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夜の帳が落ちた静かな部屋に、星のような輝きが浮かんでいた。
それは“理の神”イゼルの存在の名残。人の形を取りながらも、言葉にできないほどの神性を帯びていた。
『我ら神々は長き沈黙の時を経て、再び目覚めようとしている』
イゼルの声は、頭の中に直接響く。まるで深い湖に落ちる一滴の水音のように、心の奥に波紋を広げた。
「……“再び”というのは?」
『お前の世界、ルクエルスは神と人と魔の三位の力によって均衡を保っていた。しかしその均衡が、今まさに崩れようとしている』
イゼルの目が、まっすぐに私を見据える。
『我ら七柱の神は、それぞれ人間に加護を与え、導きを与えてきた。だが、ある時期を境に、人の欲と偽りが神託をねじ曲げ、力を歪め始めた』
「……それが、あの舞踏会での“偽りの聖女”?」
『セシリア・ルミエール。彼女に加護は一切ない。ただ、神殿が作り上げた“虚構の光”を受け取ったに過ぎぬ。神の名を借り、己の権威を守ろうとしたのだ』
あの一件が偶然ではなかったことは、既に感じていた。だがそれが、神殿全体の仕組まれた計画だとしたら——。
『神殿は、かつての聖女の再来を演出し、王太子を操り、王権に介入しようとしていた。だが、我らが加護する“真なる器”——リシェル、お前の存在が、それを阻んだ』
「……私が、それを壊してしまったのね」
『否。我らの意思が、お前を選んだのだ。お前の魂は、七神すべての祝福に耐えうる希有な存在。我らはお前と共に歩む。そして——』
イゼルの声が一瞬だけ鋭くなった。
『目を開けよ、リシェル。神殿の背後にある“闇”に気づく時が来た』
その瞬間、イゼルの姿が淡く揺らぎ、静かに霧のように消えていった。
部屋は再び闇に包まれた。
私は膝の上で握りしめていた手を開いた。そこには、淡く輝く紋章が浮かんでいた——七つの光の輪が、交差しながら一つの花のような形を成している。
それが、神々の加護の証だった。
一方そのころ、王都アルヴェリア。
城の東塔にある王太子専用の書斎では、焦燥と怒りが交錯していた。
「……リシェルが、神獣を呼んだだと? 神の加護が、七柱すべて?」
王太子レオンハルト・ヴァルツァーの顔色は青ざめていた。周囲には数人の側近と、神殿から派遣された聖職者が控えていたが、誰もが沈黙を守っている。
「そんなはずがない……! 彼女は、ただの冷たい令嬢だった。優雅で、上品で、どこか人を見下したような……あいつが“選ばれた者”だと……!?」
机を拳で打ちつける音が響く。
けれど、現実は変わらない。神殿騎士団の報告は明白であり、民衆の間にも“真の聖女はリシェルだった”という噂が広まり始めていた。
「お言葉ですが、殿下……」
静かに進み出たのは、神殿上級司祭・アグナス。
「もはやセシリア嬢を聖女として押し通すのは、難しい状況です。いっそ彼女を“殉教者”とし、物語を新たに紡ぐべきかと——」
「ふざけるな……セシリアは、私が選んだのだ! リシェルにすべて持っていかれてたまるか!」
レオンハルトの叫びに、アグナスは冷たい微笑を浮かべた。
「ですが殿下、現実は変わりません。もしリシェル様が“七柱すべての加護”を持つのであれば、彼女こそが“神王の器”です」
「……神王?」
それは、神々と直接繋がり、神の代理人として地上に立つ者。
今や伝説となった存在。もしそれが事実であれば、王権そのものすら危うくなる。
「……どうすればいい?」
レオンハルトが、力なく問いかけた。
「我らが成すべきはただ一つ。彼女を排除し、力を奪い、神の加護を“再構築”すること」
「……リシェルを、殺すのか?」
重い沈黙が落ちた。
やがて、アグナスは静かに頷いた。
「それが、この国の“秩序”を守る唯一の道です」
数日後。
辺境の村・リュゼには、ひっそりと一台の馬車が訪れていた。
その馬車は神殿の紋章を掲げ、表向きは「神託を伝えるための使者」と名乗っていた。
「リシェル様宛に、王都より謁見の要請が届いております。神殿本庁にて、正式な聖女認定の儀を行いたいとのことです」
整った顔立ちの若い神官が、礼儀正しく言った。
だが、私はその申し出に、すぐに返答しなかった。
それは表向きの理由であり、その裏には——何か、別の“意図”があると直感したからだ。
その夜、私は再び“加護の間”に入り、神々と繋がるための瞑想に入った。
——そして、今度は“闇の神”が現れた。
その姿は黒衣をまとい、瞳の奥に静かな炎を宿していた。だが、恐怖はなかった。ただ、心の奥に深い静けさが広がる。
『リシェル。来たか。今こそ、お前に“闇”を預けよう』
「……あなたが、闇神?」
『人が恐れ、忌む“闇”とは、すなわち“真実”そのもの。お前がこれから歩む道は、光だけでは見通せぬ。だからこそ、我が加護を授ける』
闇の神は、そっと手を差し伸べた。その手が私の胸に触れた瞬間、意識の底に何かが注ぎ込まれる。
それは「視えざるものを見る」力——虚偽、策略、裏切り、偽りの笑顔すら透かして見抜く、闇のまなざし。
「……ありがとう。これで、真実を見極められる」
『だが、注意せよ。お前を狙う者たちは、もはや王都の中だけにあらず。この世界に潜む“旧き闇”が、そろそろ目を覚ます』
その言葉を最後に、闇の神もまた霧のように消えていった。
残された私は、深く息を吐く。
——神々の力は、私に確かに宿っている。
でも、それは同時に、この世界の“影”すらも照らしてしまう。
王都への招待状を手に取る。そこには、優雅な筆跡でこう書かれていた。
「正式な聖女として、神殿の座にお迎えしたく——」
けれど、私は微笑んだ。
その“裏の意味”を、今の私なら——すべて、見抜ける。
それは“理の神”イゼルの存在の名残。人の形を取りながらも、言葉にできないほどの神性を帯びていた。
『我ら神々は長き沈黙の時を経て、再び目覚めようとしている』
イゼルの声は、頭の中に直接響く。まるで深い湖に落ちる一滴の水音のように、心の奥に波紋を広げた。
「……“再び”というのは?」
『お前の世界、ルクエルスは神と人と魔の三位の力によって均衡を保っていた。しかしその均衡が、今まさに崩れようとしている』
イゼルの目が、まっすぐに私を見据える。
『我ら七柱の神は、それぞれ人間に加護を与え、導きを与えてきた。だが、ある時期を境に、人の欲と偽りが神託をねじ曲げ、力を歪め始めた』
「……それが、あの舞踏会での“偽りの聖女”?」
『セシリア・ルミエール。彼女に加護は一切ない。ただ、神殿が作り上げた“虚構の光”を受け取ったに過ぎぬ。神の名を借り、己の権威を守ろうとしたのだ』
あの一件が偶然ではなかったことは、既に感じていた。だがそれが、神殿全体の仕組まれた計画だとしたら——。
『神殿は、かつての聖女の再来を演出し、王太子を操り、王権に介入しようとしていた。だが、我らが加護する“真なる器”——リシェル、お前の存在が、それを阻んだ』
「……私が、それを壊してしまったのね」
『否。我らの意思が、お前を選んだのだ。お前の魂は、七神すべての祝福に耐えうる希有な存在。我らはお前と共に歩む。そして——』
イゼルの声が一瞬だけ鋭くなった。
『目を開けよ、リシェル。神殿の背後にある“闇”に気づく時が来た』
その瞬間、イゼルの姿が淡く揺らぎ、静かに霧のように消えていった。
部屋は再び闇に包まれた。
私は膝の上で握りしめていた手を開いた。そこには、淡く輝く紋章が浮かんでいた——七つの光の輪が、交差しながら一つの花のような形を成している。
それが、神々の加護の証だった。
一方そのころ、王都アルヴェリア。
城の東塔にある王太子専用の書斎では、焦燥と怒りが交錯していた。
「……リシェルが、神獣を呼んだだと? 神の加護が、七柱すべて?」
王太子レオンハルト・ヴァルツァーの顔色は青ざめていた。周囲には数人の側近と、神殿から派遣された聖職者が控えていたが、誰もが沈黙を守っている。
「そんなはずがない……! 彼女は、ただの冷たい令嬢だった。優雅で、上品で、どこか人を見下したような……あいつが“選ばれた者”だと……!?」
机を拳で打ちつける音が響く。
けれど、現実は変わらない。神殿騎士団の報告は明白であり、民衆の間にも“真の聖女はリシェルだった”という噂が広まり始めていた。
「お言葉ですが、殿下……」
静かに進み出たのは、神殿上級司祭・アグナス。
「もはやセシリア嬢を聖女として押し通すのは、難しい状況です。いっそ彼女を“殉教者”とし、物語を新たに紡ぐべきかと——」
「ふざけるな……セシリアは、私が選んだのだ! リシェルにすべて持っていかれてたまるか!」
レオンハルトの叫びに、アグナスは冷たい微笑を浮かべた。
「ですが殿下、現実は変わりません。もしリシェル様が“七柱すべての加護”を持つのであれば、彼女こそが“神王の器”です」
「……神王?」
それは、神々と直接繋がり、神の代理人として地上に立つ者。
今や伝説となった存在。もしそれが事実であれば、王権そのものすら危うくなる。
「……どうすればいい?」
レオンハルトが、力なく問いかけた。
「我らが成すべきはただ一つ。彼女を排除し、力を奪い、神の加護を“再構築”すること」
「……リシェルを、殺すのか?」
重い沈黙が落ちた。
やがて、アグナスは静かに頷いた。
「それが、この国の“秩序”を守る唯一の道です」
数日後。
辺境の村・リュゼには、ひっそりと一台の馬車が訪れていた。
その馬車は神殿の紋章を掲げ、表向きは「神託を伝えるための使者」と名乗っていた。
「リシェル様宛に、王都より謁見の要請が届いております。神殿本庁にて、正式な聖女認定の儀を行いたいとのことです」
整った顔立ちの若い神官が、礼儀正しく言った。
だが、私はその申し出に、すぐに返答しなかった。
それは表向きの理由であり、その裏には——何か、別の“意図”があると直感したからだ。
その夜、私は再び“加護の間”に入り、神々と繋がるための瞑想に入った。
——そして、今度は“闇の神”が現れた。
その姿は黒衣をまとい、瞳の奥に静かな炎を宿していた。だが、恐怖はなかった。ただ、心の奥に深い静けさが広がる。
『リシェル。来たか。今こそ、お前に“闇”を預けよう』
「……あなたが、闇神?」
『人が恐れ、忌む“闇”とは、すなわち“真実”そのもの。お前がこれから歩む道は、光だけでは見通せぬ。だからこそ、我が加護を授ける』
闇の神は、そっと手を差し伸べた。その手が私の胸に触れた瞬間、意識の底に何かが注ぎ込まれる。
それは「視えざるものを見る」力——虚偽、策略、裏切り、偽りの笑顔すら透かして見抜く、闇のまなざし。
「……ありがとう。これで、真実を見極められる」
『だが、注意せよ。お前を狙う者たちは、もはや王都の中だけにあらず。この世界に潜む“旧き闇”が、そろそろ目を覚ます』
その言葉を最後に、闇の神もまた霧のように消えていった。
残された私は、深く息を吐く。
——神々の力は、私に確かに宿っている。
でも、それは同時に、この世界の“影”すらも照らしてしまう。
王都への招待状を手に取る。そこには、優雅な筆跡でこう書かれていた。
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