「お前に価値はない」と婚約破棄された令嬢、隣国の英雄に求婚されて即・再婚決定です

ゆっこ

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 舞踏会の夜――

 エルネスト・ヴァルトによる衝撃の求婚から一夜が明けた。カルゼリア王国の迎賓館の一室で、リディア・エルフォードは鏡の前に座り、自分の頬に手を当てていた。

「まさか、本当に……夢じゃないのね」

 あの赤い瞳と真剣な声が、今も耳の奥で響いている。場の空気を完全に掌握して、彼ははっきり言った。「お前を妻として迎えたい」と。

 ――カルゼリアの英雄が、突然、求婚。

 あまりにも現実離れした展開に、目を覚ました今でも信じられないほどだった。

(しかも、あのときの瞳……私をまっすぐ見てた)

 計算でも下心でもなく、ただ純粋に“欲しい”と伝えてきたその眼差し。

「……どうしたらいいのよ、こんなの」

 少し頬を赤らめながら、リディアは椅子から立ち上がった。王都を離れたばかりで婚約破棄の痛手も癒えていないというのに、次の展開があまりに早すぎる。

 だが、これがカルゼリアという国なのだろう。潔く、情熱的で、まるで炎のように真っ直ぐな気質。

「だからと言って、私がこのまま――」

 そのとき、扉がノックされた。

「リディア様、ヴァルト様より朝食のお誘いです」

「えっ……また?」

 昨夜、舞踏会のあとも彼はリディアの元へ丁寧に挨拶に現れ、その後に「今後のことを真剣に話したい」と申し出ていた。さすがに一晩で熱が冷めるかと思ったが……むしろ逆のようだった。

 リディアは苦笑しながら、整えたドレスの裾を軽く持ち上げた。

「仕方ないわね。受けましょう」

 彼女は扉の外の侍女にうなずき、エルネストの待つ中庭へと足を向けた。

 

 朝の日差しが差し込む中庭は、花々が咲き誇り、涼やかな噴水の音が心地よく響いている。

 その中央、シンプルな石造りのテーブルに腰かけていたエルネストは、彼女が現れた瞬間、まっすぐに立ち上がった。

「来てくれて、嬉しい」

「……その笑顔、反則です」

「反則? 意味は分からんが……悪くはなさそうだな」

 リディアは思わず吹き出しそうになった。こうしていると、彼が英雄と呼ばれるような戦士とは思えないほど、表情が柔らかい。

 朝食は、カルゼリア風のハーブを使った軽めのプレート料理だった。エルネストは意外にも料理に詳しく、リディアの好みに配慮していた。

「お前の国の料理は、香辛料が少ないな。少し物足りない」

「繊細なの。味を主張しすぎると、貴族たちが嫌うから」

「そんなものか。……だが、お前はどうだ?」

「私? 私は……本当は、香りの強い料理も好きよ。だけど、婚約者の好みに合わせて我慢してた」

 その瞬間、エルネストの目が細められた。

「……馬鹿らしい」

「え?」

「誰かの隣にいるために、自分を偽る必要はない。そんな関係は、初めから破綻してる」

 まっすぐな物言い。リディアの胸に、小さな棘のような何かが抜け落ちる感覚がした。

 ――ああ、私はずっと……“ふさわしい令嬢”であろうとして、自分を閉じ込めていたんだ。

「エルネスト様は……そういうの、すぐに見抜くんですね」

「戦場では嘘が命取りだ。見るべきものを見抜けなければ、生き残れない」

 そう言って、彼は紅茶を口にした。どこか不器用で、しかし優しい仕草。

「……それで。昨日のことだけど」

 リディアは真面目な顔になった。

「あなたの求婚、すぐに返事できなくてごめんなさい。でも、私――まだ整理がついていないの」

「ああ。分かっている。急かすつもりはない」

「あなたは、本気で言ってくれた。だから、私も本気で考えたいの」

「……ならば、答えを出すまでの間、少しだけ付き合ってくれ。友人としてでも構わない」

 友人。求婚した男がそう言うのは、なかなか変わっている。

 けれどリディアは、その真剣なまなざしに、自然と笑みを浮かべていた。

「……いいわ。よろしくね、エルネスト様」



 その後、リディアはカルゼリアの街を案内されることになった。

 兵士たちの訓練風景、図書館、魔道具市場。どれも彼女にとっては新鮮だった。

「この街には、戦災孤児が多くてな。街の一角に、彼らの学び舎がある」

 そう言ってエルネストが案内したのは、小さな孤児院だった。

 中から飛び出してきた子供たちは、彼を見つけるなり笑顔で駆け寄ってきた。

「エルネストー!」

「また来てくれたの!?」

「今日はお姉さんも一緒なんだね!」

 その光景に、リディアは驚いた。英雄としての彼ではなく、“街の人々に愛される彼”を見たからだ。

「……ずっと孤独な人だと思ってたけど、あなたにはこういう場所もあるのね」

「孤独だったさ。お前が来るまではな」

「――っ!」

 さらりと告げられたその言葉に、リディアはまたしても心を撃ち抜かれた。

「……そんなに簡単に口説かないでください」

「簡単には言っていない。本気で思ったことを言っただけだ」

 真剣な赤い瞳。その視線に、リディアは頬を染めて目を逸らした。

 そしてその瞬間、遠くで馬の蹄の音が響いた。

 エルネストの表情が一変する。

「……待っていろ」

 すぐに部下が駆け寄り、エルネストに耳打ちをする。その顔は険しい。

「何か……ありましたか?」

「王国からの使者が来た。しかも、ただの使者ではない」

 

 その日の午後。

 迎賓館に現れたのは――なんと、王太子レオナルドだった。

「……レオナルド様?」

 その姿を見たリディアは、思わず名前を呟いていた。

 堂々とした足取りで部屋に入ってきた王太子は、以前よりも疲れたような顔をしている。

「久しぶりだな、リディア。話がある。二人きりで」

「遠慮しろ。ここはカルゼリアだ。お前が勝手に会う相手を選ぶことなどできん」

 エルネストが間に割って入る。

「貴様がエルフォード嬢を傷つけたという話は、こちらにも届いている。何の用だ?」

 レオナルドは睨みつけながらも、低く告げた。

「彼女を……取り戻しに来た」

 その場の空気が、一瞬止まった。

 リディアの顔から、血の気が引いていく。

「今さら……何を言っているの……?」

「フローラは裏切った。私を騙していたんだ。お前の価値に、ようやく気づいた」

「……遅すぎます。今さら、あなたに“価値”なんて語る資格はありません」

 リディアの言葉に、レオナルドの顔が歪む。

 だがその隣で、エルネストがはっきりと告げた。

「リディアは、俺の婚約者になる予定だ。貴様に渡すつもりはない」

「何だと……!?」

「帰れ。お前に立ち入る隙は、もうない」

 レオナルドは怒りに震えながらも、剣呑な空気に押されて一歩退いた。

 リディアはエルネストの横で、しっかりとその背を見つめていた。

 ――あの日、私を「価値がない」と言った男は、もう過去の人。

 今、隣にいるのは――

(……でも、本当に私は、彼の隣に立ってもいいの?)

 揺れる気持ちの中、リディアはそっと胸に手を当てた。
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