綻んだ。
普段冷ややかな彼の、ほんの小さな微笑み。
それだけで胸が温かくなる自分に気づき、慌てて視線を逸らした。
一方で、クラウス様も黙ってはいなかった。
「隣国の王太子と会うだと? 危険すぎる!」
夕刻、稽古場に呼び出された私は、彼の怒気を含んだ声を聞いた。
「万一お前に何かあれば……俺は耐えられん」
「ですが、機会でもありますわ」
「それでもだ!」
彼は拳を握りしめ、真剣な眼差しで私を見据えた。
その瞳には恐怖と焦燥、そして抑えきれぬ感情が滲んでいた。
「アリシア……俺はお前を失いたくない」
低く漏れた声に、胸が大きく震えた。
クラウス様の想いは、言葉以上に熱く、真摯に伝わってくる。
「……ご心配、痛み入ります」
私は微笑んで答えた。
「ですが、私は退きません。ここで怯んでしまえば、あの方々の思う壺ですから」
殿下とミリア嬢の顔が脳裏に浮かぶ。
彼らは必ずまた仕掛けてくる。その時、私に後ろ盾がなければ……。
クラウス様はしばらく黙り込んだ後、深く息を吐いた。
「ならばせめて、俺に護衛をさせてくれ。約束してくれ……一人で危険に踏み込まないと」
「……分かりました」
私は小さく頷いた。
その瞬間、彼の表情がふっと和らぎ、力強く微笑んだ。
数日後、密会の場が設けられた。
王都の外れにある古い修道院――表向きは廃墟だが、今も僅かに管理が行き届いている場所。
ヴィルフリート様の采配だろう、誰も近づかぬよう周到に根回しがなされていた。
私はクラウス様の護衛を伴い、夜陰に紛れて修道院へと向かった。
冷たい石畳を踏みしめ、静まり返った礼拝堂へ入ると――そこに待っていたのは、長身の青年。
「ようこそ、アリシア嬢」
漆黒の外套をまとい、金の髪を肩で流す青年が微笑んだ。
その瞳は鋭く、深い青。
隣国グランツ王国の王太子、フェリクス殿下であった。
「初めまして。突然の招待を受けていただき、感謝します」
「……ご挨拶が遅れました。アリシア・フォン・ヴァレンシュタインでございます」
優雅に一礼すると、フェリクス殿下は満足げに頷いた。
「あなたのことは以前から耳にしていましたよ。王国一の才女、そして今は『悪役令嬢』として断罪の標的となったお方だと」
「……皮肉な評判ですわね」
「しかし、私は真実を知りたい。――あなたがどのような女性なのか」
真っ直ぐな眼差しに、心臓が跳ねる。
その圧倒的な存在感は、王太子レオンハルト殿下とは比べものにならない。
「我が国は今、才ある者を求めています。もしあなたがこちらに来るなら……大いなる庇護と地位を保証しましょう」
その提案はあまりに魅力的だった。
処刑を望む自国に背を向け、隣国で新たな人生を歩む。
けれど同時に、それは逃亡でもある。
(私は――どうするべき?)
答えを出しかねていると、不意に背後から声がした。
「答えを急がせるな」
クラウス様が一歩前に出て、フェリクス殿下を睨みつけていた。
「アリシアは俺たちの国の人間だ。……勝手に奪わせはしない」
その瞬間、空気が張り詰める。
フェリクス殿下は興味深げに目を細め、口元に笑みを浮かべた。
「ほう。これはまた……頼もしい護衛だ」
静かな修道院に、三人の視線が交錯した。
一方その頃、王宮では。
レオンハルト殿下とミリア嬢が密かに集まっていた。
「アリシアが隣国と通じている……だと?」
「はい。噂が……侍女たちの間に広がっております」
ミリア嬢の声は震えていた。
しかし殿下の顔は怒りに歪み、拳を机に叩きつける。
「許せぬ! あの女、国外の勢力を引き込んで王座を狙うつもりか!」
「そ、そんな……でも、もしそうなら……」
「ミリア、心配するな。俺が必ずアリシアを失脚させる。今度こそ、逃がさぬ!」
炎のような怒りを燃やす王太子。
その声は、暗い執念へと変わりつつあった。
修道院での密会は続いた。
フェリクス殿下は巧みに言葉を操り、私に未来を描かせようとする。
一方、クラウス様は決して譲らず、私を守る壁となる。
そして――私はその狭間で、己の選択を迫られていた。
(この道を選べば、もう後戻りはできない。でも……)
胸の奥で、抑えきれぬ予感が高鳴っていた。
これはただの断罪劇では終わらない。
王国の未来をも左右する大きな渦が、いま動き出しているのだと――。
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