浮気相手を選んだ元婚約者ざまぁ!捨てられ令嬢は隣国の王子に溺愛されています

ゆっこ

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 「……すまない。急に立ち寄ってしまって」

 そんな低く柔らかな声に、私は思わず振り返った。
 磨き上げられた扉の向こうに立っていたのは、銀色の髪に深紅の瞳を持つ男性――リヒャルト殿下、その人だった。

 「り、リヒャルト殿下!」
 慌てて立ち上がろうとしたが、彼がすぐに手を上げて制した。

 「そのままでいい。君を驚かせるつもりはなかった」

 その声音に、不思議な温かさを感じて胸が熱くなる。
 私はとっさに手にしていた書物を閉じ、緊張で胸の鼓動を抑えながら彼に微笑み返した。

 「いえ……むしろ、こうしてお越しいただけて光栄です」

 殿下は軽く目を細めてから部屋へ足を踏み入れ、窓辺の椅子に腰を下ろした。動作ひとつとっても優雅で、まるで絵画から抜け出した王子様のよう。いや、実際に王子様なのだから当然なのだけれど。

 「王城は退屈していないか?」
 「とんでもありません。温かく迎えていただき、私は幸せです」

 ――そう答えたけれど、本当は少しだけ不安もあった。
 なぜ私をここまで大切にしてくださるのか。
 私なんかが、その想いを受け取ってもいいのか。

 そんな迷いを、殿下は見透かしていたかのように、すっと私の手を取った。

 「……君はまだ、自分の価値を信じ切れていないのだな」

 突然の接触に胸が跳ねる。けれど彼の指先は驚くほど温かくて、心地よくて、拒む気持ちは少しも湧かなかった。

 「前の婚約者に、随分と酷いことを言われたのだろう?」
 「……っ」

 喉が詰まった。
 否定したいのに、声が出ない。
 彼の瞳が真っ直ぐすぎて、うそをつくことができなかった。

 「君を手放したのは愚か者のすることだ。だからこそ、私にとっては幸運だった」

 「幸運……ですか?」

 「そうだ。君のように気高く、優しく、そして美しい人を迎えられるのだから」

 ――気高くて、美しい。
 そんな風に言われたのは、生まれて初めてだった。

 「わ、私は……そんな……」

 「謙遜は要らない。私は本気で言っている」

 殿下の声があまりにも真剣で、私は返す言葉をなくしてしまう。頬が熱い。鼓動が早い。まるで私の心臓そのものを掴まれているようだった。

 「……殿下」
 「リヒャルト、と呼んでほしい」

 耳まで真っ赤になりそうで、私は慌てて視線を逸らした。けれど彼はその手を離さず、優しく包み込むように握り続けてくれる。

 ――こんなに安心できる温もりを、私は知らなかった。

 その夜、私は久しぶりに安らかな眠りにつくことができた。





 数日後。
 王城に滞在してから初めて、私は隣国の華やかな舞踏会に招かれた。

 殿下の隣に立つのが私で良いのだろうか、と不安で胸が押しつぶされそうになる。
 けれど、鏡に映る自分の姿を見て少しだけ勇気が湧いた。

 王城の侍女たちが仕立ててくれたドレスは深紅色で、私の瞳の色を引き立てる。
 髪には宝石を散りばめた飾りを編み込み、背筋を伸ばした自分は……ほんの少しだけ、堂々として見えた。

 「とても似合っている」

 背後から声がして振り返れば、そこには燕尾服に身を包んだリヒャルト殿下が立っていた。
 その姿はまるで物語の王子様そのもの。……いや、実際そうなのだが。

 「お、美辞麗句を……」
 「いや、事実だ」

 彼は真っ直ぐな瞳でそう告げ、私の手にそっと唇を寄せた。
 ――会場に入る前から、心臓が破裂しそう。

 そして舞踏会場。
 煌びやかなシャンデリアが輝き、絹のドレスと燕尾服が咲き乱れる社交の場。
 音楽が鳴り響き、笑い声と拍手が溢れる中で、私と殿下は人々の視線を集めた。

 「リヒャルト殿下! お隣のご令嬢は……?」
 「なんとお美しい!」

 ざわめきが広がる。
 私は恥ずかしくてうつむきそうになるけれど、殿下が手を取って離さないから、不思議と逃げ出さずにいられた。

 「彼女は私の大切な人だ」

 堂々としたその言葉に、場が一瞬静まり返る。
 すぐにざわざわとした声が再び広がり、私に向けられる視線の色が変わった。

 ――戸惑い、羨望、好奇心、そして……嫉妬。

 けれど、殿下の腕の中にいる限り、私は恐れることはなかった。

 「さあ、踊ろう」

 殿下が差し出す手を取った瞬間、音楽が切り替わる。
 優雅なワルツのリズムに合わせて、私たちは舞踏会場の中央へと進み出た。

 彼の腕の中でステップを踏むうちに、不思議な感覚に包まれる。
 ――私が輝いている。
 そんな錯覚すら抱かせるほどに、彼は私を導き、支えてくれていた。

 「……君がいるだけで、私は誇らしい」

 耳元で囁かれたその言葉に、胸がいっぱいになる。
 涙が溢れそうになったが、必死で堪えた。

 「リヒャルト……」
 勇気を振り絞って名前を呼ぶと、彼は嬉しそうに目を細め、さらに私を強く抱き寄せてくれた。

 ――この時、私は心の底から思った。
 もう、過去に縛られる必要はない。
 私はここで、新しい人生を歩んでいくのだと。






 舞踏会が終わり、夜風に吹かれてバルコニーに立つ。
 殿下が隣に寄り添い、静かに言った。

 「君を正式に妃として迎えたい」

 「……!」

 その一言に、私は息を呑んだ。
 あまりにも突然で、心臓が止まりそうになる。

 「だが急ぎはしない。君の気持ちを大事にしたいから」

 殿下の瞳は真剣そのもので、冗談などでは決してなかった。
 私は震える唇を押さえ、どうにか声を絞り出す。

 「わ、私は……まだ心の準備が……」
 「分かっている。だが、いつかは答えてほしい」

 殿下の手が私の頬を優しく撫でる。
 その温かさに、涙が零れ落ちそうになった。

 「……ありがとう、ございます」

 私はかすかに頷きながら、その胸に身を預けた。
 そして思う――。

 浮気相手を選んだ元婚約者は、今ごろどんな顔をしているのだろうか。
 私がこうして隣国の王子に大切にされていることを知れば、きっと青ざめて、取り返しのつかない後悔に苛まれるに違いない。
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